世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年07月11日(木) ★無事に帰宅!!サンクス! お大師さん★

台風一過の空は青い。
朝食後、たまちゃんに電話。昨日のお礼を言う。なんか、電波が悪くて電話がとぎれる。ここは山中を実感した。

8時すぎ、植村さんの女将さんと柳水庵へ車で向かう。
歩くとあんなにえんやこらさ・・の道も車だとはやい。
8時半過ぎには、着。
昨日、ご拝顔に伺います、とお電話していたこともあった、なんと待っていて下さった。
すでに、11番からのお遍路さんが3人着いていて、納経の高らかな声が聞こえていた。昨日泊まりの方はもうでたという。
それを聞いた植村さんが「大変やわ、そんならうちには1時には着くねえ」とあせるが「だいじょぶ、うちに来るのに11番から4時間かかったというし、そんなに早くにつかんとおもいます」
 お元気なお声だった。少しホッ。
あがらせていただいて、お茶を頂きながら肝臓の手術のお話を伺った。
3月4日に入院して、7日に2センチほどの腫瘍(悪性)を切ったのだという。
前から肝臓がお悪かったらしい。(疲れやすくてしんどくていらしたでしょうに・・・そんなことはみじんも感じさせない・・)
7日に切って29日に退院しましたのよ、とのこと。
看護婦さんたちが元気ですねえ、というんですよ。
 とにこやか。
少し目の下に隈が見えるが、声の力や好奇心の強さ、話ッぷりは変わらない。
またまた、ホッ。
ただ、お体、すこし背中が丸くなって切った方へ身体の形がまがったという感じで、それが痛々しい。
先日お医者さんに定期検診にいったら、3週間のお薬が出たらしい。順調でないと3週間も出さないだろうし・・なあ。
写真をご一緒にといったら、今度いらしたときに・・といわれた。待っていますよ、とも。代わりにおじいさんと2回とっていってくださいな、とも・・
伺った話の中に、掬水へんろ館の談話室に出てくる空我さんのことがあった。
お参りをさせていただき、30分ほどで失礼した。
Kさんと「なんか少し安心したね」。
帰路、植村さんの女将さんとも「すごい気力だよね」という話になった。
私たちがいる間にも先着の3人が立った後にまた、3人のお遍路さんが来てお参りをして休んで行かれた。そのたびにお接待で動かれる。身体が休まるヒマがないと思うが・・・気合い、気力以外の何ものでもない。
柳水庵のおばあちゃん(といってはしつれいだが)、85歳にしてバイクでオヘンロする大鶴旅館のおばあちゃん(元おかみさん)、鎌大師の妙絹尼、はへんろみちの3大女傑(快女)といっていい。
女としてはかくあるべし、のお手本だ。
私は話しに聞き入って、大失敗、なんと納経をしてお代をおいて来なかった。
ドヒャー、だ。
明日送らなくては。金平糖のおみやげまで頂いたのに、あああ、情けなや。
私も、穴がなくても入りたい・・よ。

10時47分のバスで徳島駅へ。
お昼を食べてから、十郎兵衛屋敷と木偶人形会館へいった。
ビデオで、傾城阿波の鳴門を見た。
人形会館では、人形の頭にさわらせてもらって、動かしてみた。文楽好きとしてはなんか嬉しかった。
ちなみに阿波の人形芝居に使う頭は大きい。
農村人形芝居は今や徳島でも2箇所しか残っていないのだという。
徳島市のはずれと、徳島県と高知県の県境、一度見に行きたいと思った。
この人形を使うというのも、そもそもの始まりは渡来系の技術、古代の徳島をこの人形芝居から想像したりして。
確か台湾に「布袋戯」という近縁を感じさせる伝統的人形芝居がある。

4時半のバスで空港へ。飛行機は20分遅れで発った。
乗る前に飲んだビールのおいしかったこと!!
kさんにお礼を言って、お別れする。

ヨーカ堂で買い物をして9時40分過ぎに帰宅した。
台風だったが、今回も無事に終わった。
たまちゃんにも会えたし、柳水庵のおばあちゃんにもお会いできたし。
お大師さん、サンクス!!でした。

明日から忙しいぞい。


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