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2003年03月23日(日) 京都な日々5 (石清水八幡宮編快晴、絶好の散歩日和! 京阪「八幡市」駅に到着、男山ケーブルカーで、山の上までGO! まず、展望台のある所へ、かなり急な階段を上って行った。 その後、鳥居をくぐって参道を歩き、目的地に到着♪ 道の両脇には長〜い竹が植わっていて、夏でも日陰になりそう。 石清水八幡宮は、私の大好きな久坂玄瑞が、禁門の変の際に陣を 布いたらしい。去年11月に霊山護国神社に行った時にも書いたけど、 久坂玄瑞は、京都御苑の蛤御門で、25歳で亡くなっている。 またまた偶然だけど、13日のNHKの番組で、吉田松陰・久坂玄瑞・ 高杉晋作のお三方を取り上げていて、それを見て、久坂玄瑞が、石清水 八幡宮に陣を布いたことを知ったので、めっちゃ感慨深い。 久坂玄瑞も、この建物を見て、この中に入ってんなぁ…って思うと、 100年以上前の出来事なのに、すごく身近に感じられる。うぅ…(ノ_・、) 帰りは表参道を逆行。本来なら、一の鳥居〜三の鳥居まで来て、石清水 八幡宮を拝むことになるんだけどね。かなり歩いて一の鳥居まで戻ってきて、 徒然草で「仁和寺のある法師」がしでかしたことの意味がわかった。 石清水八幡宮は、一の鳥居んとこの宮だけでも完結してるように見える。 が、ずっとずーっと歩いて、二の鳥居、三の鳥居を越えないと、メインに 辿り着かない。「山までは見ず」と法師が勘違いしたのも頷ける。 かなり大規模なところ。見に来れて本当によかった。 先日の仁和寺に引き続いて、石清水八幡宮も見られたので、大満足♪ そのまま表参道を逆行して、八幡市駅で電車に乗るのかと思いきや、駅前で お弁当を買って、そのまま、木津川と宇治川に挟まれたサイクリングコースへ。 木津川と宇治川にかかる橋はすごく長くて、サイクリングコースは 両側に桜の木が延々続いていて、今日は夕方前から、ちょっと陽が 翳ってきて風が冷たかったけど、この季節でも、バーベキューを 川辺で楽しむ方がたくさんいたので、春にはどんなに賑わうことでしょ♪ サイクリングコースに沿って、ずーーっと歩いて、途中でお弁当を食べて。 止まってると寒かったから、そんなにゆっくりはしなかったけど、 石清水八幡宮→桂川サイクリングコース、はまた絶対来たい〜〜ヽ(≧∇≦)ノ ***** 歴史 歴史って皮肉なものだなって思うことがよくある。 久坂玄瑞は、禁門(蛤御門)の変で、25歳で亡くなったが、後年、 西郷隆盛が明治維新後に「久坂さんが生きておられたら、自分は とてもかなわない」と言ったくらいの逸材だったそうだ。 それを考えると、久坂玄瑞がもしも命を落とさなかったら、と思う。 しかし、久坂玄瑞が一念発起したのは、元は吉田松陰の死だ。吉田松陰が 志半ばで処刑されたから、松下村塾の生徒であった久坂玄瑞が立ち上がった。 「師の死を悲しむのは無益である 師の志を継ぐことこそが肝要である」 これは、久坂玄瑞の言葉。 吉田松陰も、後世まで生き延びていれば、どれほどのことを成し遂げたか。 そして、また、久坂玄瑞が若くして亡くなったことは、高杉晋作を 立ち上がらせた。でも、高杉晋作も、結局、結核かなんかで 亡くなってる(27歳だっけな)。そして、その翌年に明治維新が成る。 明治政府は、同じく松下村塾の生徒だった伊藤博文・山形有朋が関わって いるから、結果的には吉田松陰の遺志も生きているというべきなのか。 何はともあれ、坂本竜馬・高杉晋作・久坂玄瑞・吉田松陰などが、 もしあの局面で命を落としていなかったら…と想像することは、楽しく、 そして限りなく切ない。 まだ、知らないことがたくさん。 これから、貪欲に知ろうとしていきたい。 現代に生きる私たちが、歴史から学べることは山ほどあるのだから。 ◆吉田松陰の言葉 志を立てるためには 人と異なることを恐れてはならない 世俗の意見に 惑わされてもいけない 死んだ後の業苦を 思いわずらうな また目前の安楽は 一時しのぎと知れ 百年の時は一瞬にすぎない 君たちはどうかいたずらに 時を過ごすことのないように |