おひさまの日記
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2003年04月03日(木) |
That's the life |
アンナが眠り、ダンナは飲み会、夜、ひとりになった。
人が生きるってどういうことなんだろう、 そんなことをぐずぐず考えていた。
セラピストって一体なんだろう、 同じ人間なのに、人様に向かって一体なにしようというのだろう、 私だってボコボコだし、性格もイヤなとこいっぱいあるのに、 一体何ができるっていうんだろう、 そんなことを考えていた。
もちろん、答えなど出ない。
とうとう、自分が情けなくなって泣いた。 もう何もできない、私なんかダメだ、そう思った。
しばらくうずくまって顔を上げると、 たたんでいない洗濯物の山、散らかったアンナのおもちゃ、 片していない夕飯の食器、脱ぎ捨てた服、 そんなものが家中に散乱して、ゴミ捨て場のようだった。
なにもかもがイヤになった。 まるで、私の心の中みたいな散らかり様。 それを片付けることもできずにグズな私。 そして、またうずくまった。
少ししてまた顔を上げた。 こうしてうずくまっていても何も変わらないんだ、そう思った。 人が生きるって一体なんなのか、そんなことはわからない。 セラピストが一体何様なのか、何ができるのか、そんなこともわからない。 でも、目の前にある散らかった家の中をなんとかすることはできる、 そう思って、ものすごい勢いで片付け始めた。 小一時間もすると、家の中はずいぶんとキレイになった。 とても気分がよかった。 そして、やればできるじゃん、そう思った。
私は人生についてや、セラピストの云々を知ることはなかったけれど、 家の中をキレイにするという作業をした。 生きることとはこういうことだと思った。
目の前にあるものから逃げないこと、とにかくできることからやること、 自分がそれをしなければ、いつまで経っても何も変わらない。 それがたとえ、人生の真実や悟りとは程遠い片付けであっても。 それが何かにきっとつながるんだ、 なぜかよくわからないけれど、そう確信した。
できない、わからない、そう嘆くのは甘えだ。 時にはぐずぐずしても、甘えても、弱音を吐いてもいい。 サボったっていい、逃げたっていい。 でも、いつまでもそうやっているのは、 体よく生きることを放棄していることかもしれない、そう思った。 自分の価値や力や輝きを、自らつぶしていることかもしれないと。
生きるとは生々しいことだ。 常に目の前にあるものと対峙し続けることだ。 そして、行動あるのみなのだ。 わからなければ、わからないなりに、もう、動くしかない。 動いていると、いつか答えに出会う。
家の中をすっかりキレイにした私の中には、小さな可愛らしい炎がポッと灯った。 なんだかよくわからないけれど、またうまくやれそうだと思った。
傲慢な奴にはなりたくない。 私は何も知らない、何もできないのだ。 だからこそ、こうして生きているのだ。 生きてそれを知るのだ、できるようになるのだ。 それが人生だ。
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