おひさまの日記
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2010年09月05日(日) |
ネガティブになってよし |
どっかで目にしたんだ、 ネガティブな言葉を言わないようにしましょう、 その言葉通りになりますよ、って。 そこには、疲れた、困った、つらい、悲しい、どうしよう… ネガティブとされる言葉が羅列されていた。 そして、それを口にすると、 もっと疲れるし、もっと困るし、もっとつらくなるし、 もっと悲しくなるし、もっとどうしていいかわからなくなる、 だから言うのをやめましょう、って。
本当にその通り。
しかしだよ(笑)
いーじゃん、疲れた時は疲れたって言っても、 つらい時はつらいって言っても、 困ったとか、悲しいとか、どうしよう、って言っても、って思っちゃう。
と、言うか、それを口にすることは、私にとっては癒しなのだ。 いや、癒しなんて言うとキレイ過ぎる、排泄みたいなものだ。 そして、口にすることによって、区切りがついて、 よっしゃ!前向くか!とか、 ゆっくり休もう♪とか、 なんとかなんだろ♪って気持ちになる。
私の場合は、 一般的に言われているネガティブになるという段階を踏むことによって、 逆にすっごく前向きになる。 その時初めて、巷で、こういう言葉遣いがいいんですよ、 さらなる幸せを呼び込むのですよ、 というものを、取り入れることができる。
へろへろに疲れている時、 悲しみに暮れてもう朝なんか来なくていいと思う時、 ほとほと困って途方に暮れている時、
「前向きな姿勢が大事ですよー、言葉が大事ですよー、 笑顔、笑顔ー、ポジティブな言葉を使ってくださいねー」
と言われたら、恐らく私は、鋭い目つきになって、 上段回し蹴りを繰り出してしまうだろう。
ここで忘れずに書いておきたい。
私は、そうした自己啓発系のものを否定しているのではない。 それらはとても素晴らしく、 そして、実際に効果があるし、 人生をよりよくするためにとても役に立つ。 だから、どんどん取り入れていくのがいいと思う。 実際私も取り入れているし、そういう情報が好きだ。
大切なのは、色々あって、どうしてもそういう気持ちになれない時、 そうなれない自分を責めないでほしいってこと。
たとえば、料理してて包丁で手を切ったとしよう。 痛い。痛っ!とか、うっ!とか言うかもしれない。 見てみると、ぱっくり切れてて血が流れてる。 手当をするのさ。 そゆこと(笑)
いーじゃないスか、ネガティブになることがあっても。 決していけないことじゃないよ。 自然だよ。 食べたら下から出るみたいに(このネタ好き・笑)。 ネガティブになる瞬間があるからこそ、前を向けることってあるでしょ? 落ちたい時は心置きなくとことん落ちててください(笑) イヤでも這い上がるから。 そう、あなたは何があっても這い上がってしまうんです(笑) そして、這い上がった時、もっとよくなってしまうんです、今よりずっと。
青い空を見て、きれい、と思う時と、 何とも思わない、いや、空さえ見ることもない、 そんな時があると思う。 同じ青い空なのに、同じ自分なのに。
心が忙しかったり疲れていたりすると、目も感覚もふさがってしまう。 また、ぐーんと波長も下がるから、 楽しそうなものや幸せそうなものに共鳴できない。 いい情報が耳障り目障りな情報になってしまうことだってある。 でもね、それはとっても自然。 そんな時があってもいいの。
永遠にそこにいちゃいかんけどね(笑)
元気な時にはそんな自分に合う情報、 落ちてる時にはそんな自分に合う情報、選べばいいじゃん。
今日ある人からメールをいただいて、そこにすごくいいことが書いてあった。
「許されているからそのままでいいんだっていうわけじゃなく、 自分で自分の世界を構築していきなさい、なんですよね」
それを読んで、そうそう!それなのよ!とぴょんぴょん跳ねたくなった。
ネガティブになってよし。 でも、それはなんでもありなのよーってんじゃなく、 前を向いて先に進むためにネガティブになってよし、なのであって、 そこを通って次に行こう、ってこと。 だからこそなんでもありなのであって、 そうでなければなんでもありなんてないと思う。 それじゃ世界はただの無法地帯だ。
神様の愛のもと生きてるんだから、 結局は何があってもダイジョブにできてる。
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