世界お遍路 千夜一夜旅日記

2008年08月23日(土) 旅4日目 白川郷印象記

合掌民宿「H」(下に書くことがいろいろと差し支えるかも知れないんでこれで勘弁)がわたしの泊まった宿だ。
けっこう奥まったところにあって、上も下も同じ合掌造りの家がある。
築120年ほどだそうな。
造りは、玄関を入って突き当たりがいろりのある食堂。
そのとなりに2つの部屋。こちらは家の裏側になる。
まん中に廊下があって、縁側に面して3つの部屋。
つまり、このうちは、5つの部屋を民宿として提供しているわけだ。
で、わたしが泊まったのは裏の奥の部屋で、一番小さい部屋かな。
窓はあるけど、簾がかかっていて、水がおちる音がやかましい。
この水は、昔は消雪と家の中に引き入れて、台所仕事につかっていたらしいから、そのなごりなのであろう。
廊下の正面は板戸だし、仕切りも板だ。ガラスの入った障子戸もある。
子どものころの、実家の古い家のたたずまいがあってなつかしい。
その昔、日本の民家はみんなこんなモンだったんだろうよ。

部屋にはテレビはない。テーブル一つと座布団、蚊取り線香みたいなヤツのみ。
テレビは、食堂にもない。
トイレは、完全水洗で、自動で照明がつくしくみで近代的。
多分、台所とお風呂もそうであろう。(どちらも見てないので想像で)
あと、トイレのとなりに部屋があって、ここには、おじいちゃんとおばあちゃんが居住。元気で明るい女将さんとそのご家族は別棟の新しく立てたほうにいるようだ。
あとで合掌造りの家ををいろいろと見たが、基本は、上がるとまずは正面にいろり。向かって右手には、たいてい水回り(台所)とトイレ(いわゆる雪隠ですな)。
左には、仏間とか客間などの居住空間がくるようだ。
あと、二階はいわゆるおかいこ部屋。
山里の現金収入は、このかいこと煙硝だったどそうな、だ。
煙硝は、すごいつくり方をする。
床下に穴を掘って、そこに草やら家畜の糞尿を入れて発酵させる。数年するとそこに硝石ができる。
これを売りに行く。
これが、江戸期には村を支えていたらしい。
この話は、和田家という国重要文化剤になっている合掌造りの見学をさせていただいたときにそこの大奥さんからきいた。
このあたりのことをもっと知りたかったのだが、残念ながら、野外ミュージアムにもにもそのくわしい説明はなかった。

合掌造りの復元ビデオを見たが、すごくよく考えられていて、まあ一種の組み立てはめ込み細工だ。
それは見事。
あと、家の向きも、南と北からふく風を取り入れるように設計されていて、東と西に水を引き込んで消雪まで計算に入っている。
昔人は賢かった!
これを残したのはいいけれど、そして、それが世界遺産になったのはいいけれど、いいのか、通りに面した合掌造りの1階がみんな土産物屋で。
品位がないよな・・・これが問題だ。
生活していくこと、世界遺産になって人がおしよせてくること。
このバランスのとりようがむずかしい。
上高地は「河童橋あたりまで、上高地銀座だった」と話したら
わたしが泊まった合掌民宿の元気な女将曰く「ここらあたりは、白川郷原宿になっとる」
確かに、言い得ておるわ。
だって、土産物屋さん、ほとんど道路まではみ出して、物をならべたりつり下げたりしていて、原宿竹下通りだよね。
「今だったら、世界遺産にはなれないね」
とわたしが、熊野古道は、舗装されているところは部分的に遺産からはずされていると話したら「そう、わたしらも、このままやったら、はずされる、と危機感もっとるんよ」
と元気な女将。
だよね。
でも、同じ村の住人だし、言い出せないで困った、困った、といっている気配。
むずかしい問題だ。
まあ、しかし、わたしはこの状況にがっくりしたのは事実です。
行政区分では富山になる五箇山も世界遺産だが、これほどではないらしい。
今度、そっちを訪ねてみるかな、地理的にも近いし。
元気な女将さんも言っていた
「あっちのほうが素朴で昔の雰囲気がいっぱい残っておるよ」
だって。
ただ、民宿の料理は、山菜やおばあちゃんの畑でとれた野菜をつかって心をこめて料理された物でおいしかったし、野菜を売っている合掌のおばちゃんたちの野菜カレーもとてもうまかった。

そうそう、朝5時半におきて散歩したが、そのときはだれもいなくて、ホント、日本昔話の世界だった。

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さて、13時50分金沢行きの急行バス。
15時5分には着いた。
15時20分の電車で、富山に降りたり直江津で休んだりしながら、各駅停車で帰宅。8時35分。
おかげさまで、「良寛」読了。
そして、マイ夏休みも完了。


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