おひさまの日記
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2003年05月05日(月) |
アンナ、泣く、母、気付く |
今日、家族で家の片付けをしていた。 ダンナがリビングの片付けを終わらせたのを見て、アンナが泣き出した。 なぜ悲しいのか聞くと、 みんなは早く片付けられるのに、 アンナは早くできない(自分の部屋がまだまだ片付いていなかった)、 だから自分がキライ、自分はダメな子、そう思ったのだと言う。 だから、ものすごく悲しくなったのだと言う。
彼女の中には「私はダメな子」「私はできない」というキーワードがあるらしい。
だから、片付けの間、私にせっつかれていたこともあるし、 たまたま片付けのことで悲しくなったけれど、 本当はその引き金となるものはなんでもよかったのだ。
しばし、だっこして泣かせた。 彼女の悲しみに同調し、うんと吐き出させた。 そして、大人は早くできて当然、子供は遅くて当たり前、 だから、アンナは全然悪くない、遅いのはおかしくないと話して聞かせた。
私のその言葉を聞いて、アンナの口から出てきたのは、片付けのことではなかった。 保育園での友達との関係のことだった。
まず、ひとり目の子について。 ものすごく意地悪な子がいて、アンナが仲良くしたい子に近付くと、 怒ったり、たたいたりして、引き離されてしまうそうだ。 で、好きな子と遊ばせてもらえないらしい。 親同士の中でも、その子は性格がきついという噂の子。
もうひとりの子について。 その子はアンナのことが大好きらしく、ものすごくしつこくついて回るらしい。 でも、性格もきつい子で、アンナがその子がイヤで逃げると、追いかけてきて、 食事もおやつも隣の席に座られてしまい、他の子と仲良くさせてもらえないらしい。 アンナはその子が嫌いなのだそうだ。 なのに、怒ったり、叩いたりしながらでもアンナにつきまとい、 その子から逃げられないと言う。
アンナが悩むふたりの友達との関係の背後には共通のパターンがあり、 それは「好きな友達に近付けない」ということだ。 それを暴言や暴力で阻止されている。 つまり、自分の心地よい状態になれない、 無理のある、我慢のある辛い状態にならざるを得ないのだ。
そして「私はダメな子」「私はできない」というキーワード。
アンナはこうも言っていた。 「アンナはね、我慢してやさしくしてるのに、 怒ったり、叩いたり、フン!ってされるんだよ」
これは、まんま私とアンナの関係なのだ。
ああ、やっちゃった…って思った。 私との関係にあるパターンを、 アンナは自分の人間関係にすでに反映させている。 「私は何もできないの、自分の思い通りにはいかないの」 「私はダメな子、我慢して、望みを叶えないことが、 人間関係をうまくおさめる方法なの」 そんな観念を、彼女はすでに4歳にして持っているらしい。
でも、嬉しかった。 今日、片付けがきっかけだったけど、 いつものように怒らずに、彼女の感情を受け止め、 「今まで辛くて、でも言えなかったんだよ」 彼女がそう言っていたことを吐き出してもらえたことが。
過ぎたことは悔やんでも仕方ない。 4年半のプロセスがあって、今日のこの出来事があったから、私も気付けたのだ。
今、この時点から私にできることは、アンナへの癒しだ。 私はそれに死ぬ気で取り組めばいい。 今だからそれが見えたのだから。
私は泣いているアンナに言った。 今度そういうことがあったら、その友達をボコボコにしてこい!と。 ママがいくらでも謝ってやる、 イヤなら保育園変えたっていい、暴れてこい!と。 だから、自分の気持ち伝えていいんだ、 イヤなことはイヤと言え、人のために苦しくなるな、と。
小さな手で涙をすくいながら、目を腫らし泣いていたアンナは、 立ち上がって、エイッ!暴れ始るゼスチャーを始めた。 そして「アンナがケンカしてケガしたら、すぐ迎えに来てね」と言った。 私が「うん、飛んで行くよ」と言うと、アンナは「どうやって飛ぶの?」と聞く。 「厳密に言うと、車を速く走らせて行くんだけどね」と私は笑った。 そして、こう付け加えた。 「強くなれ!強くなっていいんだ!怒っていいんだ! ママを叩いたっていいんだ。 うんとケンカしよう。 ケンカして仲良くなろう」
友達をボコボコにしろだの、 こんなひどいこと言うママは恐らくいないだろう。 そういう意味で、私はきっと落第点のママなんだと思う。 でも、私は落第点でもいい。 私が一番大切なのは、アンナの心なのだ。 友達をボコボコにしろ、と言った私の言葉の先に、 きっと、アンナは別のものを見い出すはずだ。 だって、とても賢い子だから。 私はアンナを信頼している。 学ぶ力を持った素晴らしい子供だと、心から信頼している。 私が信頼しなくて、一体世界中の誰が彼女を信頼するのだろう。
ベッドに行ってからも、今日はママにいっぱいお話ししたいと、 珍しく、今までの辛かったことをいっぱい私に話してくれた。 そして、「これで安心して眠れるよ」 そう言うと、アンナはすやすやと眠りについた。
今日は、私にとって、とても意味深い日となった。 今日から、私とアンナの新しい関係をスタートさせようと、心から思えた。 まさに、癒そう、そう思えた。 その決意は、私にはトラウマがあるからとか、そんなものを越えた、 ものすごい底力のようにも思えた。 これが、純粋に、きっと母の想いなのだとも思えた。
子供は常にSOSを送っている。 今日だってそうだ。 片付けのことでアンナは泣いたけれど、本当は片付けはどうでもよかったのだ。 そこで引き金を引かれる潜在的な想いの部分を、実は、訴えている。
それを拾えた私自身も、今日はほめてあげたい。 一緒にいる時間のほとんどが、エゴで振り回す日々だった。 だからこそ、ここから、私はやり直せると思った。 「できない」ではなく、「やる」のだ。
アンナ、泣く。 母、気付く。
生きるとは、まこと、面白く、奥深い作業だ。
まだ間に合う、まだ間に合う、 私は祈るように自分に言って聞かせた。
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