も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪
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2007年05月21日(月) Let It Be

映画「バベル」はもとより
その監督の前作「21g」
さらには昨年のアカデミー賞の
なんとか賞を受賞した「クラッシュ」
これらの作品のテーマは
連鎖
またこうした作品が大衆に受け入れられやすいのも
負の連鎖
をテーマにしているからで
自分の行なった行為が
もしくは自分の思考が
知らず知らずの内に実は
さらに他人の行為や思考に影響を与え
さらに連鎖していく無限ループ
やり場のない怒り
ふお
これまさしく現代社会
大衆が共感するのも至極道理であるわけで
バベルにおいては
負だけではなく
正が連鎖していくところに
幾ばくかの救いがあるのだが
連鎖しよる
阿呆も
連鎖しよる
阿呆が連鎖しよるのだよ
無論
私はオタクと言うほどの映画好きで
週に最低一度は映画館に足を運ぶし
観たい映画がなければ
観たくない映画すら観たりもするし
1日で3本映画館をハシゴすることも少なくない
勿論ひとりでねエヘヘたはは

まあ幸か不幸か
映画というものは当然先払いシステムであり
まあ普通の人々は
予告編や宣伝CMもしくは情報誌で
ある程度の情報を得てからようやく映画館に足を運ぶのだけれど
本来ならば
監督や役者、タイトルである程度映画のデキは判断できるわけで
私はあまり情報を仕入れずに
映画を観るようにしているのも
予告編というもの
実は予告編専門の製作会社が存在し
企業ならば収益をあげるのは当然
勿論
高名な監督高名な役者が出ていれば
宣伝は簡単なわけなのだが
マニアには知られているけれど世間的にはあまり認知のない
もしくは
高名な役者は出ているけれどもまるっきりの駄作
そして
まるっきりの駄作
である場合
それでも客足を伸ばす為には
やはり予告編で
結句
ウソ大げさ紛らわしいが横行するのも仕方が無いのだけれど
学生時代
映画技術表現の実習で
3分ほどの素材フィルム
まったく同じフィルムが生徒全員に配られ
それを編修して一分ほどの作品に仕上げよ
という授業があった
不思議なもので
素材は同じフィルムにもかかわらず
できあがった作品にひとつとして同じモノはなく
音楽をつけることで
1つの素材から
何十本もの別の作品
つまりストーリーが仕上がってしまったわけで
つまり
それだけ
映画の予告編はアテにならない
客を集める為に意味ありげなシーンと音楽を繋ぎ合わせ
全く別の作品に仕立てている
だけならまだいい
それだけならまだしも
あまりにも重要なシーンを繋いだ為に
予告編だけで
内容と結果が安易に理解できてしまう
それゆえ本編は観なくて済む本末転倒の予告編まで
数多く存在する始末
阿呆ちゃうかと
思いませんか
え?思いませんか

予告編にある
宣伝文句キャッチコピー
主役の誰某、初の悪役に兆戦!
みたいな文句
ってこれもおかしくないですか
映画で言う悪役というのは
主役に対しての悪役であるわけで
つまり敵役こそ悪役
主役が刑事なら悪役は犯罪者
主役が犯罪者なら悪役は刑事であるはずなのに
主役なのにただ悪人役というだけで
悪役という文句に
違和感を覚えるのは
私だけでしょうかフィーチャリングだいたひかる
それだけならまだいい
そんなことなら笑って許せるだけの
包容力が私にはあるのだけれど
先日見た予告編及び本編
日本映画の場合
役者の名前が表記される場合
主役→準主役→脇役
の順であるのだが
海外
特にアメリカ映画の場合
チラシや映画本編に表記される役者の名前は
役の大小ではなく
ギャラの順番であることが通例で
必ずしも最初に表記される人間が
主役とは限らないことくらい
映画を観る人間にとっては
少女が女になること以上に
ぎく普通のことであるのに
先日観た映画
いやさ
映画紹介をするFMのDJすら
明らかに脇役の役者に対して
主役ですっっ
なんて紹介しているのであり
本来宣伝すべき人間が
本編を観ていないことがまるわかりな
阿呆の連鎖極まりなく
またそんな阿呆宣伝の映画だから
映画館には全く客がいなく
いるのは
映画中に大声で喋りイチャつく阿呆カップルのみであり
さらには
客もいないのに指定席制となっています
なんて受け付けの姉ちゃんが手配した座席は
そんな阿呆カップルの隣席

はあ
ホアット
ホワイ
ガラガラの劇場に何故そんな座席を用意するのだ
ちょっと座席をずらすか
私に隣がカップルですと
何故注意できないのか
全く阿呆極まりなく
他人のことすら慮れない阿呆が連鎖して
私は
哀しくて哀しくて
とてもやりきれないのですが
確かに
DVDって便利よね
薄いし小さいし軽いし
容量もあるからビデオみたいに
全編後編ってなることないしね
勿論
科学は発展し淘汰されていくもの
ベータやLDがそうだったように
VHSすら衰退していくのも仕方ないわよね
ただ
ただそれによって
失われた連鎖ってのもあるわけよ
シンクロニシティ共時性ってやつね
勿論
VHSでさえ
レンタル店に返すときや友達に貸借するときは
頭まで巻き戻しが基本なんだけれど
たまに
たまあにね
巻き戻し忘れってのがあるよね
そりゃ人間ですもの
そんなミスくらい誰だってあるもの
でもねそこで連鎖が生まれるの
そもそも
ってAVの話よ
そもそも
AVを最後まで観る人間は少ない
何故
AVは鑑賞用ではなく
実用品であるから
何の
勿論オナニーの
勿論
オナニーの方法は多種多様
いつどこで
あるいはどの女でどの場面で
発射時期に命をかける者あれば
最初に全編鑑賞してから
お気に入りの場面まで巻き戻し
発射する保守的オナニー
しかしいずれも共通することは
男は発射した直後
無論
ティッシュでキレイに拭き拭きしている時間や
その余韻に浸る者
多少のタイムラグはあるが
その発射直後にビデオを停めるわけで
つまり
巻き戻し忘れたビデオは
その再生した前後で
必ずオナニーフィニッシュされているわけで
おおお前もか
といった共感や
えこんなとこで
といった驚き
じゃあ俺はここでイってやる
といったライバル意識
即ち
これ友情
顔も知らない相手への戦友意識
こうしたオナニーの連鎖こそ
自らの発射スポットが実に小さな世界であるのか
惹いては
世の中にはいろんな性癖の人間があり
たとえ60分90分なりの
1本のビデオでさえも
観る側にとって全く異なる作品ともなり
オナニーの世界が如何に広いものであるか
また
自らのオナニーに如何に可能性があるのか
そう
思わせてくれたものだが
残念ながら
VHSは衰退し
DVDは巻き戻す必要もなくなった
確かに
確かに便利は必要なんだけれど
便利と引き換えに
失うものもあるわけで
巻き戻す必要のなくなったAV世代は
どおゆう性行為に影響を与えるのか
性的いたずら
性的暴行
などという抽象的な表現のニュース
要はレイプ
海外の話だったレイプが
現実的に頻発する日本
その要因こそ
VHSを知らない
アダルトDVDの連鎖で無いことを
チンコを握りながら
思うのであるのだが
人生そう悲観してはいけない
映画バベルのように
人生はそんなに哀しくプログラムされちゃいない
オナニーにだって救いはある
はたまた
救いの為にオナニーするのか
そんなこたどうだっていい
つまり
私がオナニーが
誰かのオナニーにつながり
そのまた誰かのオナニーに繋がり
オナニーによって
勇気付けられ
オナニーによって
生きる希望を見出し
オナニーによって
別れることもある
そんな思いを
具現化する場所が
実はもうすでに存在し
それこそが
オナニークラブこと
オナクラ
一生懸命オナニーするところを
一生懸命女性が見守ってくれる
一生懸命オナニーするところを
一生懸命応援してくれる
一生懸命オナニーするところを
ときには複数の女性が視姦してくれる
ああそうか
私は見られたいのか
私は見られたかったのか
ここのところ精神的に忙しかったもんな
ここんところ疲れてたもんな
ここんところそれでも頑張ったもんな
そうだ
私のオナニーを見てもらいに行こう
視姦してもらいに行こう

思わず
たかだかオナニーに
残り少ない大枚をはたくところで気が付いた
女がいないからオナニーするのであり
女がいるのなら風俗にいけばイイじゃないか
わざわざ女性にオナニー見てもらう必要がどこにあるのか
もちろんそおゆうプレイは好きなんだけれども
「気をつけよう
疲れてるときの
性欲連鎖」
血迷っちゃうからね。
金使っちゃうからね。
気をつけないと
気をつけNIGHT。



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