つれづれにっき |
■ お空の向こう。
始まりがあるという事は、いつかは終わりがあるという事で。 それがわかっていても、誰もがその終わりのためではなく未来のためにがんばっているんだから。 はい。いい加減、自分の感情表現が激しくなった事を学習しましょう(苦笑) 今、この日記を書いている間にも新しい炎が生まれたり、消えたりしているんだろうけれど。正直、自分のことで精一杯でそこまで深く考える余裕がなくて。 でも、身近なところで誰かが消えてしまうとなると話は別だろうけれど。 それでも身近にいなくても、親しい人が知っていたり、大好きな芸能人さんとか絵描きさんが居なくなったら、同じように悲しくなるんだろうね。 今まで会った事のない人だけれど、その人の炎が消えた事を知って、その人が周りの人に愛されていたのだと知って。どうしてその人が亡くなったのか良くわからないし、その人がどういう人かもよくわからないけれど。ただ、その人の写真を見て。でも、もうその人はこの世にいない人なんだなと思って。涙が出てきました。 はじめまして、こんにちは。 貴方にお会いできなくて、非常に残念です。 機会があれば、貴方の居た空間を共有できたらいいなと思っていたのですが。 いまさらながら、何でもっと早く共有できなかったのだろうと、ちょっとだけ後悔しています。 こういう時、伯父さんの言葉を思い出します。 「幸せだったよ」 伯父さんが病の為に、命の炎を消す前に言ったコト。 実際に聞いてはいないし、本当にこういう風に言ったのかどうかはわからないけれど。 生きていて幸せだったよ、そういう風な言葉を残してくれた事は覚えています。 2日前は元気だったのに、消えてしまったお祖父ちゃん。 私の中で最後の姿はとても印象的。 だからこそ、中学1年のあの瞬間は忘れる事ができなくて。 多分、今再現しようかといわれたら、出来ると思う。 段差があるので、扉の端をつかんでゆっくりと上がっていましたね。 クラスは違ったけれど、私によく声をかけてくれた子。 偶々、夏休みの免許センターで出会って、沢山お話したのを今でも覚えています。 いかりや長介さんや飯島夏樹さんが亡くなった時も、会った事のない方でも私にとって好きな人だったので悲しい思いをしました。特に、飯島さんは会社でその事実を知って、休憩中に凹んでいましたし。 私がいなくなったら、誰か泣いてくれるのでしょうか? はっきり言って、今から怖いのです。 自分が消えた後もそうですし、自分が消える前に消える人たちのことを考えると。 そんな事を考えていたら、生きてはいけないんでしょうけれど。 ああ、まだ涙が止まらない…。 というか、まとまっていないし、暗いなぁ。 2005年08月23日(火)
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