おひさまの日記
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2004年03月07日(日) |
now & here |
私達に大切なのは、 衣食住、目の前の安全、安心が確保できていること。 心がいちばん大切なのでは?って思う人もかもしれないけど、 私はそれが原点なんじゃないかと思っている。 それなくして自分の精神を成長させることはできないだろう。 ましてや、心から楽しいなんて気持ちにはなれないだろう。
昔、精神世界を語り、自分の傍らにはいつも天使がいて、 そんな天使の絵を描いてスピリチュアルなメッセージを伝えることがライフワーク、 夜になると異次元を旅して、高次の存在と語らい、 多くの気付きと学びを得ている、と語る女性がいた。 すごいなぁ、と思った。
彼女の家庭は、ご主人の浮気と暴力、子供の非行、借金、 あらゆる問題の巣窟だった。 それの方が、もっとすごいなぁ、と思った。 いや、それがいけないというのではない。 彼女の清らかな言葉とあまりに正反対な現実に驚いたのだ。
彼女の意識は完全に上の世界に行ったきりで、現実がお留守だった。 そして、彼女は、その家庭環境が苦しくないと豪語した。 なぜなら、私は愛そのものだから、と。 私は思った。 苦しいって認めるのが恐いんだなぁ、って。
現実がお留守のままだと、 スピリチュアルな世界の探究は、単なる逃げになってしまう。 そこを見てると楽だからそこを見てる、ってことになってしまう。 机上の空論とも言えるかもしれない。 いい道具持ってるだけで満足して使わないのと同じ。
現実の問題に直面して解決に向けて頑張るよりも、 スピリチュアルな世界にだけフォーカスしてる方がはるかに楽なこと。
それって、 「『南無阿弥陀仏』とただ唱えていれば幸せになれますよ」 って言われてひたすら必死に題目を唱えるのと似ている。 そこには自己責任や努力が存在しない。
誰もが逆境にある。 誰もが平等に苦しい。 そして、そこでは無力だ。 それをまっすぐに認めて、その上で努力をする、そのために苦労する、 そんなシンプルな作業が、私達にはとっても大切。
私は昔、辛いことが苦労だと思っていた。 今は別だと思う。 辛い,辛いって、ただ辛いってくすぶってるのと、 そこでアクションを起こすのとでは全然違う。
苦労って、ひょっとしたら、 時に、努力とか、頑張りとか、耐えるとか、 理不尽さや非情みたいなもんと戦うことなのかもしれない。
今、ここで、やるべきことをやる勇気、やる努力。 できないんじゃなくやる、ただやる、その気持ち。 言い訳はいらない。
すべては、今、ここ、目の前にあるもの。
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