おひさまの日記
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2010年12月07日(火) ちょっとだけ愛を叫ぼう、イヤなヤツに(笑)

この前は、

「愛を叫ぼう、癇に障る人に(笑)」

でした。
今日は、

「ちょっとだけ愛を叫ぼう、イヤなヤツに(笑)」

です。

ちょっとだけが付くんだよ(笑)
しかも「人」が「ヤツ」になっちゃって、あーあ、もうイヤイヤ感漂う三人称だね(爆)



癇に障る人がいるのと同様、
その上を行く「イヤなヤツ!」って感じる人もいる私。
ああ、いないと言えたらどんなに美しいでしょう(笑)

何、あの態度!
何、あの言い方!
いっつも機嫌悪くて感じ悪い!
人の悪口ばっかり言って、
その悪口をみんなに吹き込んで周りまで巻き込んでなんなの!?
会う度愚痴ばっかり、ネガティブ一直線、こっちまで気分悪くなるぜ!

心の中でイヤイヤ祭りが始まってしまう (; ̄▽ ̄)
そう思ってる自分がイヤなヤツと同じになってたりして…

そ・こ・で。

私はそうなった時、また、ある作戦に出る。
その人に、

直接ガツンと言ってやる。

文句?
いや、ちゃうちゃう。
言えない、小心者だし(笑)
愛の告白なのですよ、前回に引き続き。
ちょっとだけ愛を叫ぼう、イヤなヤツにキャンペーン ( ゚∀゚)ノィョ―ゥ

「あれ、美容室行ったの?
 その髪型似合うね!」

「○○が上手いんだね。
 見直したよーっ」

「○○さんって仕事速いですよね。
 さすがだなーっ!」

ほめる。
ほめまくる。

ここで大切なのは、おべっかや心にもない嘘じゃなく、

本心でする

ってこと。
その人の、ここが素晴らしい!ってところをマジでほめてみる。
試しに(爆)

イヤなヤツに、心底ムカつくヤツに、
そんなこと言えない、言いたくない、という声が…あれ、私の声か(笑)

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」って言葉がある。
イヤなヤツはすべてがイヤだと感じてしまう。
でも、残念ながら(笑)誰にでも必ず素晴らしい部分があるのだ。
それを認めるくらいは、大人ならしよう。

そして、どうせそこまでイヤなら、バラバラにしてみよう。

バラバラ、コワイデスネー ( ̄▽ ̄)

バラバラになったその人を眺めてみると、ほら、パーツパーツになってるから、
髪型が素敵、とか、
爪の形がキレイ、とか、
洋服のセンスがいい、とか、
目がいい、声がいい、とか、
仕事が速い、とか、
商品知識がハンパない、とか、
部分部分でいいところが見えてくるわけだ。

バラバラにして、ヨカッタネー ( ̄▽ ̄)

その人のことはキライでいい、大キライでいい、そのパーツをほめる。
それなら心にもない嘘じゃない。
そして、それが本当に、すごいな、素敵だな、って純粋に感じてほめる。
それならおべっかじゃない。

この時に、

「このくらいほめときゃ相手も機嫌よくなるだろう」
「ほめたんだからちょっとはこっちにもよくしてよね」

相手にそんな期待や要求はなし。
ただただ、夕焼け空を見て、

「わぁ、キレイ…」

そういう気持ちでね。
誰も、夕焼け空を見てキレイと言ったからと言って、
夕焼け空から見返りは求めないもんね。

ほめるんです、そのイヤなヤツを。
切り刻んだほんのちぃちゃい一部分だけ。
心から。

それは、相手のためじゃーありません。
自分のため。

それからどんなことが起こるかは、体験してみてください。
かるーくね、かるーく、この日も書いたように、人生はゲームだから(笑)
実験くんしてみてください。

やりたくないかもしれない。
でも、やってみて(笑)

大切なのは続けること。
1回やって、けっ、ダメじゃん、と思わず、ただ続けてみる。
呼吸のように。



セラピストをお休みして、郵便局で1年間パートをやっていた頃、
これはフル活用したね、もう。
活用させていただきたい人がわんさかいたから(爆)

ひとりね、すっごく嫌われてる女の人がいたの。
入ってすぐ周りの人に、

「あの人には気をつけなよ、性格悪いから」

って言われたんだ。
そして、その女性は噂通りかなり個性的で、入ってすぐに洗礼を受け、
あちゃーっ、マジできっついわ、この人、って思った(爆)

でもね、ある時期を境に、すごーくよくしてくれるようになった。
えみやさーん、えみやさーん、って笑顔で声かけてくれて、
仕事で困ってると、部署が違うのに一緒になってかけずり回って助けてくれた。
いい人だなぁ、ありがたいなぁ、そう思うようになり、私は彼女が嫌いじゃなくなった。

私は彼女をバラバラにして眺めてみた。
そして、部分部分を眺めて、素敵なとこが見つかると、それを彼女に伝えたんだ。
そう、ちょっとだけ愛を叫んだの、ほんのちょーっとだけ(笑)
部分部分で見たらそれは事実だから。

「仕事がテキパキしててさすがです」

「細かいところに気がつくんですね、すごいなーっ」

「この前、笑顔で、おはよう、って言ってもらえたうれしかったです。
 元気出ちゃいました!」

そうやって彼女の素敵な部分を見つけて感動したことを伝え始めると、
彼女の私に対する態度が変わり始めた。
彼女は彼女の美しい部分を私に見せるようになった。

それは、私が彼女の美しい部分を見るようになったから。
人は自分が「あの人はこういう人」という目で見たような人になる。

そして、時に、彼女が愚痴や悪口を言い始めると、
私は仕事に戻るふりをしてその場からスーッと消えるようにしていた。

私が付き合いたいのは素敵な彼女。
だから、彼女がそうじゃない振る舞いを始めた時は、彼女を離れた。
そういうのを聞いてわざわざ嫌いになる必要もないし。

私が郵便局を辞める時、
彼女は、うるうるして「寂しくなるね」って言ってくれた。



この「ちょっとだけ愛を叫ぶ」ことが、
どれだけ自分をうれしく楽しくするかって、
今まで何度もやってきてしみじみ思うんだぁ。

人を嫌うのってすごく無駄なエネルギー使うし、気分悪い。
嫌いたいから嫌ってるんだけど、たまんないくらいイヤな気持ちになる。

でも、人を好きになると、うれしくて楽しい。
にっこにこしちゃう。

そういうふうに心地よくいたいんだもの。
自分がどういう状態でいたいか、どういう気持ちでいたいか、
それを選択して、そうなるように色々やってみる、そんなのが好き。

だから、私は「イヤなヤツ」と感じた人に、ちょっとだけ愛を叫ぶことにしている。
そうすると不思議で、素敵な部分を見せてくれるようになる。
こちらが見ようとするものを、相手は見せるんだよね。

そうすると、今までいやーっ!と思ってた人が、
実はそんなに悪い人じゃないじゃない?なぁんて思えて、
うれしくなっちゃうんだよね。

もちろん、全員が全員、それで好きになれるかはわからない。
けれど、その人の中の美しさを見るという意味では、
やってムダじゃない作業だとは思う。

私はそれで郵便局を乗り切った(爆)
今じゃいい思い出。



そして、人は鏡。
許せない自分、認められない自分、受け入れられない自分、
そんな自分を相手の中に見て感情がかき乱される。

人に愛を叫ぶことは、たとえほんのちょこっとでも、
ずっとずっと昔、お父さんやお母さんにしてほしかった、イイコ、イイコ、なでなでを、
自分で自分にしてあげることにもなると思う。

人を好きになるとうれしいのは、自分を好きになるから。
人を憎んで嫌って苦しいのは、自分を憎んで嫌うから。

人を通して、私達は常に自分と向かい合い、その自分をどう扱っていくか、
そんな機会をもらっていると、私は思ってる。



愛を叫ぼう。
最後には、あなたに。
大好きだよって。


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