おひさまの日記
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2002年08月03日(土) 天使

私はさほどサイキックではない。
天使の姿など見えない。
その声も聞こえない。
でも、過去に一度だけ、あれは天使だったのだと確信できる人物に出会ったことがある。
もう数年も前の話しだ。

とても辛いことがあった。
私は泣きながら車を運転していた。
「助けてください!
 助けてください!
 私を救ってください!」
声に出して叫んでいた。
かつてないくらいに打ちのめされていた。

しばらく走ると、少し先に自転車に乗ったおばあちゃんが見えた。
腰も曲がっているらしく、背中を丸め、ゆっくりゆっくり自転車をこいでいた。
そのおばあちゃんを車で追い越した。
と、その時、彼女が乗っていた自転車のカゴにキレイな花がいっぱい入っているのに気付いた。
可愛いピンクの桃の花と、元気な黄色の菜の花だった。
それが目に入った瞬間、無意識のうちに、私はブレーキを踏んで窓を開け、おばあちゃんに話しかけていた。
「おばあちゃん、キレイな花だねぇ」
「あ?これがぁ?キレイだろ?(←なまってる)」
「うん、すごくキレイ」
「んじゃあ、おめぇ、降りで来いよー、これさやっがら」
「え?いいの?」
私は車を降りて、おばあちゃんのそばに行った。
彼女は、しわしわの手で、桃の花と菜の花を自転車のカゴから無造作にとって、いっぱい私にくれた。
「おらぁ、行商してんだー。野菜とか、花とかなー」
と言いながら、さらにたくさんの花を差し出した。
「ありがとう、嬉しい」
私は両手いっぱいの花の匂いを吸い込んだ。
「おばあちゃん、野菜とか売ってるなら、私ひとり暮らしだし買いたいな。
 どうすれば会えるの?」
彼女は、自転車にまたがり、ぎこちなくこぎ出しながら言った。
「あー?会いたい時はいづでも会えっがら」
そして、ゆっくりと去って行った。
私そこに立ち尽くしながら、小さくなっていくおばあちゃんを見送った。
彼女は、やがて山道の奥の方に消えていった。
あまりに突然の、そして、瞬間の出来事で、まるでキツネにつままれたような気分だった。

そして、ふと気付くと、私はとてもハッピーな気持ちになっていた。
この世界が愛でいっぱいで、微笑まずにはいられないような、そんな気分だった。
あたたかくて、ワクワクして、さっきまで悲しみと失意に暮れていた私はもういなかった。
「この短い瞬間に一体何があった?」
私にはさっぱりわからなかった。
ちょっとなぐさめられた、辛い気分から目がそれた、そんなものではないのだ。
両手いっぱいの花を抱え、まさに私は至福の中にいた。
苦しんでいる環境も問題もそのままそこにありながら、私はまるでさっきとは別人だった。
心の中に不思議な勇気と希望がむくむくと湧いてきて、悲しみはみじんもなくなっていた。
不思議で仕方なかった。

次の瞬間、私の中に「天使」という言葉がひらめいた。
そう、天使、天使か・・・天使。
あのおばあちゃんは天使だったのか。
それなら納得がいく。
一瞬にして私の悲しみや苦しみを癒し、そこに幸せの種を捲いていった。
私の周りの出来事は何も変わらないけれど、その中に身を置く私が一瞬にして変化した。
そうか、そうだったのか、天使だったのか。
そして「会いたい時はいづでも会えっがら」という言葉が、私を妙に嬉しくさせた。
そうか、いつでも会えるのか、こんな形で。

私は今でもそのおばあちゃんが天使だったと信じている。
美しい羽を持ち、ドレープがいっぱいの衣をまとってはいなかったが、確かにあれは天使だった
そう思わざるを得ないほど、あのおばあちゃんとの短い時間に、私は奇跡の体験をしたのだ。

天使は、時に、人の姿をして現れると聞いたことがある。

大成功の頂点にバブルがはじけて倒産した青年実業家が、
自暴自棄になってブラジルへの片道チケットだけ買って逃避行した時、
海辺で老年のビーチボーイが声をかけてきた。
「何をそんなに沈んだ顔してるんだい?
 もっと楽に生きなよ、ボーイ。
 なんならここで一緒にビーチボーイになったっていいいんだ」
その言葉で、彼はハッと我に返り、何かをふっきり、何かを得たそうだ。
そして、日本に戻ってまた事業を立ち上げ、大成功をおさめた。
そのきっかけになったビーチボーイにお礼が言いたくて、彼は翌年、ブラジルのその海辺に行った。
しかし、その人物に該当するようなビーチボーイはいなかった。
地元のあらゆる人に聞いて回ったが、見つからなかった。
その辺りで、英語を話すビーチボーイはひとりもいないことを、ポルトガル後が話せない彼は、通訳を通して知った。
彼が出会った老年のビーチボーイは流暢な英語を話したのだった。
彼が理解し話せる英語を使って話しかけてきたその老年のビーチボーイは、実は存在しないことがわかったのだ。
そして、その青年実業家は、彼は天使に違いない、と、後日友人に語ったそうだ。

それは、私がおばあちゃんと出会った少し後、たまたまスイッチを入れたラジオから流れてきた話だ。
まるで、私が直感で感じた「おばあちゃんは天使だ」を、裏付けるみたいに。

その青年実業家と私の共通点は、
大したことは言われていないのに、瞬間的に救われ、自分の中に何かを見い出したということだ。

それ以来、私は、そんな体験はしていない。
けれど、それから、ふと目に留まって開いた本の中の一行から、
たまたま電話をくれた友達の言葉の中から、
たまたま、スイッチを入れたラジオのDJの言葉の中から、
そして、ひらめきや直感の中から、天使のメッセージを受け取っていることに気付いている。

本当にどうしようもなくなった時、私達は、自分以外の大きな存在にいつも助けられているのだと感じる。
そして、彼等は、本当にどうしようもなくなった時にしか現れないのかもしれない。
いつもは、私達の選択や意志に任せて見守ってくれている。
それこそが真実の愛なのだろうなぁ、と、思ったりする。

なぜだろう、急に「おばあちゃん天使」を思い出した。
そう言えば、ずっと昔、いつか自分のHPを持ったら、この話を絶対に公開しよう、
そう思っていたような気がする。
今、その時、というわけか?

ねえ、私の天使さん?


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