おひさまの日記
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2003年09月21日(日) ビニールウォーマー

なんかの便利グッズみたいなタイトルだけど、違う。

ビニールウォーマー、それは「椅子をあたためる人」の意。
講演会や、セミナー、ワークショップ、
セラピー、カウンセリング、ヒーリング、
それらに代金を支払い、参加すれば、受ければ、
何か情報を学べるだろうと考える人達のことを言うのだそうだ。

本来、それらは、
人々が参加したり、受けたりすることによって、
彼等がそこから何かを見い出し、それを現実に活かし、
何かを生み出そうという努力の源になるべきものだ。

けれど、それらに依存し、
自分が行動していくことをせず、
ただ、それらに携わることだけで変化を迎えられると
信じ込んでしまっている人達もいる。
それが、ビニールウォーマーだ。

そして、そのようなビニールウォーマーを作り出しているのは、
それを提供する側であるとも言える。
例えば、セラピーで言うと、あるセラピストが、
セラピーが探り出すものよりも、セラピー自体に価値があるとしてしまった場合、
つまり、その人自身の内側にあるものを発見する手助けをするより、
テクニックを崇拝したり、システムを神格化してしまった場合、
相手から、考える力、感じる力、行動する力を奪ってしまう。

提供する側、提供される側、
一緒に、ただ、椅子をあたため合うだけのになってしまう。


昔、あるネットワークビジネスに誘われ、
そのセミナーに参加したことがある。
そこの女社長はパワフルで、彼女のひとことひとこと、一挙手一投足、
すべてが参加した人達の心を強く動かした。
ほぼ全員が感動して泣いていた。
そのインパクトたるや、
世界がまったく別のものに変わってしまったようなものすごさなのだ。
私は人生が変わったと確信した。

そのセミナーの余韻を感じながら喜々として日々を送っていたが、
やがて感動も薄れ、私はいつもと同じ日常の中にいた。
何も上手くいかない、何も変化がない。
そして、思った。
「あれ?何も変わってないや。あの感動は一体なんだったんだろう」

そう、私はまさにビニールウォーマーだったのだ。

ただそのセミナーに参加し、
ものすごいインパクトと感動を体験したことで、
自分に変化が訪れると思っていたのだ。
でも、それはお門違いだった。
セミナーはものすごいインパクトで感動的だったけれど、
そこで感動したことによって、
自分が自ら行動を起こし、何かを変えていく努力をしない限り、
何も起こりはしないのだ。
私にはそれが分かっていなかった。
感動の波にただ踊らされ、やみくもに情熱だけを人に語っただけだった。
それは選択による行動ではなく、衝動による裏付けのない行動だった。

私は、日々の中、自分を戒めなければならない瞬間を数多く体験する。
セラピストという立場を謙虚に受け止めることを忘れる時、
人間として、この仕事をしながら成長することを忘れる時、
まさに「神のイカズチ」のごとく一撃を食らう。
傷付いて、泣いて、苦しむことを与えられ、
私は忘れてはならないことを思い知らされるのだった。
神の愛は偉大だ。

ただ椅子に座り、セラピストという仕事にあぐらをかく時、
私自身もビニールウォーマーになってしまう。
自分の技術や知識を提供することだけが仕事になった時、
そこには、もはや、私がセラピストである必要さえなくなってしまう。
そのうち有能なアンドロイドでも開発されれば、
そんなことは彼等にだってできることなのだ。

そして、セラピーを受ける側の方へもお伝えいしたい。
セラピーを受けるだけで魔法のように劇的な変化が生まれるわけではなく、
受けて、そこから得たものを糧に、現実の中で行動を起こし、
あなた自身に何らかのストロークを与えていくこと、
それこそが真の変化を産むおおもととなるのだということを。

人間として這い上がろうともがくからこそ、
提供する側と提供される側、そこに行き交うもの生まれる。
たとえどんなに稚拙であれ、常に、人間性を高めていくことへの挑戦、
それが、生きるということなのかもしれないと感じるこの頃だった。

体験すること、それがすべて。
そこから生まれるものがすべて。


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