おひさまの日記
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2003年09月13日(土) アンナ、初めての意思表示

アンナには、あまり好きでない友達がいた。
その子は結構ワガママで気性の激しい子。
一緒に遊ぶと、いつも言い負かされたり、叩かれたりして泣く。
かと言って口も出せず、見るに忍びない。

その子のことをイヤだと言う割に、なぜかいつも一緒にいるので、
私が「別の子と遊べば?」と言うと、
「でも、遊ぼうって来るからイヤだと言えない」とめそめそしていた。
とにかく気弱だったのね。

私は事ある度に、アンナに、
「イヤなものはイヤと言うんだよ。
 それを伝えないと、相手にはわからないんだよ。
 我慢してイヤなことをしていたら心が痛くなるでしょう?」
そう伝えていた。

そんなある日、アンナはとうとう自分の意志を、その友達に伝えたらしい。
保育園から帰ると、
「今日ね、○○ちゃんが遊ぼうって言った時、
 他の子と遊びたいって言えたんだ」
と、私に話した。
どんな気持ちだったか聞いてみると、
「本当のことを言って、好きなお友達と遊んだら楽しかった」
と答えた。

ウチのムスメっ子は、いつも自分の気持ちをアウトプットするのが下手で、
どうしたいのかを自分の中に飲み込んで、怒りもせず、ひとり泣いてばかりだった。
特に「イヤ」「ああしたい、こうしたい」が言えない子だった。

それが、とうとう、子供社会に出て荒波に揉まれる中で学習し、
今まで言えなかった自分の意志を相手に伝えて自分を救うという行為を体験した。

私は感動した。
子供はこうやって成長してくんだなぁ、って。

そして、それを聞いて、
「言えてよかったね。
 これからはそうやって自分の気持ちを伝えようね」
とアンナに言った。
「でも、恐い言葉で意地悪く言うんじゃなく、
 イヤだってことをやさしく伝えてね」
と付け足して。
彼女は「うん!」と答えた。

大切なのは意思表示。
思いやりのある意思表示。
攻撃でない意思表示。
人に自分の力をゆだねず、人のせいにせず、自分の力で生きる第一歩。
それは、生きることをラクチンにしてくれるのだ。
時に、意思表示をすることで辛くなることもあるかもしれない。
でも、そんな時、私達が本当に尊重すべきなのは、
一瞬の痛みよりも本質的な自分の意志なのだ。
最終的に自分を持ってそこに在ることが重要なのだ。
自分の本質に添った人生はそうやって成り立っていく。

でも、時に、意思表示が困ったちゃんになることだってある。
「私が!私が!」になったり、協調性を欠いてしまったり。
言いようによっては敵を作ることだってなる。
だから、思いやりのある気持ちとともに、
「意思表示をしないという意思表示」だって必要になってくる。
『私はここで黙ることでこの場をおさめます』という意思表示だ。
それは、普段自分が意思表示できる、している、という前提があって、
初めて意思表示へのこだわりが捨てられるのであり、場を読めるのであり、
黙る、飲み込むということもできるのだ。
最初っから言えなくて黙り込むのとは別の、意志ある沈黙ね。
陰があって陽があり、陽があって陰があるのと同じ。

アンナはその第一歩を踏み出したのだなぁ。
子供には教わることばかり。
アンナを見て、私は人生の縮図を見る。

私も、いい意思表示を、これから改めてしていきたいと思った。
そして、かなーり自分自身の反省もしたりした。

しかし、アンナ、やったね!
意思表示デビューおめでとう。
もっと、もっと、あなたの人生は素敵になるよ。

ママ、とっても嬉しいんだ。


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