おひさまの日記
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2004年02月05日(木) |
どうにもならない現実に直面し、私が選択したこと |
どうにもならない現実に直面し、私が選択したこと、 それは、父を老人介護施設に入所させることだった。
母が体調不良を訴え、大きな病院で検査を受けたところ、 医師から、これ以上在宅介護を続けたら母が危険だという宣告を受けた。 それによって、ショートステイで父を病院に預け、 そのショートステイ明けに父の施設への入所を余儀なくされ、 この結論に至った。
母が父を看ていることがどれだけ苦しいことかは、 母に代わって父を2日間介護をしただけで十分にわかった。 痴呆症が進んでおり、今した会話も忘れてしまう父は、 もう、ただのわがままな子供だった。 その瞬間の自我と本能だけで生きている。 それを、現実問題として看られない母と、 すでに嫁に出て自分の生活を持っている私、 ふたりには他になす術がなかった。
そして、出した結論。 実の父親を、本人の意思に背いて施設に入れること。
頭では理解していても、つきまとう悲しみや罪悪感。 そして、直面したどうにもならない現実。
父は父であり、その考えも、感情も、 暴言暴力を含めたエゴイスティックな振る舞いも、 周りの人間がどうすることもできないこと、 そして、それが多くの人間を巻き込んで不幸にしていくこと、 それに直面した時、私は悲しみや罪悪感を越えて、 ひとつの選択をしなければならなかった。
現実問題として、私の選択は間違っていないと思っている。 けれど、心は揺れる。 どんなにひどい父親であれ、父は父、私を愛した父、 その父を施設に入れる複雑な気持ち、悲しみ、罪悪感がある。 あれだけ母と自分を苦しめてきた父なのに、やはり家族なのだ。 100のうちの99がひどい仕打ちだったとしても、 たった1の美しい思い出や体験が、私の胸を痛くする。
私は思った。
これは、どうにもならない現実なのだ。 こうしなければ、母も、私も、ダメになってしまう。 だから、父への想い、その悲しみ、罪悪感を抱えたまま、 私は母と幸せになろうと思った。 もう、十分に耐えてきた。 これからは、新しい形だからこそできる愛し方で、父を見守っていこうと。
どうにもならない現実だからこそ、私はそこから逃げずに、 真正面から向かい合おうと思った。 逃げたくない。 逃げずに向かい合うことが、父へのせめてもの愛かもしれないと、 勝手に思った。
私に今できることは、これだけだ。
明日は、施設への入所に手続きをしてくる。
頑張る、その言葉がこんなに骨身にしみるなんて。 明日は頑張ろうと思う。
こんな短い文章で語れることではない。 でも、なんか、ここで、シェアしたかったんだ。
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