世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年06月28日(金) 夾竹桃の花言葉は・・・キ・ケ・ン

地域に配布されるフリーペーパーを読んでいたら、夾竹桃(キョウチクトウ)のことが出ていた。何と花言葉は「注意」と「「危険」だとか。
あの夏になると、エネルッギュに咲く花に毒があるとは知っていたが、
あのアレクサンダー大王が頓死したのは、夾竹桃の大枝に刺して焼いた肉を喰ったため、と読んだことがあったが・・そりゃ、あんまりな・・である。

大昔、公害地域として名をはせていた川崎市の南部に勤めていた。白い洋服の襟が一日で黒ずんだ。鼻の穴が黒くなる、鼻くそも真っ黒(ホントに)、肌の色が黒ずむ。という感じで、気管支の弱いアタクシめはしょっちゅう風邪を引いたり、ぜん息様の咳をしていた。
そんなとき、夏空に向かって、燃えあがらんばかりにあの空気の悪いところで咲き誇っていたのがキョウチクトウ様。電車の沿線、道路際・・とにかくどこにもあった。どこでも咲き誇る花だった。いつも身体の調子が悪かった私に、あの色がまぶしくて、エネルギッシュな花にもう嫉妬さえ感じていたものだった。
 (私が元気者になったのは、30代以降・・守護霊が変わった(?_?))

いわば、青春の花なので、「危険」とか書かれると悲しいんだよな。
花言葉、「悪女」とか「ジゴロ」とか、いうのダメ?気をつけないと危ないかもだけど・・いつもじゃない・・だって、悪女、ジゴロの人が24時間ぶっとおしで悪いと私、思わないもん・・の心なんですがね。
 ン〜ン、ヤッパ、パッとしないか。
あ、ひとつ、いいことが書いてあった。
原爆投下後75年は草木が生えないといわれていた広島の町にいち早く根付き花を咲かせたのがこの夾竹桃。(よしよし)広島市の花だという。(おおお)
そして、「ヒロシマの会」の人たちがアメリカのテロ現場に復興の気持ちをこめて夾竹桃をおくったんだとか。
(あまのじゃくmohejiの独り言・・・こめられた気持ちはよーく分かる・・しかしだなあ・・ニヒリストのUSシティズンがいたらどう思うであろうか・・・モスレムの国で、日本はアメリカに原爆でやられたのにどうして子分のように従うんだ?とよく訊かれたよなあ)

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透明な空気、短い夏に咲きほこる可愛い花・・というと、私のアタマにはもう、グリーンランドで見たベルフラワーしかない。
紫色の、小さなベルの形をした花が、つかぬ間の夏に谷をおおいつくしていっせいに咲く。
それは美しい眺めだった。
そんな景色の中で、私にすれば、手がキレそうな水をたたえた湖・・(何しろ雪解けの水)で子どもたちは泳いでいた。
いい顔をして、人なつこかった。
日本人と同じ顔をしたイヌイットの子たちなので不思議な気がした。

一緒に花を見に行って仲良くなったデンマーク人夫婦(奥さんタイ人)とイヌイットのおじさんに夕食に招待された。
(しかし、私は3食付きのツアーでもうしこんであったし、やっぱり仲良くなったドイツ人家族とその晩は同じテーブルで夕食しようと言われていたし、失礼した・・それと・・何が出てくるか少し恐い気がしてもいたので。そう、あのグリーンランド旅行、なぜか私、人気者だった。日本人一人旅だったせいか?)

次の日の朝、タイ人の奥さんが私のテーブルに飛んできて「あなたは来なくてよかった、海からがあげてきたアザラシを目の前で切り裂いて、その肉を食べようというパーティーだった、私はもちろん食べられなかった、うちの夫も食べなかった」
ドヒャー!!
でも、イヌイットの人にすればそれが一番のごちそうなんだよね。
ちなみにアザラシはしばらく(約2週間)海に置いておいたのがうまいらしい。
そんな思い出と一緒になつかしい、ベルフラワーなのであった。

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久しぶりに雨が落ちてこない。
洗濯。
おきまりのお昼寝で、父母が私の部屋に来た夢をみた。
帰る連絡、せんとなあ。

仕事も少しだけ形になってきた。
窓を開けておいたら、お隣りの庭にあるクチナシが盛り。すごく香ってくる。
もうそれはすごい。

ということで今日は、優雅に「花尽くしの日記」でありました。


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