おひさまの日記
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2004年04月20日(火) 親子なんだから

母と接する機会が増え、なにかにつけて母にイライラする自分に気付く。
昔しなかった親子ゲンカを今になってしているみたいになる。
私が一方的に、怒ったり、怒鳴ったり、してしまう。
単なる子供のわがままみたいに。

そんな自分を見て思った。
私は父と同じじゃないか、あんなに批判してきた父と。

私はそんな自分がイヤだった。
私と母を苦しめてきた父と同じような自分が本当にイヤだった。
まるで父のコピーみたいな自分が。
ああいうふうにだけはなるまい、そう心に誓ってきたのに。
やっと父から解放された母が、今度は私にぐちゃぐちゃ言われている。
意味ないじゃないか。

泣けてきた。
泣きながら母に電話した。
お母さん、ごめんね、いつもひどいこと言っちゃってごめんね、って。
やさしくしてあげられなくてごめんね、って。

母は言った。

「いいじゃないか、親子なんだから。
 親子だからがまんしないで言いたいこと言えるんだ。
 他人だったら我慢するけど、そうしなくていいのが親子じゃないか。
 そんなに自分を責めるんじゃないよ。
 私だって恵美のおかげでここまで頑張ってこられたんだ。
 さあ、もう泣かないで。
 親子なんだからそれでいいんだよ。
 お互いの足りないとこ補い合っていけばいいんだよ」

私はそれを聞いて、なんだかやっと許されたような気持ちになった。
悪い子の私をやっと許してもらえたような、そんな気持ちに。
悲しみの涙が、安堵の涙になって、またいっぱい流れた。

そして、母がどれほど私を大切にしようとしてくれているのかを、
今更ながらに感じずにはいられなかった。

「恵美が小さい頃、きつく怒ったり、冷たい言い方したりして、
 なんであんなこと言っちゃったんだろ、
 なんでやさしくしてやれなかったんだろ、って思って苦しかったねぇ」

母はそう語った。

今私が娘アンナに感じていることと同じことを、
母も遠い昔の幼い私に感じていたのだと改めて知った。
自分が人の親になることで、
そうであろとう察することはしていたけれど、
改めて本人の口から聞くことで、
なんだかそれが私の中にスーッと入って来た。

うまく言えないけど、母にとても近付いたような気がした。

どうにもならないことを、仕方のないことだと思えるようになると、
ひとつの大きな癒しが起こる。
そこには許しが訪れるから。
それは自分のせいじゃない、仕方のないこと、
そう思えるだけで、人はどれだけ救われることだろう。

小さい子供は責任を背負い込む。
私が悪い子だから、パパやママが怒るんだ、と。
私のせいだ、と。
やがて、大人になって思う。
私がこうだからいけないんだ、と。
その罪悪感や自己評価の低さは、
私達人間にとって、すごく苦しい感情だと思う。

「親子なんだからそれでいいんだよ」

母のその言葉で、私は母に許され、そして自分を許せたような気がした。
そして、自分が過去に体験してきた辛い数々の出来事が、
その言葉を聞いたからこそ、それでいいんだ、って、思えた。
親子なんだから、と。

これからも私の葛藤は続くだろう。
けれど、その母の言葉はいつまでも私の中に残り、
メビウスの輪のようにうねりながら永遠に訪れる葛藤を、
癒しながら生き続けるのだろう。

私もいつかアンナに伝えよう。
彼女が何かで今の私のように苦しむことがあったら、
親子なんだから、と。

私は母に何度もありがとうを言って電話を切った。


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