おひさまの日記
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2003年12月20日(土) 非を認める

自分の非や未熟さを認めるのは、とても難しい作業だ。

多くの人の場合、自分の非や未熟さを認めるということは、
「私はダメな人間」というレッテルを自分に貼ることになる。
けれど、それは、本当に「ダメな人間」だからではなく、
自分でそういう反応をするからという、ただそれだけの理由だ。
本当はダメなのでもなんでもなく、自分の非や未熟さを認めるのが怖いのだ。
認めると自分が一気に崩れそうになるのだ。

その一例は今日の私。
アンナに某出版者の子供向け教材を毎月取っているのだが、
日中郵便局に代金振り込みに行けない日が続き、支払いが遅れていた。
その催促の電話がかかってきた時の話だ。

先方は、単に「遅れている支払いを早目にお願いします」と言っているのだが、
遅れたことで後ろめたい気持ちになっている私、
つまり自分に非があると感じている私は、
まるで「テメー!金払えよ、バカヤロー!」と言われているような気持ちになる。

すると、こんな反応をする。
「はい、はい、はい、申し訳ありません…」
消え入りそうな声で、暗ぁく答える。

あああ、私って今すっごく感じわるぅ!と思いながらも、
ひとり勝手に責められているような気持ちになっているので、
そこにある単なる伝達事項を、単なる伝達事項として受け止められない。
反応大魔王である。
自分に非があるとわかっていつつ、自分の非を認められないのだ。

反応のポイントは『攻撃されている、責められている気持ちになる』ということ。
悔しいという感情や、怒りの感情が湧いてくることもある。
そうすると相手が憎らしくなる。
でもそれはお門違いで、単なる自分の反応による逆恨みってもんだ。

実はこういうこと、日常茶飯事に誰にでもあることだと思う。
あまりに当たり前にあり過ぎて通り過ぎているかもしれないが、
間違いなくあるだろう。
それどころか、自分がそういう反応をしていることに全く気付かずに、
「こんなひといこと言われた!」と、相手を攻撃しているかもしれない。

非を認めるというのは大変な作業だ。

でも、勇気を出して(勇気ってこういう時に使うもの)、
自分の非や未熟さを受け入れると、
自分が恐れているものとは逆のものが待っている。
その先には素晴らしい世界がある。
自分が待ち焦がれていたものがある。
変化がある。

私達は自分の非、過ち、未熟さを認めても何も失いはしない。
失わないどころか、とても沢山のものを取り戻していく。

こういう場合にも言える。
ありのままの自分を知る、認めるって、とても楽になることなのだ。


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