| 2009年06月23日(火) |
死の準備のほうが簡単だ |
力が出ないねえ。 最低限のことをして、息をして食べて・・・ これじゃだめなんだけどね。 今まで、思い通りにならないこと、悲しいこと、つらいことごまんとあったけど、これは今までの中で最大の悲しみ、喪失感みたい。 こんな真っ黒い泥沼にずぶずぶはまっていくよな感じって今まで体験なかった。 弟の最後・・・教えてくれたこと・・・毎日毎日生き切るしかないんだよ、ということ。 出来ていないなあ・・・生きる気がうせている。 とりあえず、一番簡単なことは自分の死の準備をすることだろう。 かたずける、今までとっておいたものを捨て切る。 遺言を書く。 近々、白菊会に入ろうと思う。 更に、末弟のことも、母や私がいなくなって、どういうことになっていくのか、今の施設の担当者や福祉の方々と談合しておきたい。 弟は生きる気満々、なにも言い残さずに、ふっと息を止めてしまった。 彼の始末はしてくれる人がいる。 しかし、私はだれもあとを見てくれる人がいない。 明日死んでもいいように、身の始末をきちんとしておかないと、と思う。 生きることを考えるより、死の準備をするほうが簡単だ、といったのはだれだったか。 これ、真理だなあ。 そういう意味では、弟は、戦って生きたい!のほうをえらんだのだし、はるかに難易度の高い世界を生きたわけだ。 弟よ、君はえらかったよ。 私がガンになったら、余命を聞こう。 抗がん剤は、もちろんしない。 私にはガンと戦う理由は何もない。 余命のうちに死の準備を万端整えて、みんなに挨拶をして、あちらのことを書いたものをたくさん読んで、逝く練習をしておだやかにあちらに逝きたいと思う。 痛みが来たら、モルヒネ。 できるだけ、痛くないように逝きたい。 チベット仏教の瞑想は、魂を肉体からするりとぬくトレーニングだという。 これは「自殺」ではない、もちろん。 天寿を迎えるとき瞑想によって練習してきたようにやればいいということらしい。 こんな本ばっかり読んでいる。
|