| 2002年04月19日(金) |
★リアルタイムお遍路日記 本日38キロか?★ |
快晴。6時55分出る。薬王寺に朝日が当たって美しい。 今日のテーマは、インターネットからもらってきた資料で、旧土佐街道(旧遍路道)を歩くこと。 場所は、日和佐トンネル前後のよここ峠越え、牟岐の八坂八浜ラインだ。
55号線に出て歩き出したとたん、「ご苦労様です」と、ジュースのお接待をいただいた。今日は暑くなりそうだし、ありがたい。 8時すぎに、日和佐トンネル前についた。 トンネルの前、左側から旧街道にはいる指示が出ているが、そこにはガードレールがあってまたがないと入れない。それに草ぼうぼう、ゴミごろごろ・・ホントにあるけんのって雰囲気がただよっている。 kさんと柵を越えて一休み。 見ていると、またたくまに二人のお遍路さんが立ち止まってしるしと説明を読んでいたが、トンネル抜けで行った。そりゃ、トンネル抜けは690メートルの不愉快、よここ峠越えは1,4キロ、30分。初めてだと本道からはずれたくないこともあってこちらにはこないだろうとは思うが・・・それにしてもたった10分の一休みタイムに2人も歩きの人が行った。
さてよここ峠。 はじめの600メートルは、夏は草が茂りそうな砂利道、広い道で、木や草の無効に白いガードレールまで見えている。無足は海岸沿いの町に抜ける車道だったことがわかる。次の200メートルは山道、登り。でも地道だし、鶏が鳴き、風の音がして、すごくいい感じ。やがて、峠についた。よここ地蔵さんがまつられていた。 どなたかがお世話なさっているのだろう、きれいだ。 最後の600メートルは急な下り。杉林の中にかすかに道の痕跡をとどめているところをテープや遍路印に模した手作りマークが導いてくれる。 迷う心配はない。 鳥の声、涼しい風、静寂。きれいな空気。国道歩きのストレスが一気に回復する清涼剤的ルートだった。確かに30分きっちりで国道に戻った。
その後打越から牟岐へとすこしさみしい地域が続く。 小松大師の手前から急に後ろに引かれるような感覚と、肩の痛みが来た。 あれれ・・・なんか、誰か・・・いる・・仕方ないので口の中でぶちぶちとご宝号を唱える。 だめだ・・・ 「kさん、私、小松大師さんできっちり少ししっかりとお参りしますね、どうも誰かついてきたみたい」 「そう・・・」 「なんか、ザックを引っ張られているみたいなの」 小松大師さんで、わげさとお線香、お賽銭などを出して、きっちりと心経をよんだ。そして、ついてこないでください、ここでお大師さんと一緒にいてみんなに拝まれてください・・とお願いした。 しばらくして大丈夫そう・・となったので、近くのお店「おかざき」の前で休憩とした。 歩き出したら、微妙にザックの持ち手を引っ張られる感じと肩の痛みはなくなっていた。やれやれ、どんな方がおられたのやら・・。
牟岐の町中に「旧土佐街道」という印ができていた。 見れば、平成14年1月、ついこの前に設置したばかり。 まちなかで、「まだこおっているけど、」とペットボトルにいれたお茶をお接待でいただいた。持っていると冷たくて気持ちいい。朝いただいたモノは休憩のときに飲んだし、ありがたい。 設置といえば、牟岐警察の前にもお接待所。 テントが張ってあって、休めるようになっていた。 いつもは誰かがつけているようだが、今日は無人。先客の男性遍路さんがいた。 いただいたばかりのお茶とたまちゃんからいただいた「かつ天」をたねた。一枚はお接待で差し上げた。初めて食べたけど、カレー味でおいしかった。 男性は遍路宿で一緒になったご同行さんを待っているとかで・・30分も待っているのにまだこない・・と心配していた。 歩調が違うんだったら、一人で歩けばいいモノを・・・と思うが。どうも男性はツルミタがる? Kさんは、お接待所においてあったコーヒーをいただいて元気になった。 何しろ、コーヒーが元気の源の人だから。
牟いよいよ「八坂・八浜ライン」だ。牟岐トンネルを越えて2本目を左に入ると、すぐに登り。イヌがわんわんと大騒ぎでほえるおうちの前の竹藪がなんとこの道のホントのいりくち。 「昨日も6人ほどの人が越していったよ、だけど、下の道行くより2倍ほども時間かかるよいいです、ありがとうございます、と親切にお礼を言ってからあがり始めた。 まずは大阪峠越え。急坂を登って後は下り、だがそれが滑り気味の道で怖い。 出たところは海の見える静かな風景。 きれいだ。丁寧に指示が出ているので、これまた迷わない。 草鞋大師にお参りしていたら後ろから女性のお遍路さんがきた。内妻浜に向かおうとしたら、一見のおうちからおばあさんが飛び出してきて「あんあたら、安全たすきを持っている?」 もっていません、トンネル歩かないし・・ 「接待所でもらわなかったか?」 「誰もおられなかったですよ」 私もいつもはいいておるんじゃけんど・・といいながらちょっと待ち、といってうちから安全たすきを持ってきてくださった。せっかくのご好意なのでいただく。 牟岐のトンエルでお遍路さんが車に巻き込まれた、それがこのたすきにつながったという噂は知ってはいたが・・どんな事故だったのだろうか・・心配になる・・・。 内妻の浜から、松坂峠へ。 なかなかの急坂だったが、登り切って昼御飯。おいしかった。 古江の浜はまさに海岸を歩く道。 八坂、八浜というけれど、お大師さんのころから、そうだったのでは、という浜の風景だ。 やがて国道へ。 福良トンネルを抜けて鯖大師についた。 1時半をまわって2時に近い。これ、かなりおそい。 お寺にはすでに3人のお遍路さんの姿がある。 ホントにたくさんの人が歩いておられる。 たまちゃんのお父さんが室戸まで歩いている人を数えたら、63人いた、という話をしておられたがうなずける話だ。 今日のゴール、海部まで、何とはなしに5,6キロと思っていたのだが、ようくカウントしたら8キロあまりもある。どひゃ・・・こりゃたいへん。 「仕方ない、1時間5キロ歩きしますから、そのおつもりで」 Kさんいことわって歩き出した。 じゃないと5時2分の阿佐海岸鉄道に乗れない。 「女てっちゃん」<女の鉄道好き>、入っている私は、前からこのミニ電車に乗りたかったのだ。
ただ黙々、どんどんと歩く。 結局4時30分過ぎ海部町着。 Kさんには悪かったが・・・でも、彼女は私より11歳年上。私は彼女の年になったとき、こんな歩きができるか・・・自信ない。 そう距離38キロほどあるのではないか?今日は・・・立派。 kさんと、自分をほめてやろう。
海岸鉄度道のお客は私たち二人だけ。 赤字続きで存続が危ないというが、なるほど、と思う。 でも高所を走る1両のかわいい電車だった。中もきれいだったし。ことしは、開業10周年という。
今日の宿、かわぶち旅館さん着5時40分。 今日は新聞の原稿の校正の日なのでT新聞に電話。 居場所をいったら、担当のS氏、ええ??となぜか、大笑いだ。 宿にはfaxがないので電話口で原稿を読んでいただく。なおし、なし。
kさんは、今日の方が元気、このくらい歩かないとだめね、とばりばり。歩きながら、なきご主人のお話もたくさんなさった。景色とともに二人で歩いた思い出がよみがえるのだろう。 私たちが初めてお目にかかったのは、鯖大師だった。 考えてみれば不思議なご縁だ。
今日の予定はこなした。 二つの国道からはずれるルート、なかなかよい道であったとと思う。評価A。 印を付けてくださっている方々に感謝である。
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