映画「バベル」はもとより その監督の前作「21g」 さらには昨年のアカデミー賞の なんとか賞を受賞した「クラッシュ」 これらの作品のテーマは 連鎖 またこうした作品が大衆に受け入れられやすいのも 負の連鎖 をテーマにしているからで 自分の行なった行為が もしくは自分の思考が 知らず知らずの内に実は さらに他人の行為や思考に影響を与え さらに連鎖していく無限ループ やり場のない怒り ふお これまさしく現代社会 大衆が共感するのも至極道理であるわけで バベルにおいては 負だけではなく 正が連鎖していくところに 幾ばくかの救いがあるのだが 連鎖しよる 阿呆も 連鎖しよる 阿呆が連鎖しよるのだよ 無論 私はオタクと言うほどの映画好きで 週に最低一度は映画館に足を運ぶし 観たい映画がなければ 観たくない映画すら観たりもするし 1日で3本映画館をハシゴすることも少なくない 勿論ひとりでねエヘヘたはは で まあ幸か不幸か 映画というものは当然先払いシステムであり まあ普通の人々は 予告編や宣伝CMもしくは情報誌で ある程度の情報を得てからようやく映画館に足を運ぶのだけれど 本来ならば 監督や役者、タイトルである程度映画のデキは判断できるわけで 私はあまり情報を仕入れずに 映画を観るようにしているのも 予告編というもの 実は予告編専門の製作会社が存在し 企業ならば収益をあげるのは当然 勿論 高名な監督高名な役者が出ていれば 宣伝は簡単なわけなのだが マニアには知られているけれど世間的にはあまり認知のない もしくは 高名な役者は出ているけれどもまるっきりの駄作 そして まるっきりの駄作 である場合 それでも客足を伸ばす為には やはり予告編で 結句 ウソ大げさ紛らわしいが横行するのも仕方が無いのだけれど 学生時代 映画技術表現の実習で 3分ほどの素材フィルム まったく同じフィルムが生徒全員に配られ それを編修して一分ほどの作品に仕上げよ という授業があった 不思議なもので 素材は同じフィルムにもかかわらず できあがった作品にひとつとして同じモノはなく 音楽をつけることで 1つの素材から 何十本もの別の作品 つまりストーリーが仕上がってしまったわけで つまり それだけ 映画の予告編はアテにならない 客を集める為に意味ありげなシーンと音楽を繋ぎ合わせ 全く別の作品に仕立てている だけならまだいい それだけならまだしも あまりにも重要なシーンを繋いだ為に 予告編だけで 内容と結果が安易に理解できてしまう それゆえ本編は観なくて済む本末転倒の予告編まで 数多く存在する始末 阿呆ちゃうかと 思いませんか え?思いませんか で 予告編にある 宣伝文句キャッチコピー 主役の誰某、初の悪役に兆戦! みたいな文句 ってこれもおかしくないですか 映画で言う悪役というのは 主役に対しての悪役であるわけで つまり敵役こそ悪役 主役が刑事なら悪役は犯罪者 主役が犯罪者なら悪役は刑事であるはずなのに 主役なのにただ悪人役というだけで 悪役という文句に 違和感を覚えるのは 私だけでしょうかフィーチャリングだいたひかる それだけならまだいい そんなことなら笑って許せるだけの 包容力が私にはあるのだけれど 先日見た予告編及び本編 日本映画の場合 役者の名前が表記される場合 主役→準主役→脇役 の順であるのだが 海外 特にアメリカ映画の場合 チラシや映画本編に表記される役者の名前は 役の大小ではなく ギャラの順番であることが通例で 必ずしも最初に表記される人間が 主役とは限らないことくらい 映画を観る人間にとっては 少女が女になること以上に ぎく普通のことであるのに 先日観た映画 いやさ 映画紹介をするFMのDJすら 明らかに脇役の役者に対して 主役ですっっ なんて紹介しているのであり 本来宣伝すべき人間が 本編を観ていないことがまるわかりな 阿呆の連鎖極まりなく またそんな阿呆宣伝の映画だから 映画館には全く客がいなく いるのは 映画中に大声で喋りイチャつく阿呆カップルのみであり さらには 客もいないのに指定席制となっています なんて受け付けの姉ちゃんが手配した座席は そんな阿呆カップルの隣席 は はあ ホアット ホワイ ガラガラの劇場に何故そんな座席を用意するのだ ちょっと座席をずらすか 私に隣がカップルですと 何故注意できないのか 全く阿呆極まりなく 他人のことすら慮れない阿呆が連鎖して 私は 哀しくて哀しくて とてもやりきれないのですが 確かに DVDって便利よね 薄いし小さいし軽いし 容量もあるからビデオみたいに 全編後編ってなることないしね 勿論 科学は発展し淘汰されていくもの ベータやLDがそうだったように VHSすら衰退していくのも仕方ないわよね ただ ただそれによって 失われた連鎖ってのもあるわけよ シンクロニシティ共時性ってやつね 勿論 VHSでさえ レンタル店に返すときや友達に貸借するときは 頭まで巻き戻しが基本なんだけれど たまに たまあにね 巻き戻し忘れってのがあるよね そりゃ人間ですもの そんなミスくらい誰だってあるもの でもねそこで連鎖が生まれるの そもそも ってAVの話よ そもそも AVを最後まで観る人間は少ない 何故 AVは鑑賞用ではなく 実用品であるから 何の 勿論オナニーの 勿論 オナニーの方法は多種多様 いつどこで あるいはどの女でどの場面で 発射時期に命をかける者あれば 最初に全編鑑賞してから お気に入りの場面まで巻き戻し 発射する保守的オナニー しかしいずれも共通することは 男は発射した直後 無論 ティッシュでキレイに拭き拭きしている時間や その余韻に浸る者 多少のタイムラグはあるが その発射直後にビデオを停めるわけで つまり 巻き戻し忘れたビデオは その再生した前後で 必ずオナニーフィニッシュされているわけで おおお前もか といった共感や えこんなとこで といった驚き じゃあ俺はここでイってやる といったライバル意識 即ち これ友情 顔も知らない相手への戦友意識 こうしたオナニーの連鎖こそ 自らの発射スポットが実に小さな世界であるのか 惹いては 世の中にはいろんな性癖の人間があり たとえ60分90分なりの 1本のビデオでさえも 観る側にとって全く異なる作品ともなり オナニーの世界が如何に広いものであるか また 自らのオナニーに如何に可能性があるのか そう 思わせてくれたものだが 残念ながら VHSは衰退し DVDは巻き戻す必要もなくなった 確かに 確かに便利は必要なんだけれど 便利と引き換えに 失うものもあるわけで 巻き戻す必要のなくなったAV世代は どおゆう性行為に影響を与えるのか 性的いたずら 性的暴行 などという抽象的な表現のニュース 要はレイプ 海外の話だったレイプが 現実的に頻発する日本 その要因こそ VHSを知らない アダルトDVDの連鎖で無いことを チンコを握りながら 思うのであるのだが 人生そう悲観してはいけない 映画バベルのように 人生はそんなに哀しくプログラムされちゃいない オナニーにだって救いはある はたまた 救いの為にオナニーするのか そんなこたどうだっていい つまり 私がオナニーが 誰かのオナニーにつながり そのまた誰かのオナニーに繋がり オナニーによって 勇気付けられ オナニーによって 生きる希望を見出し オナニーによって 別れることもある そんな思いを 具現化する場所が 実はもうすでに存在し それこそが オナニークラブこと オナクラ 一生懸命オナニーするところを 一生懸命女性が見守ってくれる 一生懸命オナニーするところを 一生懸命応援してくれる 一生懸命オナニーするところを ときには複数の女性が視姦してくれる ああそうか 私は見られたいのか 私は見られたかったのか ここのところ精神的に忙しかったもんな ここんところ疲れてたもんな ここんところそれでも頑張ったもんな そうだ 私のオナニーを見てもらいに行こう 視姦してもらいに行こう と 思わず たかだかオナニーに 残り少ない大枚をはたくところで気が付いた 女がいないからオナニーするのであり 女がいるのなら風俗にいけばイイじゃないか わざわざ女性にオナニー見てもらう必要がどこにあるのか もちろんそおゆうプレイは好きなんだけれども 「気をつけよう 疲れてるときの 性欲連鎖」 血迷っちゃうからね。 金使っちゃうからね。 気をつけないと 気をつけNIGHT。
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