おひさまの日記
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2004年04月05日(月) |
私の中のもうひとりの私 |
私の中にもうひとりの私がいるのだと、はっきりと認識したのは、 ヒプノセラピーで初めて幼児期退行をした時だった。
7歳。 父が母を殴っている光景の中、私は絶叫して泣いた。 「恐いよ!恐いよー!」 のけぞり、手の平に爪を食い込ませ、声が枯れるほど叫んだ。 どこからか湧き出てくる感情は、解き放たれた獣のように猛り狂った。
それは、紛れもない事実だった。
その傍らで、それを冷静に見ている自分もいた。 「嘘〜、こんなに泣いちゃって。 マスカラが取れてパンダになってるだろうな。 カッコ悪くてヤだな。 しかし、私、何こんなに泣いてるんだ?」 そんなことを考えている自分。
呼吸も荒く泣き叫びわななく自分、 冷静にそれを淡々と見ていて半信半疑な自分、 そして、思った。 「あ…私がふたりいる。 私の中に違うふたりが同時にいるんだ」 冷静な私はいつもの私。 泣き叫ぶ私は深い意識の奥に息をひそめている私。 どちらも私なのだと思った。 ふたつのパーソナリティ。 別々の人格が私の中に存在した。
私は、泣き叫ぶ自分の存在を、その時まで全く知らなかった。 その自分が出てくるまでに、中島先生は誘導に30分近くを費やした。 それだけ強固な意志で感じることを拒んでいたのだと思う。 暴力を振るう父を見ながら「何も感じない」と、 ただ、淡々と、頑に、その光景を見ている7歳の私がいた。 恐怖や絶望や悲しみを感じまいとこらえている自分が。
そのセッションを終えて、私は思った。 「自分がこんなに辛かったなんて知らなかった」 不思議な気持ちだった。
私に「体験の記憶」はあった。 お父さんが恐くてイヤだったな、ひどいことされたな、 辛かったな、ムカつくな、 そんな、頭で覚えている体験の記憶。
けれど、私には「感情の記憶」がなかったのだ。 その時、どう感じたか、そんな「感情の記憶」が。 私はそれを感じ続けていたら、その場所で生きていくことができなくて、 感じるのをやめようと、頑丈に封印してしまったのだ。
初めての幼児期退行、そこで、私は初めて、 私の中のもうひとりの私に出会った。
そこが私の長い長い自分探しの旅の始まりだった。 そして、それは今も続いている。 死ぬまで終わることはないのだろう。
自分の中に存在するもうひとりの自分は、 間違いなく誰でも持っているのだと思う。 けれど、それを絶対に認識しなければならないのかと言うと、 そうではないと思う。 それが必要な人だけ、そうすればいいのだと思う。 そして、それが必要な人は、本人が望む望まないにかかわらず、 自然な流れの中で、完璧なタイミングでそういう時を迎えるのだと、 沢山の人を見てきて思っている。
今、私は、 状況、状況に応じて、様々な反応をし、 入れ代わり立ち代わり現れる色々なパーソナリティを味わっている。 その時々の感情を体験し、 時に、翻弄されながら苦しんだり恐れたり、 時に、はしゃいだり喜んだりしながら幸せを感じたりしている。 そして、その傍らで冷静にそれを見ている。 そう、まるで、あの幼児期退行のセッションの時のように。 別々のパーソナリティを同じ時に共存させながら、それを見ている。
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