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2002年02月21日(木) "Bad Raymond" and "Good Raymond"

 小説を書いている。多くの人が小説を書こうとするように、小説を書いている。仕事は、舞台を作ることだ。それでも休みなので、わたしは小説を書いている。
 敬愛するレイモンド・カーヴァーは、ずっと書き続けて生き、死んだ人だ。書いていなかった時期も、常に書こうとあがいていたわけだから、一生書き続けた人なのである。書かなかった、書けなかったのは、30代だ。常に金がなく、愛情のなくなった妻との関係に悩み、細々とした生活のあれこれに疲れ、酒に頼っていたらひどいアルコール中毒になってしまった。のちのち、彼は30代の自分をふりかえって、"Bad Raymond"の時代と呼ぶ。40代になって、彼は病院に入り、書くためにアルコールの毒から逃れ、新しいパートナーと出会い、再び書き始めた。"Good Raymond"の時代だ。それは、"Bad Raymond"からすれば、奇跡のような美しい時代になった。
 たくさんの人が一生宝物にするであろうことばを、物語を、次々と書き残し、大好きな川のそばで、最後まで愛する女性と二人きりで暮らした。

 バイオグラフィーを俯瞰すると、決して幸福なことばかりではなかった彼の人生が、時々、わたしのお手本のように思え、自分が彼を追いかけているような気持ちになることがある。もちろん、わたしが彼の書くものをこよなく愛しているせいでもあるのだが、それは、ほかの作家を愛するのとは少し違う。わたしは作品と同時に、彼のバイオグラフィーを愛しているのだ。

 わたしは、30代に何も為さなかった。確かに仕事をし、たくさんの人と出会い、色々な喜びを得たが、振り返った時の空疎感は隠せない。誰に言っても、贅沢だと言うだろう。望みすぎだと言うだろう。でも空疎なのだ。それは自分自身にしか分からない。何度も繰り返してしまった過ちを思い、「三人姉妹」のマーシャを気取って、失敗の人生と呼びたくなることもある。

 そして、これまでに失ったものを確かめるようにして小説を書いているのだ。自分のために。書き終えたら、"Good"と呼べる時代になるような仕事が出来るように、小説を書いているのだ。


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