世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年07月06日(土) ★火渡りをした!!★

5時起きて外を見ると空は怪しい。今にも降りそう。昨日も、朝食を食べて出るか、食べないで行くか、Kさんと相談したのだが、天気が最悪にならないうちに行こうということで、6時過ぎでにしたのは正解だった。

6時15分、フロントの方に送られてでる。
安楽寺まで。
6時40分着。
すでに境内には数人、近所の方のお参りの姿がある。犬をつれてのお参りも。その犬、シベリアンハスキーが興奮している。見れば生まれてまだ数ヶ月だろうと思われる子猫が1匹フガーと毛を立てて犬をにらんでいる。やるじゃん、ちび猫!!
どうやら捨て猫らしい。見回すと、ファミリーらしくに何匹かいる。ここにすてられて繁殖した、ということらしい。

しっかりお参りして、納経所の開くのを待つ。

7時すぎにオープン。
「おまたせしてすみませんでしたな」というお言葉とともに。
猫の話をすると、やっぱり、捨て猫が繁殖して、好きな人が毎日餌をやって・・・のパターンらしい。
「やらんといてくださいというてもお参りにきがてら、餌を持ってくる人が多くて、もう土のところは猫のおしっこ臭くて、それでほら、そういうとこコンクリ−ト張りましたわ、それだと、水で流したらいいし簡単ですしなあ、子猫は死ぬんですわ、埋めてやります」とたっぷり、きかされてしまった。

高知城のわきを通り、高野寺へ。
高知城、未だいったとなし、いつかと思うのだが。
高野寺は立派なお寺だった。
お大師さんがご本尊とかですでにきれいに掃除されて、何かいい雰囲気だ。
ゆっくりお参り、納経してから、本堂前のベンチでKさんと彼女の亡きご主人が夢に出て見えるときなぜかランニング姿だという話を聞く。
「なにも考えられなくて、お棺にお遍路着とマラソンのときの支度しか入れなかったからね、お父さん、スーツがないからどこにも行けないの?とおもうのよ」
などと・・・・・。
供養だよ、な、亡き人のこと、話すのは・・・・。

ものすごく蒸してきた中を竹林寺へ、高知市中心部を歩く。風もあるし、ぼつぼつ雨が降るお天気なのだが、蒸し、蒸しだ。汗がだらだら。

竹林寺着、9時半すぎ。
途中、「田内千鶴子生誕の地」という大きな石碑があった。前にはなかったものだ。この人は、戦後すぐだったか?韓国人牧師さんと結婚してあちらにわたり、夫が亡くなっても夫が作った孤児院を維持拡大をした人、こういう方こそ「偉人」。
そうか、「ハチキン」さんだったのか、だ。
竹林寺の、遍路道、呼吸も乱さずにあがる。自分ながらびっくり。やっぱり、熊野でグレードアップした?坂の嫌いな私は、こういう坂ではすぐにハアハア、べろを出した犬状態になったのに。

竹林寺は好きなお寺だ。いと、つきづきしってかんじ。
お参りの後、本堂の前にできていた真新しい売店の横の休憩所で冷たいお茶をごちそうになった。そこで、やはり歩きの男性と話す。初めて、通し、もう疲れていますよ。穏やかな感じの人。真っ黒、いかにも夏近いお遍路って感じの色になっていた。
あっちよ、次は、と方向をお教えしてお先にと出た。
初遍路の時、なにが困るったって、どっちか、なだから。

川でやたらに魚がはねる。
絶対雨来ますよと話す。魚がはねるときはそうだもん。なんいう魚しかしらないが、かなり大きなうまそうな魚だ。

ぼつぼつ歩いて、家の門前にあった椅子で座って休ませていただいていたら、おばあちゃんがでてきていろいろとしゃべっていたら、「今日は石土神社の年一回のお祭りですごくにぎやなかなんだ、行きたいんじゃけど・・」という。
イシズチときいて、あれ行きたい・・通り道ですかときいたら、そうやな・・通るなあ・・ということだ。kさんと、よし寄りましょ、ということになった。

少しいった道沿いの自販機前で飲み物を飲んでいたら、さっき竹林寺で一緒になった男性お遍路さんが来た。
彼も、休んでコーヒータイム。しかしホントは「ビール、ないんですねえ・・」ということで、ビールが飲みたいらしい。
「あ、あるきながら飲むの?」
「昨日、そうしたら、道、間違えました」
笑いながらいう。でしょうよ。

32番への道筋にある池の蓮が花盛り、見事、見とれた。

登りが強風ではためいている石土神社着、12寺40分。
みんな何かを待っている感じ。
「なにを待っているんですか」
「お護摩じゃ、今日は1時からあるんじゃ」
へえ・・・
境内に行って見たら、確かにそうだ。山伏姿の行者さんがたくさんいる。
ご本尊は山上だというので、行こうとしたら、「あんた、遍路の話をした人じゃろう?ホンマにあるいとるなあ」と突如声をかけられた。
ええ?
ほら去年の先達の講習会で・・・
はいはいはい!
「ワシ、美人は覚えとるで」
ありがとう!!!!!
なんか奇遇だ。

参上に登り、ご本尊でおかじを受けた。
道中安全の気合いをいただいた、ありがとうございました。
してくださった人から不思議なお話を聞いた。
そして「愛媛の石鎚はここの分家なんで」といわれてエーとまたびっくりだ。
年に一回のお祭りや、ご縁じゃ、是非火渡りをして行けといわれた。
そうすることにした。
山を降りてから、今日の宿高知やさんに遅くなる旨を知らせた。
お護摩会場に行ったら、さっきの男性遍路氏もいて、高知やさん、、とまれますかね、というので電話してやった。
1時すぎに儀式が始まった。鍬うちのような仕草、矢とばし、刀の払いなど、ふーん・・すべて初めて・・で、興味深く拝見した。
1時20分近くになって火がついて、外につけてある生桧のいい匂いが漂う。そのうちにすごい煙。強風にあおられてたちまち、こわくらいの火になる。
積み上げられた、護摩木の願い事が、行者さんによって一つ一つ読み上げられ、火に投げ入れられる。
いつ終わるのか、心配になって、偉そうな年季の入った、おじいさん行者さんにきいたら、2時半過ぎには渡れるようになる、大ジョブやその後にお寺にいったほうがいいといわれた。
そうすることにした。
2時半すぎに、護摩木が終わり、塩がまかれて、いろいろと気合いが入り、わたれるようになった。
みんな靴下を脱いで待っている。
私たちもスタンバイ。
3じ少し前に、わたった。少し足裏にジワンときたけど、ほんとにあつくななかった、不思議。

餅巻きのおもちをもらって、声をかけてくれた山伏さんへご挨拶して、出た。

4時、32番着。
6時10分、種崎発乗る。
高知やさん、6時20分すぎにつく。
途中、3人でわけて、と接待を頂いた。
高知やさん、うれしい、懐かしい宿だ。

思いがけない体験ができた日であった。







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