大学の公開講座の「カウンセリングセミナー」に行って来ました。 講師は、私がクライアントだったらその人の顔を見ただけで、「もう悩みは解決しました。失礼します」と言って帰りそうなタイプでした。(学生の時、"精神的に不安定"ということで、健康管理センターのカウンセラーを紹介された私が実際に取った行動。笑) でも今回は講義を受けるだけなので、素直に傾聴。 さすが専門家だけあって、知識は豊富でした。 今まで参加していた民間のセミナーでは得られなかった突っ込んだことまで学べてよかったです。
でも、「学生に"自分は何のために生きているのか?""自分の生きる意味は?"という悩みを持ってこられるのが一番困る」という話が出たときには「おいおいそれでいいんかい?」と心の中で突っ込んでしまいました。
こういう悩みはアイデンティティーディフュージョン(identity diffusion:自己同一性拡散)と言うそうです。 青年期の若者が一度は持つ悩みだと思うのですが、私はそれを長いこと引きずってました。(やっぱり学生の時カウンセリングを拒否したから?笑) 普通は身近な人物に、または宗教に、あるいは哲学に学んで解決していくものらしいです。 残念ながら、尊敬できる人物が身近にいなかったし、宗教はイヤだし(キリスト教は少しだけかじったけど)、ナマケモノなので哲学も学ばなかった私に「道」を示してくれたのはある人の音楽で。彼が私と同じような悩みを、音楽を通して解決していったその姿勢に襟を正されて、私もしっかりしなきゃとカツを入れられたのですよね。 同時にカウンセリングも受けて。そのカウンセラーも「けっ」って感じだったのですけど、担当の医師がいい人だったのでその人に話を聞いてもらいたくて通ってました。 カウンセラーは話を聞くだけでなくクライアントの無意識の心の動きを指摘し、気付かせるという役割もあるわけだから、ある程度の知識や経験も必要だと思うのです。ということで、「自分も昔そういうことを考えていて、哲学の本を読んで解決したよ」という担当医に惹かれたのです。 私は自分を教え、導いてくれる人に弱いです。 カウンセラーにもそれを求めます。それがかなえられそうにないと判断すると憎しみを抱きます。(世間の「大人」に抱いたように) 17の時に、保健室の先生に話を聞いてもらっただけで楽になったという経験がある私は、漠然とカウンセラーという仕事への憧れがあるのですけど、コンプレックスが多すぎるのでまだまだ難しそうです。
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