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2003年02月24日(月) 休日。●僕のなかの壊れていない部分(白石一文)

●昨晩から、白石一文著「僕のなかの壊れていない部分」を読む。目ざめて、午後から仕事をするつもりだったのに、外出するまで読み続ける。
 登場人物に、徹頭徹尾、人生哲学を代弁させる小説。……といった表現をするのは、けなしているのではなく、まさにそういう小説だという意味で、実に読ませる、いい作品なのだ。
 白石氏は、プロフィールからすると、わたしより3歳年上。しかしながら、哲学を語らせるために登場させている人物たちは、28歳から32歳という年齢分布。実に若い。
 誰にも等価として与えられた「生まれてくること」と「いつか死ぬこと」の間の生き方を、色々な角度から提示してくれるが、どうして、仮託するのがそういう年齢だったのだろう?
 現在の自分の年齢に近く設定するには青臭いと感じるからか、それとも、年嵩ゆえの濁りが生じるからか?
 あと、5分の1ほどを読み残している。これは、今夜のベッドへ。

●劇場に足を運び、松尾スズキの新作を見る。大いなる失敗作。2年前「キレイ」を見たときに感じた「演劇を見る喜び」がまったくない。危うい女優奥菜恵を使ったかつてと、名優勘九郎を使った現在の違いだろうか? 

●恋人と夕食を共にする。仕事に追われる彼と、初日を開けて安定期に入っているわたしの休演日のノリは、明らかにすれ違いを呼び、違和感を感じつつ、それぞれの家に帰る。恋人は、九月になるとパリへ一年間の国費留学に出向く。パリには、別居中の奥さんが住んでいる。わたしの心は、一日一日、九月に近づき、乱れ始めている。

●かつてベルリンで買ってきた、ロッテ・レーニャジャズを歌うのCDを、昼間かけて過ごす。
 女ゆえの潤い、あるいは湿っぽさを、一切排除した歌いっぷりに、ぐっとくる。
 歌には、その人の人生が反映されるみたいな論調を、よく耳にするけれど、そういう歌い手に出会えば出会うほど、天賦の歌声の方こそが、その人の人生を決定づけているような気がしてならない。人生が歌声を呼び込むのではなく、歌声が人生を呼び込む。
 人生は、きっと、求めることと、見えないものに求められることのバランスの中で、決まっていくような気がする。

●休日が一日あるだけで、自分が自分に戻っていくのを感じる。仕事をし続けていると、自分の中のある部分だけをかたよって使って暮らしていることを、痛感する。


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