注射が好きです ぶっとい注射が好きなのです いえ 隠語でなくて ぶっとい肉棒注射を 私のアナルにねじ込んでええええ ってんでなくてね 例えば採決注射の場合 赤い血が 否 紅い血が それが自分が人間であることを 認識させてくれるわけで 仮性包茎でも プチEDでも チンコ小さくても 加藤鷹やチョコボール向井と 同じ血が流れているとわかると 少し勇気がでてくるのです 少しチンコに 自信が持てるわけですよ そもそも ここ数週間続くオカズ不足 夜のオカズ不足 に ともなうオナニー不調 不調オナニー 婦長のオナニー それは私の情緒の不安定 及び それからくる体調不良に拠るもの だと思い 否 そうだそうに違いないと疑いもなく だがしかし 本当にそうなのか 原因があれば結果があり 結果があれば原因がある だからこそその原因の思い当たるフシナンバーワンこそ 情緒不安定及び体調不良 そう思い込むのも仕方がなく 否 勿論何%かはその要因もあるだろう だがしかし かといって 不調オナニーを他人の責任に転嫁してはいけない 否むしろ 情緒不安定の体調不良というもの 社会的に言う ストレスというものなのだから ストレスというもの 社会で生活している以上 多少の軽減はするものの 完全消滅というものは難しく だからこそ 全ての責任をけして無くなることの無いストレスになすりつけると 2度と脱出することのできない無間地獄に陥りかねないので むしろ 隊長が不調なら 今度は隊員達がサポートしてやらねばならず それでこそ チームであり 隊長が婦長なら 隊員はナースで 退院は許可できますか先生 って 何の話だ ともあれ その要因の可能性を残しつつも 他に 原因はないのか 全裸になり 座禅を組み チンコの皮を引っ張って さあみんなで考えてみよう そもそも 興奮のメカニズムは 非日常にあり つまり 普段は下着や洋服で隠されている女性の身体 また一糸まとわぬ姿を見せてくれるのは 心を許した あるいは 高額なお金を支払える ごく限られた一部の人間限定であるという社会風潮から デートや駆け引きなど 紆余曲折を経て たどりつく女体 そう簡単に手に入らない非日常 であるからこそ男は興奮し 逆もまた真なり 女はじゅんっとなるわけで がしかし 幸か不幸か 日本はAV先進国であり 欲すれば 安価で女性の身体を観ることができる ただ手で触れることはできないのだけれど しかしばがら 興奮する為には視覚というのも重要な要素であり だからこそ視姦がときには興奮したりするのだが ともあれ いくら非日常であれど それを毎日繰り返せば それはやがて日常となり ともすれば 人間とは愚かな生き物で 一度手に入れると ついそのぬるま湯にどっぷりと いつしかそれは慣れとなり 慣れのつぎには だれ がくる つまり 私のチンコも AVを観過ぎるあまり 女性の体に慣れてしまい 挙句 女性の体に だれてしまっている と考えられるわけで 勿論 AVの醍醐味は女体だけではなく 女性の喘ぎ声や喘ぎ顔 女性の着衣及びそんな顔して大胆な下着 あられもない姿 潮吹き挿入姿 女性の様々な姿を発見することができ AV自体を否定するものではなく ただ ただ 一度チンコがだれてしまうと 視覚のみでは なかなか興奮はおぼつかないわけで じゃあじゃあじゃあじゃあ ではではではでは 庭には庭のニワトリがいるように AVを観なけりゃ 女体を 日常から非日常に戻せばいのではないか といった概念は 病気になったらただひたすら投薬の 対処療法でしかなく 日本古来の伝統臭いものにはフタ主義であり 仮に AVをしばらく休止して チンコが元に戻ったとしても それは一時的なもので 風邪と同様に また近い将来 同じような状況になるに過ぎないのであり そもそも オナニー不調でありながら チンコ不調でありながら でわ何故 オナニーを続けるのか それは ハッキリ明確とした性欲が 私の中に私の股間に存在するからで また AVを観たい なんなら本物の女性とも性行為したい それが叶わないなら やはり AVを観たい 女体が観たい という明確な意思がチンコにあり そのくせ 不調であるから こうした精神スパイラルに陥っているわけなんだよ さて 暖冬のわりには なかなか朝晩の冷え込みは厳しく 異常気象を二酸化炭素にのみ責任を押し付けて と思えば 5月でありながら 大阪では日中の気温が30度を超える真夏日になり 暖かく いやさ 暑くなれば 青姦の季節 否 薄着の季節なわけで 薄着になると 分厚いコートで隠された ボディーラインや 下着のライン ときには下着そのものが露出され つまり 女性とはいえ 全ての女性には 色は違えど乳首があり カタチや大きさは違えど尻があり それを覆っている下着があり そしてその中には おまんまんさんがあり クリトリスがあり ビラビラがあり それを覆っている陰毛がある これこそ 神が与えたもうた唯一公平な要素である つまり 女体が日常であるからといって それを拒否するのではなく 日常であるからこそ 忘れがちなその魅力について 考える必要があるのであり 何故 女性のおっぱいは 誰しも膨らみがあり そして柔らかいのか そしてスイッチのような乳首があるのか グミのようなフグのような食感があるのか 何故女性の尻には 流線型でハリがあるのか 触っていると飽きないのか 否むしろ 乳首はそんなに感じるのか れろれろするのがいいのか 噛むのがいいのか 否むしろ 尻はまず触る前に叩け それから舐めまわせ つまり キレイなあの娘も ブサイクなあの娘にも やさぐれたあの娘にも ワイルドなあの娘も しわがれた熟女にも 女を捨てたはずの熟女でさえも 誰にでもあり 誰にでも感じる 誰にでもあるからこそ 変態だろうが 犯罪者だろうが 小市民だろうが 同じ人間だと共感する そして共鳴するわけで つまり 私は 否 私達は 我々は オナニーしているのではない 誰にでもある 誰でもある おっぱいや 乳首や 尻や おまんまんさんや 女体全て そういったもののおかげで オナニーさせていただいてる 常に 感謝と ありがたみを忘れず 女性の身体で 女性が様々な事情でAVに出演してくれたおかげで オナニーさせていただく そおゆう気持ちこそが ストレスの多い 現代社会には 必要なのでは ないのでしょうか。
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