おひさまの日記
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私達は心の世界にたくさんのものを持っている。 喜びと悲しみ、希望と絶望、期待と不安、 それぞれに正反対のもの両方を持っている。
特に、負の感情、悲しみ、絶望、不安は、持っていると苦しいものだ。 だから、ない方がいいと思ってる人が多いみたい。 でも、別に持っててもいいんだよね。 それを持っていることは、いけないことでも、間違ったことでもない。 とても自然なことだ。
逆に、正の感情しかもってなかったらとても怖い。 一時期に流行ったポジティブ思考にも落とし穴がある。 ポジティブになろうとするがゆえに、 自分の中のネガティブなものを否定してしまうのだ。 もともと自然に存在しているそれを、 受け入れずに消そうとしたり、無視したりしてしまうのは、とても危険だ。 ポジティブになろうとしてなれない自分に罪悪感を持ってしまうことだってある。
ネガティブな想いだって無意味にそこにあるわけじゃない。
ポジティブなことだけ考え続けるってことは、 まるで「物は食ってもいいけどうんちしちゃいけません!」ってくらい、 ものすごく不自然で不健康なことだ。
これは、よくクライアントさんにも話すんだけど、 道教の陰陽マークにも見て取れるように、 陰と陽は常に相反する形で同時に存在し、 また、陰の中に陽、陽の中に陰がある。 これはすべてに通じる真理だ。
今日、私は、もう死んでしまいたい!と思うほど、 ネガティブな感情に翻弄されて、ぽろぽろと泣いていた。 泣きながら、肝を据えて、 「よっしゃ味わってやろうじゃないか! おいで、おいで、出ておいで!」 と、とことんネガティブな場所にい続けた。 しんどかった。 「私って孤独ぅ!」とか「私って誰にもわかってもらえないぃ!」とか、 ぐちぐちぐちぐちずーっと考えてた。 ずーっと、ずーっと、ずーっと、考えてた。 「私は一生こういう気持ちで生きていくのよぅ!」とか、 絶え間なく考えてほろほろ泣いていた。 しまいには吐いた。 でも、ずーっと考えてると、やがて混乱してくる。 混乱して、なんだかよくわからなくなって、どよーんとして、 少しずつ、どうでもよくなってくる。 そして、今は、ま、いっか、という感じになった。 何が、まあいいのかよくわからないけど。
ずっと考えてぐちぐちぐちぐちしてよう、と腹を決めると、 それは通り雨のようにどこかに行ってしまうものだ。 こんなのイヤ、こんなこと考えている私はダメ、こんな自分はよくないわ、 やめなくちゃ!抜けなくちゃ!変わらなくちゃ! そう思っていると、その行為自体がネガティブな想いへの執着にもなる。
こういう感情は、次の自分へのステップになる。 もちろんとっても辛いんだけど、必ずヒントになっている。 辛い時にそんなこと言われても「るせー、このヤロー」な気分かもしれないけど、 そこを抜けることで次に出会うものが必ずある。 夜明け前がいちばん暗いのだ。
それだけわかって、もんもんもんもんもんもん…としていればいい。 そして、本気でそこから抜け出したいと決断した者には、 それに必要な情報が来たり、誰かと出会ってきっかけをつかんだり、 おのずと道が開けてくる。 そのもんもんがあるからこそ、私達は変化への意欲を持てるのだ。 もうこんなのイヤだ!って思って。
これは書きながら自分にも改めて言い聞かせていること。 それに、心の痛みは私の商売道具でもある。 だから、私はなくなればいいとは思っていない。 いつでも誰かの痛みと共鳴していたいから。
ひとまずネガティブになろうよ。 それは辛いことではあっても悪いことではない。
私達は悲しんだり苦しんだりすることはできても、 悲しみや苦しみそのものになることはできない。
自分の中で完結していない感情に出会うことは素敵なことだ。 その感情がどんなものであれ。 自分を愛する第一歩だ。 自分を知る第一歩だ。 感じてあげよう。
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