ウェブ日記
名古屋圏人のはらわた私の世界観を大きく変える出来事が起きた。 数日前、ウェブ百科事典 ウィキペディアの パロディのウェブサイトアンサイクロペディアを訪問、 名古屋共和国の記事を見て面白がる。 日本で時々耳にしたけど、 彼の土地の人が閉塞性が強いと紹介されているので、 一昨日「名古屋 閉鎖的」の言葉をぐぐってみたら、 約12万件もヒットしたので驚いた。 そして、検索されたウェブページの中からこんなウェブサイトを発見した (名古屋みゃーみゃー通信第22回)。 そこにはおそるべきことが書かれていた。 あまりに衝撃的だったのでここに引用する。 名古屋っ子は必ず恩返しをします。 しかし、やられた仕打ちに対しては 例えそれが一時的なことだったとしても、冗談だとしても、 名古屋っ子は一生根に持ちます。 それでも良ければ名古屋をあざ笑って下さい。 これは脅しなんかでは決してありません。 悪口を言う際は、一生名古屋を敵に回す覚悟をしてください。 このウェブページには例として 戦後すぐ潰れそうになったトヨタ自動車の 再建支援を断った住友銀行と川崎製鉄が それらが地元の企業と合併するまで 半世紀も出入り禁止となったことを挙げている。 企業は己の経営に問題があったから倒産寸前になるので、 恨むとすれば自身である。 他の企業はそんな問題のある企業の再建の協力を拒むのが普通なのに… トヨタは特別な例と思っていたら、そうではなかった。 以前はこちらがつれなくして申し訳なかったのにもかかわらず、 半年前あることがきっかけで仲良くなってくれて、 笑顔で挨拶してくれて、 親切にして貰ったことのある愛知県出身の留学生がいる。 でも、また私の過ちが元で、 あちらからは最近3ヶ月の間こちらが挨拶してもろくに返事を貰えなかった。 謝ったのに。 あまりに態度が酷いので、それは正しいことかの旨メールしたら、 半年以上ろくに挨拶の返事をしなかった人に 最近の自分の態度が正しいかどうか聞かれても困る、と返された。 私はショックだった。 自分の非をなかなか認めない人は世の中に多いので、 それはまだ良い。 でも、まさか仲が良かった日々でも あちらは私の無礼を根に持っていたとは全く思ってもみなかった。 あまりのショックに終日寝込んでしまった。 あのウェブページの内容は、やはり事実だったのだ。 その後あちらには、そちらがどんな人かよく分かった旨の最後のメールを送信した。 私は今まで何人かの愛知県とその周辺出身の人に (名古屋圏外で)出会ったことがあったが、 正直言って何度もどこか彼らに、 他の出身の人には感じられない違和感を覚えたことがある。 うち1人(愛知県出身)は、 私を一度嫌いになってから、何度謝っても、 最後まで私を許さなかった。 今までは私に問題があると信じて疑わなかった。 織田信長は、自分に一度でも刃向かった者を最後まで許さなかった。 柴田勝家は許されたけれど、 彼は尾張出身であるのを忘れてはならない。 特殊部隊の経験者であり愛知県出身の柘植久慶氏は 著書「フランス外人部隊から帰還した男 (飛鳥新社、1987年))」で、 自分を馬鹿にした兵士を訓練中脳挫傷であの世へ送った --この事件は事故として処理された-- と記している。 彼らの行動は上のウェブページを読めば、 容易に理解できる気がする。 もっとも命の遣取りが行われる場所は 平時の常識が通用しないのだけど。 根に持つ者は、 日本では相手にされないくらいで済むけど、 ヨーロッパを含む外国では、 命を落とすかもしれない。 キリスト教では他人を許すことの大事さを何度も説くので (例:主の祈り)。 ともあれ、 あのウェブページの発見と 最近の私に起こった出来事がきっかけで、 私の名古屋圏とその地の人々や企業に対する見方は 決定的に変ってしまった。 あそこは、海外在住の私が知った最初の「異国」である。 (29 Dec 2006に28 Dec 2006付で記、30 Dec 2006細部の追記) |