世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年04月17日(水) ★慈眼寺から太龍寺まで★

まずは、慈眼寺の穴禅定
6時に起きてしたくをしていたら、もう外でお参りの声がする。
なんと、10人ほどのグループが雨の中、待っている。
きけば、穴禅定を一番に入りたいので待っているとのこと。気合いが入っている。

7時、素どまり3000円と穴禅定1500円をお払いして、行衣なる白衣を渡された。そしてどうしたら・・とおききしたら、肌着の上に行衣を着て、なにも持たずにということだった。狭い岩場をくぐることはきいてはいるがどんなところなのか・・・案内人の女性が見えて出発。本堂から1キロほど登る。
すごい岩のしたに、観音堂。そこで「今日の18人の人が早く出られますようにと、ガイドさんは祈る。さらにきけば、柱と柱の間を通れないと、入れてはもらえないのだという。さらに、私は眼鏡も取れ、といわれた。
いったいどんなとこなんだ?

テストの結果、団体さんの男性一人が通れずにのこるととなった。
ワシ待つわと、心なしか沈んでいるその人に(去年も通れずに入れなかった・・本人曰く、ワシ、去年よりやせたけどな)
「おじさん、私が代わりにお参りしてきてあげるわ」と声をかけて登る。
お大師さんが、21日間護摩をたかれたという岩倉でまたお参り。そしていよいよ、ろうそくを片手に入道。
指示に従え、指示を後ろの人に伝達して、ということがしつこくいわれたがそれがよくわかった。何しろ、こんな岩の切れ目にどうやってはいるのという感じのところからはいるのだ。
ピラミッドも、トルコのカッパドキアの地下都市もはいったわたしだけど、これは少し勝手が違うぞ・・と・・・
はなから「亀歩き」という指示が伝達されてきた。
はあ?亀歩きってどんなんだ?
きいたら、かに歩き<横歩き>が伝達の間にかにが亀になったみたい、ははは、なんて笑っていられたのは、はじめの時だけ。
一カ所、どうもがいてもとおれず、デブだから?悪人は通れないとかいうことだけど、あたし悪人?
と悩むひまなくとにかく、今回の2回目というおばさんの助けを借りて抜けられた。ほんのちょっとの体のねじりとか、頭の下げ方とかで通る、か通らないかが決まる。しゃがみ、くぐり、時にははいずり、万歳をして岩の形に体を合わせ、足をほとんど真横に曲げて・・・何とかお大師さんが龍を封じ込めたという少し広い岩の空間に出た。要するにここは鍾乳洞。龍の形が残っているとガイドさんは話すが、眼鏡のない私には見えない。
もしかして、化石か何かがレリーフのように出ているのか?

またまた、右に捕まって鎖場、とか左肩からぬけてとかいう指示で歩き始める。こんどは、奥の院まで。
前の人が親切にいろいろと助けてくれる。
抜けるのを待つ間、前のおばさんと話した。
その人は昨7月のご主人を亡くして、でもご主人も去年の五月には88カ所を満願したんだけど、でもここはだめだった。ご主人の前の人が詰まっていけなくて、その後ろに続いていた人たちもでないといけなくなってしまって・・だから主人も連れてきたんよ、写真をポケットからだして、ろうそくの光で見せてくれた。
 やがて奥の院。
鍾乳洞の間に、お大師さんがまつられていた。
そこで、ご祈願とおつとめ。
なんか、すごい感じ。

出るのも大変。お母さんの胎内をくぐって出るという設定で、ホントに何回かはいはい状態でとおりぬけた。
要するに、岩と洞穴に私たち人間が体の合わせる。岩と一体化しないとはいれないし、出られない、のだ。出てきたときは外の広さ、明るさがありがたかった。
カッパドキアにいったときも外に出てほっとしたけど、それとは違う。
自然と合一するトレーニングなんだわ、穴禅定って。
というのが私の結論。
中で、ほぼ1時間。だった。

9時20分、出る。
鶴林寺、太龍寺といかねばらない、すごい降りの雨の中。きつそう。
ところが出た早々、実は大変な間違いをしていたのだ・・
昨日車で確かめていた「へんろ道」のしるしが出てこない。何で・・あれを見逃すはずはないのに・・・・おまけに車の数が少なすぎる・・・。でも、1時間40分あまり歩いた。しかし、1台も車がこない。これはヘン・・・とお寺に電話をしたが埒開かず。「どこにいるかもわかんない、お大師さん、どうしたらいいですか」と雨でガスる空に向かって叫んだとたん、何とその霧の中から白い車の姿が。
「あの、ここはどこでしょうか」
 くるまのじょしゅせきの女性「お遍路さんやね、どこにいきたいん?」
これこれで、といろいろはなして「横瀬」に降りたいんです・・・がといったら、この道が反対よ、どうしてまたこの道へ・・はあ?
「私たちは、今日休みやし、この先の山桜を見にきたんよ、でもガスでなんにもみえんね、私らも横瀬には12寺頃には帰らないけないしおくってやるわ」
「やった!!!お大師さまにあったようです」

道をどんどんと戻り、なんと寺の門前へまた逆戻り。
えええ???
つまり、お寺を出たとたん、左に行かないと行けないのに、右に行ったのだ。もうはじめの3分で間違っていたのだわ。ないわけだ。
逆戻りの間、一台の車にもあわなかった。
叫んだとたん、車が来たのはまさに超ラッキーだったわけだ。
「鶴林寺までいってあげるわな、そうしたら、楽に次まで行けるやろ」
ああ、ありがたい・・ホントに自然に手が合わさる。
「私らは、夫婦で山に木を植える仕事をしておるし、あそこの寺は仕事場の範囲よ、よく知っているしな」
とにかくこの方々にお会いしないと、もう今日の予定なんて、チャラになるとこだった。
何とも不思議な、ありがたい出会い。
やっぱりへんろ道って、不思議道。
鶴林寺さんの話や、木の話などをしているうちについた。
住所を教えていただいて、納め札が出せないので、私の名刺があったのでそれをお渡しして「今回の予定を無事にこなしたらお礼のお便りをだしますので」と我らがお大師さまとお別れした。

雨はおお降り。
どこもかしこもガスって白い。
鶴林寺本堂で、歩きお遍路さん3人とあう。
宿は?という話になって坂口屋とか龍山荘とかいうので、満員だよ、と、いうとみんなにわかに焦りだした。
若い男の子がすぐに携帯で電話。
そうですわ。と愕然。
ロープウエイ下なら、とおしえたが・・初遍路の人には不本意だろう。

1時頃でた。
太龍寺、3寺30分過ぎ。だけど、なんかお腹がすいて力が出ない。今日は道間違いのどたたばたがあったので、おにぎりとかがないのだ。ありあわせの非常食料を食べたのだが、やはり山道では腹に力が入らない。
結局、山門で大休憩をしていろいろとまたしても食べてお寺へ。
5時のロープウエーで降りる。南の舎心にたつというお大師さんの像もガスってよくは見えず。少し心残りだった。

降りるとなんとたまちゃんのお母さんが待っていてくださった。なんとたまちゃんとお父さんは太龍寺まであがったのだという。
5時半過ぎにたまちゃんと、ご両親が見える。
少しばかりおみやげを持ってきたのであげた。
たまちゃんは、kさんにお接待の腕輪と藍染めハンカチをプレゼント。私もいただいて、今回もしてきている。お揃いになった。
kさんは大喜びだった。
そしてなんと彼女が持ってきていたマローという栄養剤を薬が好きなたまちゃんにプレゼント。
鶴林寺と太龍寺を打ってきたたまちゃんもややお疲れ。しかし、いい笑顔で、またお遍路いこね、また来てな、とうれしい言葉。
はるばるとありがたかった。あえてよかった。
お母さんからも、徳島名物のお菓子やちくわなどをいただいてしまった。明日の食料だ。ありがたい。

3人を送りに出たら月が出ていた。明日は晴れそうだ。
今日は大変な一日だったけど、「お大師さん」2人にあえた日。










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