おひさまの日記
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2003年08月24日(日) |
レンタルビデオ屋のお兄ちゃん達とアンナの物語(すんばらすぃ気付き編) |
今日、アンナが見るビデオを借りに、某レンタルビデオ屋に行った。 そこは、安いんだけど、ものすごぉーく店員の態度が悪くて有名なの。 今日も今日とて、3人いた店員はみんな無愛想で態度は最悪。 正直、かなり不愉快で腹が立った。
アンナはそんなことにはお構いなく、自分の見たいビデオを選んだ。 そして、そんな店員と口もききたくない私は、 アンナに会員カードを渡して自分でレジに行かせ、後ろからついていった。
アンナはカウンターの前に立つと、 ものすごく大きく元気な声で「お願いしまーす!」と言った。
すると、態度の悪い店員達は驚いた様子で、 今まで接客中にもやめなかったおしゃべりをやめた。 そして、その中の一人がアンナの小さな手からカードとビデオを受け取ると、 戸惑いながらもいい感じで接客してくれた。 もうひとりの店員が袋に入れたビデオをこちらに渡すと、 「ありがとう!」と、これまたものすごく大きな声でアンナがお礼を言った。 すると、その店員もはにかんだようにちょっとにっこりした。 そんな彼等を見て、さっきまでカッカしていた私も、 思わず「お世話様でした」と、これまたにっこりしてしまった。 彼等は、去っていく私達の背中に「ありがとうございました〜」と、 気迫はないけど、しっかりハモった声で言った。
店の階段を降りながらアンナが言った。 「お兄ちゃん、やさしかったね」
私はこの出来事にひたすら感動していた。
あのチョー態度の悪い3人の店員、 カウンターに来たお客さんには声もかけずに、 横を向いて自分達の話で盛り上がり大笑いしながら接客していた。 接客していない店員はポケットに手を突っ込んでいた。 もし「テメーら最低!」と思ってる私がカウンターに行き、 そう思いながら取る態度でビデオを借りたらどうだっただろう? きっと、彼等は、他のお客さんにしたように、ダラダラした態度だっただろう。 そして、私はもっと怒ってガン飛ばしたに違いない。
でも、彼等は、私達にいい感じの接客をしてくれた。 それは、アンナが礼を以て接したからだろう。 彼等の態度が悪いとか、感じが悪いとか、そんなこと考えず、 純粋にビデオを貸してくれる店のお兄さん達だと思って。
そして、アンナが彼等に与えたものが、そのまま彼等から私達に帰ってきた。 子供の力はすごい。 その無意識の純真無垢さ、素直さは、まさに魔法だ。 それは、アンナだけでなく、すべての子供の中にある。 そして、それは、私達の中にもあったし、掘り起こせば今もある。
ま、彼女はそんなことなーんも考えず、ただ素でいたんだろうし、 何もよくわからんってこともあったんだろうけど、 子供だからこその素がそれって素敵なことだ。
今、巷でも有名な江原啓之さんの一冊の本の中に、 「全ての人を善なる存在として見ることが大切」 というようなことが書いてあった。
今日のビデオ屋のその一件で、私はその意味がハッキリわかった。
私が彼等を「ひどい奴ら」だと裁き、彼等にそのレッテルを張って接する時、 彼等は私が張ったレッテル通りの人間になる。 けれど、アンナのように、 彼等を「ビデオを貸してくれるお店のお兄ちゃん」として、 感謝の気持ちを込めて接する時、彼等はその気持ちに見合った人間になる。
もちろん、彼等がいつも横柄な態度でいることの根本までが 瞬時に変わるわけではないだろう。 けれど、時間を共有するその間、 彼等は一瞬でも、与えられたものに見合った人間になる。
私はそのものすごい瞬間の目撃者となったのだ。
人は自分が発したものを必ずまた受け取る。 攻撃すれば攻撃される。 憎めば憎まれる。 やさしくすればやさしくされる。 与えれば与えられる。 それが、その場のやり取りでなくても、いつか巡り巡って、 自分が発したものは必ず自分に返ってくる。
人はすべて善なるもの、そう思って人に接したら、 たとえ、その時は腹が立っても、 その後にそういう想いを少しでも持って、仕切り直して接したら、 必ず私達は素晴らしいものを目撃することになるのだろう。
それは、時に、難しいことかもしれない。 けれど、それをやってのけることで、 人生はより快適で素晴らしいものになるのだと、 今日、心の底から感じた。
そして思った。 目指すべき道はこれだよなぁ、って。
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