おひさまの日記
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2011年01月04日(火) 素敵なバイバイ

感情を感じると、
その時の感情が自分の感情だと思いがちだけど、
実は、違うことがよくある。

わかりやすいのは、怒り。

怒りは感情の表面にある感情。
フタみたいな感情なの。

たとえば、さびしい時、悲しい時、
怒ることってとっても多い。



それに気づいてから、
怒っている自分を観察すると、
こう叫びたい自分がいる。

「私を愛してよ!」

色々な思いを集約すると、結局真ん中にそんな気持ちがある。

愛されていると、
気に留めてもらっていると、
大切にされていると、
尊重されていると、
感じることができない時、

私は怒ることが多い。
一見、怒ってるんだけど、
その心の奥では叫んでるんだよね。

「さびしいよ!」

って。

人ってそういう奥にある気持ちになかなか気づかない。
私も含めて。

さびしいって感情はあまりに悲痛で、
まともに感じると相当キツい。
そして、みんな怒りでフタをしてしまう。

そのフタの部分だけ感じていると、
いつまで経っても奥の方にあるさびしさって消えない。
どんなに怒り散らして、暴言を吐いて、怒り狂っても、
消えない。

けれど、奥にあるさびしさをしっかり感じていくと、
とても不思議で、
さびしさを感じ切った時、
それがスーッと消えていく瞬間が来る。

そして、深いため息がふーっと出る。



人と話していて、共感してもらえるとすごくうれしいよね。
心が満たされる。

怒りの奥にあるさびしさを感じる時、
それと同じことが心の奥で起こっている。

そのさびしさを持っている私達の奥の方にいるインナーチャイルドが、
ああ、気づいてもらえた、わかってもらえた、って、
ほっとしてうれしくなるんだ。

泣いて泣いて泣いて、泣き疲れると、
ある瞬間、なんだかさっぱりしたような気分になる体験、
きっと誰もがしたことがあると思う。

感情は感じていってあげると、ありがとう、って離れていく。
わかってくれてありがとう、
寄り添ってくれてありがとう、
って。

だから、こわくないんだ。
どんな感情も。
感じてあげさえすれば、うれしくなって違う形になって、
にこにこしながらバイバイしてどこかに行ってしまう。

本当に不思議だよ。
こればかりはうまく説明できないけれど、
そういう体験をする度思う。



思考が現実化する、だからいいことを考えようとする、
そんな時、人はトラップにかかる。

頭ではいいことを考えよう、
前向きに、素敵な未来を、そう思っていても、
後から後から湧いてくる不安や恐れ、悲しみや悔しさ、怒り、
そんなつらい感情にまみれて、
これっぽっちも前向きなことなんか考えられなくなる。

それでも思考が現実化するんだから、と、
必死につらい感情に負けじと、
頭でいいことを考えようとすると、
そのうちおかしくなってくる。

前向きでいなくちゃ、いいこと考えなくちゃ、感謝しなくちゃ、
そう思えば思うほど、アリ地獄にハマったかのように、
ズルズルとつらい苦しい感情と思考に絡めとられていく。

何度かき消しても、
なくならない不安、恐れ、つらいつらい感情、
そんな感情にまみれて思考する夢も希望もない未来、
そんなものに絡めとられて途方に暮れたら、
思い出してほしい。

とことん湧いてくるつらい感情と、
そのつらさから生まれてしまう夢も希望もない未来への悲観的な思考、
思い切ってとことん感じちゃって!

ええっ、それじゃあその感情と思考が現実になっちゃう…!
もしそう思ったら安心してー(笑)
そんなに瞬時にはならないから(爆)
神様はちゃあんとタイムラグを作ってくださった。
だから、そんな本当の痛い自分と向き合う時間はちゃんとあるの。

それは、まさに、ゆだねる瞬間、そんな感覚。

もうダメ、もうどうでもいい、
スピリチュアルとか、思考現実化とか、引き寄せとか、
そんなのクソくらえだよ!
こっちは苦しくてそれどころじゃねーよ!
きれいごと言ってんじゃねーよ!

そんな瞬間が人生にはあっていいと思うんだ。

もちろん、私にだってあるよ(笑)



そうするとね、最初に書いたことが起こる。

心の奥の方にいて、苦しくて身動きもできずにいた自分が、

「気づいてくれてありがとう…
 わかってくれてありがとう…
 すごくうれしいよ!」

そうやって癒されていくんだ。

すると、不思議なことに、私達は自然に力を取り戻す。
ま、スッキリしたし、色々あることには変わりないけれど、
ここらでいっちょ前向きになってみるか!
そんな気持ちになる。

そんな時、人はまっさらで、
まるで、もうなくすものはない、そんな状態に似ていて、
すべてをひっくるめた上での強さが備わる。



ここで大切なのは、フタの感情を感じるんじゃなく、
フタで隠してしまっているその奥の感情を感じるってこと。
フタの感情はいくら感じてもなくならない。
それどころか、感じるほどに増長する。
そして、感じ切ると空しさだけが残る。

本当の感情は、感じ切ると清々しいの。
たとえそれが悲痛な感情であっても。

痛い感情を感じるのはこわいかもしれない。
でも、実は、その痛い感情は、とってもやわらかくてやさしいんだよ。

感じてあげると、かわいらしくなって、
素敵なバイバイをして旅立っていくんだ。
そして、とてつもなく大きい贈り物を置いていってくれる。

時に、それは、
すごく素敵なものになって帰ってきてるんじゃないかって、
思うこともある。

しんどくなったら素敵なバイバイすればいい。
そのために、とことん自分に向き合っちゃう。
それがどんな自分でも。
神様はそんな私達でさえ深く愛してくださっている。



去年の暮れ、私は思考現実化に取り組むにあたり、
そんなトラップにかかった。
不安と恐れにがんじがらめになり、
精神的に追い詰められ、おかしくなっていった。

そんな時、まるおくんとの会話が私を導いた。

(まるおくん、通称まるさんは、私を導く存在。
 どんな人なのかはよくわからないけれど、
 ここぞって時にお話して力をもらってる)

今日ここに書いたことは、
その時のまるおくんとの会話とその後の体験から得たもの。

もちろん、今までだってわかっていた。
わかっていたのに、見失っていた。

人は、わかっているはずの何かを見失い、また手に入れ、
また見失い、また手に入れ、
それを繰り返しながら大切なものを自分の一部にしていくのだろう。

私のそんな貴重な体験だった。

まるおくんとの対話 「答えを思い出す」


この会話は私をずっと導き続けるだろう。


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今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
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