も*う*は*う*け*い*じゃ*な*い*か*ら♪
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2007年05月14日(月) オナニー説法

注射が好きです
ぶっとい注射が好きなのです
いえ
隠語でなくて
ぶっとい肉棒注射を
私のアナルにねじ込んでええええ
ってんでなくてね
例えば採決注射の場合
赤い血が

紅い血が
それが自分が人間であることを
認識させてくれるわけで
仮性包茎でも
プチEDでも
チンコ小さくても
加藤鷹やチョコボール向井と
同じ血が流れているとわかると
少し勇気がでてくるのです
少しチンコに
自信が持てるわけですよ
そもそも
ここ数週間続くオカズ不足
夜のオカズ不足

ともなうオナニー不調
不調オナニー
婦長のオナニー
それは私の情緒の不安定
及び
それからくる体調不良に拠るもの
だと思い

そうだそうに違いないと疑いもなく
だがしかし
本当にそうなのか
原因があれば結果があり
結果があれば原因がある
だからこそその原因の思い当たるフシナンバーワンこそ
情緒不安定及び体調不良
そう思い込むのも仕方がなく

勿論何%かはその要因もあるだろう
だがしかし
かといって
不調オナニーを他人の責任に転嫁してはいけない
否むしろ
情緒不安定の体調不良というもの
社会的に言う
ストレスというものなのだから
ストレスというもの
社会で生活している以上
多少の軽減はするものの
完全消滅というものは難しく
だからこそ
全ての責任をけして無くなることの無いストレスになすりつけると
2度と脱出することのできない無間地獄に陥りかねないので
むしろ
隊長が不調なら
今度は隊員達がサポートしてやらねばならず
それでこそ
チームであり
隊長が婦長なら
隊員はナースで
退院は許可できますか先生
って
何の話だ
ともあれ
その要因の可能性を残しつつも
他に
原因はないのか
全裸になり
座禅を組み
チンコの皮を引っ張って
さあみんなで考えてみよう
そもそも
興奮のメカニズムは
非日常にあり
つまり
普段は下着や洋服で隠されている女性の身体
また一糸まとわぬ姿を見せてくれるのは
心を許した
あるいは
高額なお金を支払える
ごく限られた一部の人間限定であるという社会風潮から
デートや駆け引きなど
紆余曲折を経て
たどりつく女体
そう簡単に手に入らない非日常
であるからこそ男は興奮し
逆もまた真なり
女はじゅんっとなるわけで
がしかし
幸か不幸か
日本はAV先進国であり
欲すれば
安価で女性の身体を観ることができる
ただ手で触れることはできないのだけれど
しかしばがら
興奮する為には視覚というのも重要な要素であり
だからこそ視姦がときには興奮したりするのだが
ともあれ
いくら非日常であれど
それを毎日繰り返せば
それはやがて日常となり
ともすれば
人間とは愚かな生き物で
一度手に入れると
ついそのぬるま湯にどっぷりと
いつしかそれは慣れとなり
慣れのつぎには
だれ
がくる
つまり
私のチンコも
AVを観過ぎるあまり
女性の体に慣れてしまい
挙句
女性の体に
だれてしまっている
と考えられるわけで
勿論
AVの醍醐味は女体だけではなく
女性の喘ぎ声や喘ぎ顔
女性の着衣及びそんな顔して大胆な下着
あられもない姿
潮吹き挿入姿
女性の様々な姿を発見することができ
AV自体を否定するものではなく
ただ
ただ
一度チンコがだれてしまうと
視覚のみでは
なかなか興奮はおぼつかないわけで
じゃあじゃあじゃあじゃあ
ではではではでは
庭には庭のニワトリがいるように
AVを観なけりゃ
女体を
日常から非日常に戻せばいのではないか
といった概念は
病気になったらただひたすら投薬の
対処療法でしかなく
日本古来の伝統臭いものにはフタ主義であり
仮に
AVをしばらく休止して
チンコが元に戻ったとしても
それは一時的なもので
風邪と同様に
また近い将来
同じような状況になるに過ぎないのであり
そもそも
オナニー不調でありながら
チンコ不調でありながら
でわ何故
オナニーを続けるのか
それは
ハッキリ明確とした性欲が
私の中に私の股間に存在するからで
また
AVを観たい
なんなら本物の女性とも性行為したい
それが叶わないなら
やはり
AVを観たい
女体が観たい
という明確な意思がチンコにあり
そのくせ
不調であるから
こうした精神スパイラルに陥っているわけなんだよ
さて
暖冬のわりには
なかなか朝晩の冷え込みは厳しく
異常気象を二酸化炭素にのみ責任を押し付けて
と思えば
5月でありながら
大阪では日中の気温が30度を超える真夏日になり
暖かく
いやさ
暑くなれば
青姦の季節

薄着の季節なわけで
薄着になると
分厚いコートで隠された
ボディーラインや
下着のライン
ときには下着そのものが露出され
つまり
女性とはいえ
全ての女性には
色は違えど乳首があり
カタチや大きさは違えど尻があり
それを覆っている下着があり
そしてその中には
おまんまんさんがあり
クリトリスがあり
ビラビラがあり
それを覆っている陰毛がある
これこそ
神が与えたもうた唯一公平な要素である
つまり
女体が日常であるからといって
それを拒否するのではなく
日常であるからこそ
忘れがちなその魅力について
考える必要があるのであり
何故
女性のおっぱいは
誰しも膨らみがあり
そして柔らかいのか
そしてスイッチのような乳首があるのか
グミのようなフグのような食感があるのか
何故女性の尻には
流線型でハリがあるのか
触っていると飽きないのか
否むしろ
乳首はそんなに感じるのか
れろれろするのがいいのか
噛むのがいいのか
否むしろ
尻はまず触る前に叩け
それから舐めまわせ
つまり
キレイなあの娘も
ブサイクなあの娘にも
やさぐれたあの娘にも
ワイルドなあの娘も
しわがれた熟女にも
女を捨てたはずの熟女でさえも
誰にでもあり
誰にでも感じる
誰にでもあるからこそ
変態だろうが
犯罪者だろうが
小市民だろうが
同じ人間だと共感する
そして共鳴するわけで
つまり
私は

私達は
我々は
オナニーしているのではない
誰にでもある
誰でもある
おっぱいや
乳首や
尻や
おまんまんさんや
女体全て
そういったもののおかげで
オナニーさせていただいてる
常に
感謝と
ありがたみを忘れず
女性の身体で
女性が様々な事情でAVに出演してくれたおかげで
オナニーさせていただく
そおゆう気持ちこそが
ストレスの多い
現代社会には
必要なのでは
ないのでしょうか。



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