| 2002年05月22日(水) |
★西国22番 総持寺まで★ |
朝6寺55分のバスで、穴太寺前まで戻る。 バス待ちの時間、バスドライバーと大本教の本部の話をした。 「すぐそこやで、今もいろいろあるけど、本部は今は綾部や」 出口王三郎率いる大本教が昭和10年(?確か)に戦争反対などなどで大弾圧されて、神殿をはじめとしてすべての施設が破壊されたのがここ亀岡だ。高橋和己の「邪宗門」のモデルだ。 ひとっ走り、駅の前から数分のお堀のそば、までいった。 しかし、亀岡城祉としかかいてない。近くで散歩中だったおじさんにきいた。 「ここ、大本教本部のあったとこですよね」 「そうですよ」「お城の中にあったんですか」「そうやね、今は綾部や」 宗教は強いよ。 オウムも滅びないよ。 オウムと大本教を一緒にしてはしかられるというモノだが。 熊野の近露にあった「近露王子」の碑は弾圧後に残った出口唯一の書。
穴太寺前では、私ともう一人60代後半ふうのおじさんが降りた。 話しながら、歩く。 栃木からで今朝、亀岡の駅前に着く夜行バスだったという。 バスや電車を使いながらの西国参りだ。 栃木弁が、私のなじみの三斗小屋温泉のダンナを思い出させて懐かしい。もう2年いってない。今年は何とか行きたいモノだ。 お寺納経所はどうやら8時からのようで、門は開いていたが納経所はクローズ。昨日おくってくださった方に挨拶と思ったが、かなわなかった。
おじさんにさようならをいって、目の前にそびえる山<桜峠越え>を目指す。 今日は迷わないぞと、きちんと地図で確認をしてから歩き出した。 今日はこの桜峠と、清阪峠を越える。
写能神社をすぎると道は里を離れて一気にだらだらのぼりに入る。 人気なし。坂や谷筋にそれぞれ名前が付いていて、おもしろい。 でもまあ、歩き用ではなくて、山に入る人用だろう。 こういう、林道で、車も人も・・という道はあまり気持ちがよくないが、仕方ない。これが、巡礼道、だといわれれば、ね。 ほぼ1時間で越した。亀岡市東別院町に着く。 広い道だが、悪名高いダンプ街道、実によくダンプがとおる。 トイレ問題が気になっているが、ない。仕方ないので、見つけた学校で、貸していただいた。 外で仕事をしていらした用務員さんにきくと、1学級17人が最高、小さい学校だ。懐かしい学校の空気だ。門を出ようとしたら、唐突に「石田梅岩」の胸像。 エーどうして? 「どうして、石田梅岩がいるんですか」 「ここが、生まれ故郷なんよ」 そうなんだ。私はまた、大阪の人だとばっかりおもっていた。
学校の空気に当てられたのか、なぜか、サオリのことを思い出した。 歩きながら、思いに耽るのは危ないのだが・・・ やめる1年前に担任した彼女、母が出奔、父もフィリピン女性と同棲、という火宅家庭、いつも「ぬくもり」が欲しい3年生だった。 もし、仕事を辞めないのだったら、希望して育てていたかもしれない・・・・。 あの子、どうしているだろうか。よく思い出す子の一人だ。もう、高校生のはずだ。4年になって施設に行ったとはきいたが・・・ やがて道は旧道へ。清阪峠越えだ。あまり車の通らない道なのに、蛇がひき殺されていた。 昼寝でもしていたのか?おかわそうに。嫌いだけど、不憫・・・
同じ道の続きなのに、大阪に入ったとたんに、道幅が狭くなり鬱蒼という感じの森に道は突入だ。これって、京都と大阪の行政の経済格差?でしょうか。 狭い道に入るルート、はずさないように行くが、乗ったコースが「キリシタン自然遊歩道」なる野道コースだ。 キリシタンと、自然遊歩道、の組合わせって少しヘンよ。 などと思いながら歩くが、静かな道だ。途中の竹林の中があまりに薄暗くて怖かったが、基本的に感じのいい道だ。
しかし、またしても、山手台という新興住宅地にはいって、降りて、あれちがうぞ・・・・ロストマイウエイ・・・困った。 何しろ、出たのがダンプ街道だもん。人気はないし、怖いしで。 うろうろしていたら、何かを配達している感じの車が止まっていてお兄さんが戻ってきた。 「私は今どこにいるんでしょうか」 お兄さん、え?という顔をして、どこにいかはるんですか? 総持寺です、といいながら地図を見せると、彼、じっと見てから、「僕もこのへんはよくわからヘンのですわ、だけど、次の配達先がここ、東太田3丁目やし、近くでしょ、一緒に乗っていかはりますか?」 はい、いかはります、いかはります!!! またまた観音様出現。 今日は、茶髪のハンサムな22,3歳のお若い観音様。いあやーうれしやな。 わかれぎわ「がんばってくださいよ!!」ハンサム観音はいってくれた。 ありがとう。 こうして私は今日も無事にお札所に到着したのでした。
総持寺は大師堂があってお参りができたのもうれしかった。 立派な納経所に行くと、暇していた。バス巡礼シーズンが終わったららしい。 納経所のおじさんたちと四国の話をした。一人のおじさんは、自転車でまわっているのだという。 もう一人のおじさんにここ立派ですね。といったら、いや、こういうのんはなんや居心地悪いで、納経所なんてもんわやな、ちっこくて、少し汚いくらいでいいのんじゃ。 うん、その美学、わかる。ここって、まともなりっぱなお寺よ。 珍しいのは、受付に座って納経帳に朱印している人の前に名札があったことだ。銀行みたい。 ホテルを探すので、電話帳を、といったら、持ってきてくれたのは、祐園さんというわかいお坊さんだった。 2駅先の高槻市のビジネスホテルを予約して、しばらく明日のルートについてなはしをしていたら、でぶい日に焼けた大槻教授を漫画にしたようなお人が現れて、うちに泊めたろか? あるいとんだるんだって? もう、高槻のホテル、予約してしまいましたから・・・。 ここは四国じゃないし。ああそうですか。では、とはいかない。とりあえず、わたし、「女」ですから。 話をきくと、その人は、総持寺の発掘調査をしている茨木市の市教委の人。うちは、明日のルート上にあるとか。 もう歩きたくないし、やっぱり今日はご縁がないということで。
あの、キリシタン自然遊歩道って何ですか。 ときいたら、あの辺に江戸期隠れキリシタンがいたのだという。 「ほら、高山右近はルソンに逃げたけど、な」 そういうことなのね。高槻はあのキリシタン大名の高山右近の領地だったんだ。納得だ。そりゃ、隠れキリシタンもいただろうさ。 ついでに、漫画大槻教授は、明日は「継体天皇陵」もみていけという。 ええ、あの怪しげな継体天皇陵って、ここなんですか。 そうだ、よ。 そういえば、確か、伊藤若沖の闘鶏図があるお寺もこの近くじゃなかった? 今度、2泊くらいで、茨木市の歴史探訪においで、案内する、といわれて、住所まで書いてもらった。
ということで、納経所で楽しく「遊んで」いたら、早4時半。 3時半前についたのだから、お参りも入れて1時間あまりいたことになる。 お坊さんと、漫画大槻教授にさよならをして、電車で移動。 ホテル着5時10分。 明日は雨らしい。 でも、歩かねば、だよね。 今日の歩行距離は約30キロ。
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