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2002年01月12日(土) 不健康がお似合い ●半所有者(河野多恵子)・ブルールーム(D・ルヴォー)

 なんとか朝型生活者になろうと、早く寝ようとしても眠れず、例えば飲んだ勢いでそのまま眠れてしまえても、やはり中途半端な時間に目覚めて、夜の真ん中で途方に暮れてしまう。
 それでもなんとか、複数の目覚ましで強制的に朝を迎えても、健康的な空気の中で仕事をする気になれない。むくむくと妄想が頭をもたげ、書かずにいられなくなったり、自分の見たい景色が広がっていくのは、どうしても夜の中において、なのであった。

 憧れの「健康」はひとまず脇に置き、やはり夜の人として生きるのか?

 河野多恵子氏は「半所有者」を、一体どんな時間帯に書いたのだろう?
 原稿用紙30枚かそこらの短篇に描かれるのは。
 病院から自宅に戻り、通夜を待つ妻の亡骸の上に乗っかる夫の姿。彼は死体との交わりの中で、女の官能にさえ至る。つまりは、すでに肉として喜べなくなった女の体と交わる中で、女の喜びを代わりに己が肉に移し込んでしまうような一体感を味わっているのだ。

 なぜ交わるのか、それは愛か? どの刹那、死体との結合という絵が彼の裡に浮かんだのか? 妻の死体は如何にして夫をその行為に誘ったのか? それは妻の一生かけた貯めこんだ、女の業の表出なのか?
 
 読むたびに匂い(臭い)を変えそうなこの小説、こんなものを朝方書くと思うとぞっとする。いや、でも、きっと朝の時間に書いたに違いないと思えてしまう、作者の企みを、感じてしまうのだ。平明な文章、淡々とした時間の運びの中に。

 我が青春の劇場「ベニサン・ピット」で、「ブルールーム」を観る。シュニッツラーの「輪舞」を舞台化したもの。
 一言で云えば、セックスの話のオムニバス。いちばん危ない題材を見事なバランス感覚で演出するルヴォーに、久々に感服。そして、昨年仕事で知り合った女優、秋山菜津子の鮮烈さ。軽やかに、かつ執拗に「女」でありながら、時折ユニセックスな存在になって自分の「女」を不機嫌そうに眺めていたりする。
 ナルシズムから見ても、愛し過ぎたり嫌いすぎたり、ぎりぎりのところを行きつ戻りつ。

 本はバシバシ読めてしまうし、観劇予定は続くし。休暇に入っても、享受するばかりのわたし。

 才能も企みもない人間は、やっぱり夜中にこそこそと、妄想を膨らませ、不健康にまみれて仕事するのが似合っているのかも。

 


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