| 2002年06月07日(金) |
★結願!!(~o~)★ |
朝、4時50分に目が覚めてしまった。 もう少し寝ようか、と思って目を閉じたのだがダメ。起きて支度をした。 5時50分、おばちゃんに送られて出発。 がんばるヨー。今日で厳しかった西国ウオークも終わりだ。
中山道ルートに乗る。 例のごとく高札がある。 六部堂、かつてこのあたりで旅の六部さんが亡くなり、あわれんだ里人がお堂を建ててお地蔵さんを祭った。 いつの頃か痛みのきつい病に効き目あり、という事になり・・・ 関ヶ原宿の入り口にある。 このあたり、松並木も残っている。
7時10分、垂井宿相川橋の辺でちょうどいいベンチがあったので一休みしていたら、自転車、地下足袋のおじさんに「なにしとるん?そんな杖持って」と話しかけられた。 おじさん、ワシも少し休んでいくかと、自転車から降りて、わたしの杖やら地図を見ていろいろと地域の歴史とか見どころをはなしはじめて止まらない。 今年80歳になるというこの方、地域のことにめっぽうくわしい。 すごいですね、といったら、そりゃ15年もこの地域の歴史を勉強する会にはいっとったもんですと。 「おじさん、わたし、もう行かないと・・」と20分を過ぎて声をかけたら、そうか、そうや、と怒濤のしゃべくりを止めて名残惜しそうであった。
きょうは、熊野を一緒に歩いたM氏が愛知から谷汲山で迎えて下さる予定なのだ。 3時の約束。 お待たせしないで着きたい。それにうちに帰ることを考えるとできるだけ早い時間に結願したいのだ。
なお、垂井の一里塚は、家康が一里塚の建設を命じた頃そのまま。国史跡であった。
青墓は、照手姫の墓があるので有名だが、おじさんにいわれた井戸をみていけ というのはパスした。
和宮降嫁のおりにきれいに整備されたという赤坂の宿を最後に中山道からはずれる。 今度は、本命「巡礼街道」だ。 しかし、セメント工場が軒を連ねて、「巡礼街道」というより「セメント街道」という感じ。
中山道はコンビニのたぐいがないのでトイレに困る。 揖斐川河畔の三町大橋に立派なトイレがあったのでほっとした。 一応、予定したコースタイムよりかなり早めに動いている。 道からはカゲロウがたっているけど、何といっても最後だモン。 力、でるね。 道行く人に挨拶すると、どこいくん?谷汲山か?という質問はやはり中高年に多い。 名鉄揖斐線、廃線の線路を越える。強者共の夢のあと。 いよいよ、今日の難所「小野坂トンネル越え」だ。 トンネルの上を越える道だ。 地図の通りに行ったが、道が切れている・・・・ アリャリャ、こういうの、もう慣れてはしまったがやっぱり途方に暮れる。 結局、草繁茂、倒木がとうせんぼしているその向こうに、かすかに山道の痕跡。おそるおそる、しかし、ここしかないよ、とずんずん行くとあった、りっぱな道が。 松尾心空師の「勘やで」を思い出す。
これを越えれば谷汲村。 谷汲山華厳寺は「そこ」だ。
しかしあつい。 30度近いんじゃないか。 20日からこっち、通り雨はあったがまったく降られていない。降られるのはきついが、この夏を先取りしたような天気にも参るよ。汗が目をさして痛い。
谷汲山門前に「満願の湯 谷汲温泉」を見つけた。 おお!! お参りが終わったら、はいるぞう。 それにしても、寺へのアプローチの長いこと。 1キロはある。 やっぱり大寺である。
着いた。 堂々とした山門、涼しげなモミジの木陰。 なかなかいい感じのお寺である。 しかし、またまた石段、だ。 大したことはないけれど、最後まで登らせてくれますね、観音さん、である。
手水のお水が美味しい。 口を濯ぐ前にがぶがぶ飲んでしまった。 石段のまん中にM氏の姿。 「ついたよ!!Mさん」 「早かったねえ。まだだろうと思っていたよ、イヤイヤ、アンタはエライ!!」 ありがとう! 2時55分。
ゆっくりとお参り。 なんか、さわやか。すごく爽やか、気持ちいい。 四国遍路を結願したときとは別の何ともいえずいい感じが身体に来る。 比較の問題ではないけれど、厳しい道だったと思う。 終わった。達成感がある。 なにか許された、感じ。
写真を撮ってお寺をあとにした。 満願の湯入り、でると、M氏がビールの自販機から缶ビールを持ってきて下さった。 ぷしゅ、ぷは〜〜う、うまーいいい。 これが楽しみだったんだわ。 ビールが甘く感じた。
岐阜から名古屋にでて、新幹線に乗る前に改めてM氏が精進落としということで ご馳走して下さった。 名古屋名物うなぎのまぶし、とかっていうヤツ。美味しかった。 またまた、生ビール、土佐名酒司牡丹。
自宅帰着11時45分。 ワタシの「○×歳記念イベント 西国徒歩巡礼」は終わった。 前から、後ろから、横から応援して下さった方々、本当にありがとうございました。
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