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2006年12月13日(水) こちら、そちら、あちら
こちら、そちら、あちら

昨日 ことばや言語関係の雑記集我々」について書いてから、 こちら(我)、そちら(相手)とあちら(それ以外、よそもの)について今朝ふと気になって考えた。

まず言語についてさらに考える。 「我々」の項に書いた通り、 日本人と中国人には、少なくとも言語の面から見ると、「我」が無い(確かでない)。 「我」は1つしかないのに言語では複数の表現「我々(我我)、我ら、私達/我們)があるから。

それでは相手とよそものについてはどうかと言うと、 中国人は言語では区別する(なんじ(イ尓)と他人(他))のに対し、 日本人は実はそれほど区別していない。 何故なら「あなた」は本来あちらとか遥か「かなた」、 つまり元々第三者の意味なのに「そなた」、 そちら、つまり第二者と同じ意味だから。 そもそも日本語には英語のyouに相当する言葉が、無い (これについては「「ユー」と敬語」の項で触れた)。

さて、このような言語が人々の世界観を支配しているとしよう。 そして、この世界が「我」、「相手」と「それ以外」だけでできているとしよう。

すると多くの国の人達はこれら3つがちゃんと区別できる。 これが「普通の」世界観と言える。

これに対し日本人は「我」がはっきりしないうえ、 「相手」と「それ以外」も区別できるかいまいち分からない。 「我」も「相手」も「それ以外」も互いに区別できず、 ぼんやりと存在しているのが日本人の世界観となる。 家庭で母親が子供の前で父親を「お父さん」と呼んだり (註1) 自分を「母さん」と呼んだり (註2) 会社で他の人を肩書(つまり課長、部長等々)で呼んだりするのを思い出すと納得。 その他「おのれ」の意味は何だっけ? 島国なので領土は外国とはっきり区別できるのにね。

一方中国人の世界観は「我」がよく分からないけど「相手」と「それ以外」ははっきり存在するもの、となる。 私はうまく想像できない… ちなみに私の持つ中国人のイメージは「中国人のはらわた(連根藤 (1989)、はまの出版)」に書かれている。

ここからは言語の話題から離れる。 では、「それ以外」がよく分からないけど「我」と「相手」ははっきり分かる世界観は… 神様あるいは恋人に向かっている人が持つものと言える。

では、「相手」がよく分からないけど「我」と「それ以外」がはっきり分かる世界観は… これってもしかして…「ウリとナム」? そう言えばあちらにもyouに相当する言葉が無い(と言語の話題に戻って終る)。

(註1) 妻はまだ良い方かもしれない。 と言うのは夫の中には名前も代名詞も使わず 妻を「オイ」で呼んで済ませる奴らもいたから(今もいるのかな?)。

(註2) 私はこのような呼び方がものすごく苦手なので日本女性はめとりたくない。


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