おひさまの日記
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2003年07月16日(水) |
自分の恐れに直面する時 |
アンナが眠る前に言った。 「ママ、明日はいいことあるかなぁ…」 私はちょっと不安な気持ちになって尋ねた。 「明日イヤなことがあったらどうしようって思うの?」 するとアンナは「うん」と答えた。 私はものすごく悲しくなって動揺した。 こんな小さいのに、明日に不安を感じている。 そして、彼女に言った。 「なんで、また来ていない明日のことが心配なのかな。 明日は明日、なるようになるのに。 明日のことは明日考えたら? 考えると悲しくなるの? 怖いの?」 すると彼女は答えた。 「ううん、悲しくはないけど、そう考えちゃうの」 私はもうその話を終わりにしたかった。 なんだかその会話が苦しかった。 「ヘンだね。 明日はまだ来ていないんだから、何もわからないじゃない」 アンナは黙って、やがて、そのまま眠りに落ちていった。
私の中にものすごい悲しみが押し寄せてくるのを感じた。 悲しい。 悲しい。 ものすごく悲しい。
眠ろうとしたけれど、眠れない。
その時、なぜか、ふと私の頭の中にある本が浮かび、 セッションルームからそれを持って来て開いた。 「親と子供をむすぶ奇跡の会話 ー信じる愛、受け止める心ー」 そこには、こんなひとことがあった。 『うれしかった気持ち、かなしかった気持ち、くやしかった気持ち、 まるごと受け止める気持ちが心をつなぐ橋になる』 そんな当たり前のひとこと。 そして、次に目に入ったのが、 『泣きたいことに気付くだけで安心して眠れる』 というひとこと。
ものすごいショックを受けた。 こんなわかり切ったことを、私はしていなかったんだ、と。 私はできなかったんだと。
そして、知った。 アンナが不安になったり、悲しくなったりするのを見るのが、私は怖いのだ。 なぜなら、そういう気持ちになることが本当に苦しいことを知っているから。 この子はこんなに苦しくちゃいけない、苦しいはずがない、そう思いたかった。 そして「あなたのそのイヤな気持ちは幻なのよ」と言い聞かせようとしていた。 アンナがそんな気持ちになったら、私はどうしていいかわからなくなるから。
それと同時に、自分自身のことも知った。 私は自分の不安や恐れを見つめるのが怖いのだ。 そんなものないんだ!と通り過ぎたいのだ。 アンナに「あなたの不安と恐れは幻想なのよ」と言って聞かせる時、 それは、私自身への言葉でもあるのだ。 「やめなさい、やめなさい、そんなこと考えるのは。 やめなさい、やめなさい、そんなこと感じるのは。 黙って通り過ぎれば、ほら、なんともないでしょう? 封印しなさい、あなたの感じる回路を」 そして、アンナが不安になったらどうしてやっていいかわからないように、 私自身も不安になったらどうしていいかわからないのだ。 私は、怖いのだ、感じるのが。 自分の感情を。
その本で、次に目に付いたのはこんなひとことだった。 『きっといいことあるよ! お母さんにそう言われると信じられる!』
私は泣いた。 そして、眠るアンナの耳もとで繰り返した。 「大丈夫、明日はいい日だよ。 いいこといっぱいあるよ。 素敵な日になるんだよ」 それは私がずぅっと欲しい言葉だったのかもしれない。
「大丈夫だよ。 あなたなら大丈夫。 いいことあるよ」
私の中で何かがパーン!と弾けた。
たとえ、どんな苦境の中にいて、先が見えなくても、 私はそんな言葉が欲しかったのだ。 私達の体験は、私達をどこか高い所へいざなう。 それなら、その深遠な気付きの旅が安心できるものなのだと、 ほんのひとこと言ってほしかったのだ。 それだけでよかったのだ。 そうすれば、目の前の出来事がどうにもならなくても、 自分の心がその痛みある場所を離れることもできるのだ。
私はそれを理解した。 頭では知っていたけれど、ようやく腑に落ちたのだ。
私は自分の不安や恐れに直面するのが怖かった。 それを見てしまったら、どうにもならないと思っていたから。
私が自分の不安や恐れを見ないできたのは、 その不安や恐れが「永久不変の真実」だと信じてきたからだ。 絶対に消えないものであり、コントロールできないものであり、 自分を蝕むものだと、固く、固く、信じてきたからだ。 見ないでいたからこそ、 不安や恐れは永久不変の真実だったのだ。
でも、今日知った。 それは違っていたのだと。 不安や恐れは直面することで消えるのだ。 そして、それらは「真実」ではなく「幻想」なのだと、 直面して、真っ向から向き合って、初めて知ることができるのだと。 そして、その不安や恐れが消えていくのは、 「大丈夫、そこからまたいい場所に行くんだから」 そんなひとことを愛と一緒に受け取った時なのだと、私は知った。 時には、わはははは!と笑い飛ばすことだっていいのだと。
そして、通り過ぎた時、私達は初めて、 その不安と恐れの中で受け取っていた贈り物に気付けるのだと。 苦しい!苦しい!と、もがいていた中での贈り物を受け取るのだと。
生きることとは限りなくシンプルだ。
私も、もう、逃げるのはやめよう。 私の中にいてかき消されてきた数々の不安や恐れから。 それらをただ受け入れよう。 受け入れて、幻だったのだと気付いていこう。 怖い、怖い、不安だよぅ!そう心から感じよう。
自分の恐れに直面する時、 私達は初めてそれが幻だと知って手放すことができる。 怯えていたおばけは、ただの自分の影だったのだと知ることだろう。
では、どうすれば自分の恐れに直面できるのか? それは、人の恐れを受け入れるいこと。 怒りや、不快感、憎しみ、さげすみ、見下しや、嫌悪、 そんなももの陰にある相手の恐れ。 それを受け入れる時、 私達は自分が見ようとしないできた自分の恐れにおのずと直面する。 今、あなたが問題を抱えているなら、その相手の痛みを知ることだ。 そこにあなたの心の鍵がある。 最も「情状酌量の余地なし」と思える相手の痛みを、だ。 それを知ることとが、あなたの真実を見る唯一の方法だ。
人は自分自身のシャドーでしかないのだから。 「シャドーの原理」の理解なくして、 自己理解はあり得ないと言っても過言ではないかもしれない。 自分の世界にある鏡は、自分の姿をあまりよく映さない。
悲しんだり、苦しんだりすることは、不幸なことじゃない。 生きることなんだ。 呼吸と同じなんだ。 呼吸しなかったら私達は死んでしまう。 私達は、それらの感情から多くを学ぶのだ。 現に今日の私もそれらを感じたからこの気付きを得たのだ。 魂はそれを何よりも望んでいる。
換気扇の下でタバコを吸っていると、声が聞こえたような気がした。 ガイドなのか、自分自身なのか、わからない。 でも、流れ込んできた声。 「よく気付いたね、よくここまで来たね」 私は、ただ「はい」とうなずいた。
明日から、私は、 アンナと一緒に、目一杯、不安や恐れを一緒に感じて、 一緒に戸惑い、一緒に苦しみ、一緒に越えていこうと決意した。 いいママにはなれないかもしれない。 でも、アンナの世界でただひとりのママにはなれるよ。
あなたの言葉から私に訪れた大きな気付きをありがとう。 私の天使、ママの小さな宝物へ。 愛しています。
あなたは何が怖いですか? きっと大丈夫だから向かい合ってみて。
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