| 2002年04月16日(火) |
★ リアルタイムお遍路日記 第19番 立江寺から ★ |
バスは予定通りに6時50分、徳島駅に着いた。 お天気は小雨。しかし上がりかけ・・・どうなることやら。バスには、私たちと同じくお遍路が目的の人3が人いた。 しかしご夫婦の人は、極楽寺でグループに合流するらしく、私に極楽寺の駅は板東か、板野かときいてきた。「板東だと思いますけど」と答えてはおいたが。 駅のトイレで一応の洗面をすました。
私たちの電車は7時21分阿南行き各停だ。 立江寺着7時50分。 電車を待ちながら小松島名産のゴボウ天、電車でおにぎりにお茶。これが朝ごはんだ。 寺まで歩いて5分という感じだ。 お参りをし、身支度をし、雨が降るかもというのでその準備もし・・で、結局寺を出たのは8時50分だった。少し遅い・・・ 今日のコースは星の岩屋経由、別格3番慈眼寺で。距離は約23キロ。しかし、山、登りが多いので結構気合いを入れないとやばい。
雨はどうやらやんでくれそうだが、風が強い。おまけになま暖かくて汗がベットリと出る。徳島の田圃はもう田植えがおおかたすんで、今更ながら暖かいんだ、と思う。ツツジは散りかけ、シャクナゲも咲いているし、で春が長けたなんてもんじゃない。初夏、だよ。 沼江大師のてまえで、車から「はい、なめてや」とあめをだしてくださった女性が、このさきの「大師の里」というかんばんをだしているところでコーヒーをお接待してもらえるし、お参りが済んだら寄ったらええよ、と教えてくださった。 コーヒーは同行のKさんの好物、というよりエネルギー源といっていい。 よらせていただこうということになった。
「大師の里」はすぐにわかった。 入り口を大きくあけて開放的。誰でも寄って、コーヒーをごちそうになり、話していけるようになっている。そこに、小柄で優しそうな奥さんと、ご主人の山村さんがおられた。よっていってや、と笑顔で声をかけてくださる。。 コーヒーは、なんと本格的なコーヒー、ひいた豆を煎れてくださるモノでおいしい。生き返った感じだ。 私たちがコーヒーをいただいていると、松下さんという人が遊びに来て私たちにミカンをくださった。 きけば、どちらも81歳とか。ええ!?だ。あと10歳若くいわれても信じる。楽しい時間だった。
山村さん宅は泊めていただけることもできるらしい。 何でまた、ときくと「去年、調子が悪うなって歩けなくなったお遍路さん、泊めたんや。それからじゃ、歩いている人にお接待しょうか、いうて始めたんや」ということだ。去年の3月くらいからですでに300人からの人が寄っていったり、泊まっていったりしているらしい。その方々のお札や、礼状が所狭しと並んでる。。 辞してからkさんと話した。 「まだ1年で300人て、1にちに一人だよね、それってすごいことだわ。宿も取れないわけですねえ」
山村さんに私の日記にこちらの連絡先を書いていいか、ときいて許可を取ったので以下に書く。もし、これからいくが、接待のお宿を探しているというはお願いしてはどうだろうか。
大師の里 勝浦郡 勝浦町大字沼江 山村英歓<08854−2−2798> 場所は、沼江大師から旧道にでてしばらくいくと右側。
山村さんは「あんたら二人、福の神がついている人相しているなあ。いい顔や」といってくださった。なんかうれしいぞい・・・(デレ)
生比奈の郵便局によって、ようように勝浦川をわたり、星の岩屋コースにはいる。 本番打ちの道からはずれたとたんに印がなくなった。覚悟はしていたが、ね。 おまけに地図に「星取り寺」とはいっているのは「神宮寺」の間違いで、探してしまった。そこでウグイスの声を聞きながら昼御飯。12寺40分。昼は星の岩屋で食べないとやばい、と読んでいた私としては焦り・・kさんは、おまかせ・・という感じなのでねあら、そうなの大変・・と。
20分のお昼休憩で歩き出すが、その後が大変だった。初めて遍路印が出てきたので、あった、という感じでそのコースを行ったら、なんとそれは車道。(もっとも林道みたいな、滅多に車の通らない道なんだが、てんてん道の歩道より距離があった)kさんと、あんな山の上に道がある、あの下くらいかな、とかってに場所を決めていたのでその「あんな上の道」を自分たちがあるいていることにがくぜん。びっくり。きつい道だった。1時50分過ぎに着。
星の岩屋(星取寺)はすごいこところだった。大きな岩の奥でお大師さまが修行なさったとか、悪星と落とされてこの岩に封じ込められたら、星が石になったとかいう伝説があるところ。滝、大岩、人気がない山中・・・幽玄で、パワーがあるところ特有のモノがそろっている。 滝はその裏を通ることができて「裏見の滝」という。 立江寺の奥の院。 汗水垂らしてもいく価値ありという気がした。 お寺で納経を、と思ってブザーを押したが留守。前に、鬼無の元みゆき荘で、春になったら高野山に修行に行くというてたし、おられないかもしれません、ときいたがそうなのかもしれない。
へんろみち保存協力会の道はたいていだれが歩いて「遍路道」とかのお札や道しるべをつけているが、なんとこの道では一枚も見つけられなかった。それは不思議なくらい。誰もきていない、といことではないのだろうが、少ないのだろう。 私はいつも、布きれに「南無大師遍金剛」と書いた道しるべを作ってくるのだが、今回は最後に忌々しい原稿直しの電話やメールでばたばたしていたこともあったしで、してこなかった。 悔やまれる。 あの道にしるべ札や、布があったら、一人で登った人がどれだけ心強いことか。
kさんが、星の岩屋の石段を登り始めたら足がつるという。 「痛いわ」 たぶん疲れだろう。 時間のこともあるし、明日は「お鶴さんと太龍寺」 無理をしないで、横瀬まで降りたら、慈眼寺までタクシーにすることにした。 下山道もまずは登って、それからまた降りて、また登り・・で、なかなか。 里が見え始めたら、そこで一人のおじさんにあった。 「阿弥陀石はみたか」 ときく。 いいえ。 お堂があったやろ、あの下や。 ありましたが、ここね、地図にある阿弥陀石とかいうのは。。でもお堂の中で見えないねとはなしながらきたんですけど・・・。 お堂の下や、谷がわや。 私ら、お堂の方だけ見て谷がわなんてきがつかなかった。 谷側を降りたら、即身成仏した人を封印したところ、たくさんの仏が石に彫ってある、阿弥陀石という霊験のある仏がたっているのだという。 ワシの知っている左官の人はそこでな、その仏から光が出ているいうて逃げて帰ったことがある、猟師でもあそこは薄暗くなると気持ち悪いらしいで・・・・ いってはみたいけど、私はそういうとこで、カンが働きすぎて怖い気がするし、気がつかなかったのは幸いかも。惜しい気もするが。。 何とそのおじさんは、私たちを相手に自分の子どもの子どものことからさまざま、30分も話してくれたよ。 71歳といっていたが、60歳くらいにしか見えない元気なお人であった。
横瀬で、お寿司をかって、車に乗った。 慈眼寺着,4 時40分。 タクシーの運転手戸田さんからきいた話。 慈眼寺の穴禅定で病気(癌)が治った人がこの十年来、和歌山から月参りにくるで、わしら、乗せるしな、その人。あそこで治る人はたくさんおるようや。
その穴禅定、明日、体験する。 ここは、前から来たかったお寺。素泊まりでも、と無理を言ってきたかいがあった。山の上のなんか力を感じるすがすがしいお寺だ。 境内の銀杏の木は600年モノ。その前からお寺はあったという。 宿坊は私たち二人だけ。 静かだ。 今、星の岩屋で、六甲のおいしい水を捨ててボトルに詰めた甘みを感じるお水を飲んで書いている。ホントにうまい。 今日は、結局、16キロほどしか歩いてない。 明日はロープウエイしたまで。 ホテルまで、たまちゃんが来訪予定。夜お父さんから電話があった。 「このごろの環の笑顔、いいですわ、親がいうんもなんやけど」 お父さんの声まで笑顔だった。 楽しみだ。 10時になった。寝よう。 今日もありがとうさんでした。
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