おひさまの日記
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2010年12月04日(土) |
愛を叫ぼう、癇に障る人に(笑) |
なんかいちいち癇に障る、おもしろくない、 それなのに、やたら気になる、そんな人いない? 見てると、ふんっ、ってなる人。
私はいるのよーっ。
そういう人がいる時、大体、その人のことを素晴らしいと認めてる時。 そして、負けてる感が漂っちゃう時。 自分ダメじゃん、そんな気にさせられる相手は、ホント癇に障るねぇ(笑) 本当はその人が、自分の理想であり、憧れであり、目指すところでありながら、 (だからこそ反応しちゃうんだよ、自分にはそれがないって思っちゃってるから)
「私は別にああいうふうになりたいんじゃないし」
「ああいうのってどうなの?」
と、ついつい相手を否定や批判してしまう (; ̄▽ ̄)
そ・こ・で。
私はそうなった時、いつもある作戦に出る。 その人に、
直接ガツンと言ってやる。
文句? いや、ちゃうちゃう、愛の告白。 愛を叫ぼう、癇に障る人にキャンペーン(笑)
「私はあなたを素晴らしいと思ってます。 あなたのかくかくしかじかこういうところが素敵です。 素敵すぎて嫉妬しちゃう!(それも伝えたりする・笑) 大好きです」
って、相手に言ってしまうのだ。
すると、まあ不思議。 自分が解き放たれる。 それまで、妬みや批判の目で見ていたその人が、 純粋に自分にとって、素晴らしい人、憧れの人、好きな人に変わる。 少なくとも、キライな人、ムカつく人というレッテルがはがれる。 おもしろいんだよー。
相手を認める行為、それは、自分を認める行為なんです。 相手を、もいいい、認めちゃう、素晴らしい、好き、最高だよ、そう認め、 そして、宣言することは、 自分に対しても、同じ思いを持ち、同じ宣言をするということ。
相手を批判している時は、自分を批判している時、 相手を通して見る自分の素晴らしさにダメ出ししている時。 やればやるほどイヤな気持ちになる。
相手を認めて受け入れる時は、自分を認めて受け入れている時。 相手を通して自分の中にある素晴らしさを受け入れている時。 やればはるほどうれしくてハッピーになる。
この世界で自分を否定できるのは、本当は自分ひとりなんだ。 だから、人を通して自分への否定を解きほぐし、解き放つ。
私達は鏡を見ないと自分の姿が見られない。 それと同じ。 私達は自分が持っているものを、人を通して見ないと気づかない。 だから、見るんです。 相手の中に自分を。
妬ましい、負け感が漂いみじめ、 自分をそんな気持ちにさせる人は、実は、自分と同じものを持ってる。 持ってるのさ〜、るるる〜♪ だからこそ過敏に反応してしまう。 自分はそれを持ってないと思い込んで、妬んだり、敵視したり、嫌ったり、しちゃうのね。 本当は持ってるから相手によぉく写って見えるのにねぇ(爆)
活躍していたり、美しかったり、素晴らしかったり、 そんな人を見て、ムカッ、ふんっ、キーッ、気に入らない、なんて思ったら、 平たい言い方だけど、チャンスだよね。 本当は自分も持ってるのに持ってないんだと信じ込んでしまってる自分の輝きを、 今まさに取り戻そうとしてるんだから。
とにかく、声を大にしてその人を認めて受け入れてしまう。 その早道が、私のやり方だと、相手に伝えるということになるんです。
「あなたは素晴らしい!」
って。
好きじゃないヤツにそんなことしたくない、そう思うことがあるかもしれない。 頑に。 しようとすればするほど泣きたくなることもあるかもしれない。 私もあるからねー(笑) なんでこんな癇に障るやつにそんなことしなきゃならんのだ、と。
でも、ちぃと待った。 それは、その人のためにするんじゃない。 自分のためにするんだな。 自分が楽に、心地よく、そして、さらに素晴らしくなるために。
だから、相手にそう言うことは、つまり、こういうこと。
「私は素晴らしい!」
そうやって自分をほめることになる。
でですね(笑) その愛の告白をするとどうなるのかと言うと、気持ちが軽くうれしくなるんだな。 そりゃそうだね、自分に愛の告白してるんだから。 そして、相手を認めて受け入れた分、自分を認めて受け入れるんだから、 自分を否定することによってできていた鉄の要塞のようなブロックが外れて、 それまで自分でせき止めていたたくさんの恩恵が流れ込んでくる。 間違いなく。
人生はゲームだから。 そんなゲームをしてみるのがおもしろいです。 もう遊びなんです。 その軽やかさが大切なんです。 そして、実験くんをするんです。 えみやがあんなこと言ってたな、じゃあ実験してみよう、って。
ねー。
今日は、癇に障るけど気になって仕方ない人への愛の告白(笑)について。 次は、キライでキライでホントいやでどうしようもない人への○○(笑)について。
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