| 2002年03月16日(土) |
第81夜 ★ 映画で旅するイスラム 3 ★ |
昨夜は、確定申告完了祝いに、頂いた自家製どぶろくがまだ少しあったので、グレートジャニーを見ながら乾杯。 関野さんついにゴールしたのね。 「家族が一番、しばらくは一緒に、しばらく・・は」 この、しばらくは・・の感じ私にはよくわかる。関野さんも旅の麻薬にやられているお人なんだろうなあ。 私だって、旅の空の下で一番私が輝いているって時々思うんだだから・・・。
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久しぶりにねぼうした。まあ、いいか、たまには。 メールやらに返信していたら瞬く間に出かける時間になった。 きょうは4本見る。 シグマリオンのワードに空きの時間にメモを取ろうと、バックに入れた。
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★ 砂漠の方舟(アルジェリア 1997)★
井戸を共同で使う二つの部族があった。 その異なる部族の若者二人が恋に落ちた。二人が砂漠の椰子の木の下で恋を語らっているとき、女は村へ引きずりもどされ、男は、女の部族の男たちに袋叩きにあう。 すべての悲劇の始まりはここからだった。 男たちは、女を取られたと血気立つ。 女、ミリアムは、鎖につながれ純潔かどうか調べられる。賢者の会議で男、アミンは追放と決められた。 しかし、いったん生まれた憎悪と、猜疑は収まらない。 些細なことで対立し、エスカレートした。 ついにミリアムの結婚が無理矢理にまとめられた。しかし、ミリアムは彼への思いために花婿を殺して逃げた。 そして、放浪の人々にかくまわれ、彼の隠れている洞窟に導かれる。夜半、銃声が聞こえ、火の手が上がる。二つの部族の戦いだった。 翌朝、人は死に、村は燃え、滅びていた。戦いの後だった。 呆然とする二人。 生き延びた子どもが一人、行く。涙をためながら・・・・「大人は狂っている・・・子どももたくさん殺された・・僕は戦争のなところに行くんだ・・・」 限りなく美しい、しかしむごい砂漠を彼は越えていく・・・・。
二つの部族の間の身分の違い。 かれは言う。「結婚を申し込みにいったんだ。でも断られた、オレの顔の色がに日焼けて黒いからダメだというんだ」 彼女の母は、息子の嫁にミリアムをくれといいに来た彼の母に言う。「何で、アンタのように身分の低い部族の嫁に娘を出さなくちゃならないんだ」 アフリカの部族闘争の悲劇はよく聞く。その辺の事情がこの映画から少しわかったように思う。 200年も友好を保ってきた2つの部族が、いとも簡単に滅びていく・・しかし、これは人ごとではない。 私が思いだしたのは沖縄の斎藤御獄(せふぁーうたき)行きバスの運転手から聞いた話だった。 「米兵が沖縄の女を好きになったら、強姦よ。沖縄の男がアメリカの女を好きになったら、門前払いどころか殺される。銃でおどされた話がある」
★ 西ベイルート(レバノン 1998年)★
1975年に始まったレバノン内戦。15年続いた。この映画の時代はその始まりの頃である。 レバノンはイスラムとキリスト教が混在する地域である。親友のオマルと8ミリ映画を撮るタリ−クはフランス系の学校に通っていた。 フランス人の先生に「ラ、マルセイエーズ」を歌わなかったとお仕置きに廊下に出されたタリークが窓からみたモノはパレスチナ人を乗せたバスが民兵の攻撃を受けるところだった。(これはまさに今イスラエルやパレスチナ自治区で起きていることと同じだ) こうして、戦争が始まった。夜、照明弾が光り、爆撃が起きる。通りで簡単に人が撃ち殺される・・・。ベイルートの町は西と東に、すなわちモスレムとキリスト教に分断された。この状況の中での、若者たちの成長がしっかりとえがかれている。
面白かったのは以下のシーンだ。
オマル「オヤジが、学校が休みだから、礼拝に連れていくというんだ、オレを」 ターリク「金曜のか?」(モスレムの正式礼拝の日。キリスト教でいえば日曜に教会に行くって感じでしょうか、私も旅中にあちこちで金曜礼拝を目撃しました) オマル「ああ、朝早くから祈るんだぜ。おまえ、おいのりの言葉しってるか?コーラン、読んだことあるか?」 ターリク「読んでないよ、でも(と、ターリクがコーランのお祈りの出だしを唱える)」 オマル「おまえ、すごいなあ。どこで覚えたんだ」 ターリク「毎日、聞こえてくるじゃないか」 (私もエジプトやトルコで毎朝、コーランの朗唱で起こされましたからねえ。耳で聞くことは信仰心の成立には大事かも) オマル「そうか」
それにしても15年もベッドにはいったとたんに、爆撃が起きて防空壕へにげこむ生活ってどんななんだろうか。 今のアフガンにイメージは重なる。 一昨日の「ラグレットの夏」でも、3つの異なる宗教の人たちは軒を連ね、助け合って暮らしてきたのに、戦争が、政治の事情がそれを引き裂いた。
そして、75年のレバノン内線からちっとも状況は変わっていない。
★ 枕の上の葉(インドネイシア 1997年) 1997年、ジョグジャカルタ。 カンチル、ヘル、スグン、3人のストリートチルドレンは、アシーという露天商の女性を母のようにしたって暮らしていた。 時に盗みをしたりしてはいるが、アシーがネズミが嫌いだといえばねずみ取りを用意したり、通りの車の中をわたれない少女に手を貸したりと優しい。 しかし、カンチルは、鉄道事故で命を落とし、ヘルは保険金詐欺に捕まり死ぬ。スグンは人違いで殺されてしまう。いとも簡単に三人は死んでしまった。 アシーは一人のこされた・・・。再開発のために取り壊しになる町に・・・。
最初に「これはストリートチルドレン自身による彼らの身に実際に起こったこと記録した物語である、云々」という字幕が出た。 つまり、演じているのは実際にストリートチィルドレン、話はインドネイシアであったことであるようだ。
ショックだったのは、始まって30分もたたないうちに汽車の上に座ったカンチルがトンネルで命を落としてしまうことだった。それは事件ではなかった。一人の子どもが命を落としても誰も騒がない、知りさえしない。 命が軽いなんてモノではないまさにタイトルのように、葉っぱが音も立てずに散ったという感じなのだ。 ヘルと、スグンの死は「事件」なので「ストリートチルドレンを救わねば」的マスコミの報道シーンが入った。しかし、彼らの日常はなにも変わらない。マスコミや大人社会のいっそうの無力さが際だつ。彼ら二人の死も軽い。 子どもの命が「葉」にたとえられているとしたら、風と吹けば飛ぶ・・・踏みつぶされて粉々になる・・・ため息だけがでる。 一昨日から7本みたが、みんなラストが救いようもなくつらく、死の影が濃い。明るさや希望・夢の気配さえもないのが何ともはや・・・だ。 こういう国に住んでいたら、自分が革命戦士になりそうな気がする・・・。 テロはまちがっている・・しかし、テロリストになる人の心情は少しだけわかるような。
★十四夜の月(インド 1960年)★
モノクロ、なんと170分映画である。インタバルがはいる映画なんてひさしぶりだ。800円でこんな長い映画を見せていただいていいのか、である。
舞台は北インド、イスラム文化が花開くラクナウ。女が外出の時はあの布っきれ(チャドルじゃなくて、ええーーと、そうブブカ)をかぶってでかけるところ、時代である。何しろ、登場人物はみんなアラビアンナイトの衣装だもん。 いいとこのお嬢様は結婚式の夜まで夫の顔を知らない。夫もその夜に初めて顔を見るって感じで、まあ平安時代だと思って下され。 これがこの物語の悲劇を生む。また悲劇なんだわよ、絢爛豪華の。
ナワーブ、シャイダー、アスラムは親友同士だった。 ちょっとした手違いからナワーブとアスラムは同じ女、ジャミーラを愛していた。 ちょっとした手違いとは、女が自由に顔をだしたり、男と話せないことから起きた。結局、ラストは親友の妻を愛していたんだと知ったナワーブが自殺することで終わる。
ラストはまたかよ・・だが、それまでの展開は楽しみましたよ。何しろ、心情描写は、歌と踊り、だもん。たくさんの美男美女、キンキラ、ギトギト、ケバケバ、ハデハデ、絢爛豪華・・とにかくすごいモンでしたわ。モノクロでよかったっす。だって、この映画、色があると目がちろちろするモン。あまりにけばくて。
女の人権が皆無なんて無粋なことはいいません。だって娯楽大作、もう世界が違うのよ。
ところで、最後、ナワーブはなんとダイヤモンドをかじるんだ、指にはめてあったでかいヤツを。そんなんで死ねるの、死ぬの、ダイヤで死ぬか、で、これも豪華・・今までのように銃で血がだらだらのラストよりいいかも。
インド映画が静かなブームみたいだけどこれを見て納得でした。 理屈を越えておもろかったです。 ジャミーラを演じたワヒーダーラフマーンは純正美女、アスラムを演じたグルダットもしたたる美男でありました。 アッラーの神は美男・美女の造り方は知っておられるような。
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終演は10時。家についたら11時近く。具たくさんラーメンとビール、サンマさんの「恋の空騒ぎ」で大笑いました。 その後、北海道のy氏から頂いたホワイトデーの「白い恋人」をかじり、アイスと プリンを食った私は豚になったようでした。
そんで、アイスを食べながら日記を書いてアップしようとしたら、間違えて消えて、もうへなへな。1時間もかけたのに。 PCが悪いわけじゃないのに蹴りを入れそうになった。 sakurannkoさんに「PCの前では人が変わる」と言われたけどそうかも・・あきらめて寝ました。そんで、日曜、朝、記憶を辿って再度書いてアップしました。いつまで立ってもPC初心者の私である・・ヤレヤレ。
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