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2003年04月08日(火) 人生の、こんな時期。●一瞬の光(白石一文)

●帰国して、自分の調子の悪さに気づいた。心の居所が、どうも悪い。
 
 ロンドンでの公演成果は上々だったものの、自分の仕事がどうもうまく転ばず、誤解を受けたり、意気阻喪するほどの誹りを受けたり、思い出すと懐かしいいじめのようなそれらは、英国での仕事に慣れていないわたしにとって、跳ね返そうとしても跳ね返せない強さがあった。
 簡単に言ってしまえば、わたしをこころよく思わない人物がおり、わたしをはじき出す行動を(無意識にかもしれないが)とり続け、その人間の社会的影響力が強いものだから、わたしの存在はどんどん翳っていったということ。
 実際、評判のよい芝居を創りあげた喜び、認められる喜びと共に、自分自身の足場がどんどん崩れていくような瞬間を味わった。
 帰りの飛行機の中で、働く気持ちがどんどん萎えていき、この先日本での地方公演を降りてしまおうかと、真面目に考えたりした。

●久しぶりに我が家でとる長い眠りから目ざめて、近所の公園は桜が満開だろうと外に出ようと思ったら、雨がしとしとと降り出し、まずは何か本を読み出そうと考える。1冊読み終えるまでは、自分のことを何も考えずにいようと。
 手にとる本がタイムリーな内容であるということは、わたしの暮らしによく起こること。今日の読書もやはりそうだった。
 白石一文「一瞬の光」を、夢中になって読んだ。
 
 調子のよい時、つまりは、仕事に夢中であったり、仕事の成果が目に見えていたり、恋人とうまくいっていたり、そういう時に読むと、ただティピカルに傷ついた人物たちの傷の癒しあいの物語と、軽く読み流してしまったかもしれない。
 でも。
 人がどれだけあやふやなものに支えられて一瞬一瞬を生きつないでいるか、人がでれだけあやふやな根拠で人を愛したり、人に愛されたりしているか、そんなことを切実に考える今、白石氏の書こうとしている痛みの塊のようなものが、こちらの心にどんどん食い込んでくる。
 話の内容がどうあれ、結末がどうあれ、人物の書き分けがどうあれ、作者が何故これを書かなければいられなかったかということの本質が、はっきりと見える小説なのだ。

 一気に読み終えると、もう午後6時を過ぎていて、しばらく自分のことを考え、ささやかに「頑張ろう、とりあえず逃げないで」と、自分を励ましていた。

●昨夜の夢に、パリにいる奥さんに会いにいった恋人が出てきた。
 
 旅に出る前に、わたしに買い物につきあってくれと彼が言う。いいものを見つけたんだ、と。よく見知ったファッションビルの地下に降りていく。このビルがこんなに地下深く潜っていたのかと驚きつつ、何階も何階も降りていく。
 いよいよ行き止まりにたどり着くと、小さなショウウィンドウが白く光っている。これを買おうと思うんだと彼が指さしたのは、そこに一点だけ飾られた、深紅のパジャマ。てかりのないシルクで、比翼仕立てがゆうるりとしたカーブを描いている。
「いいじゃない、これ、わたしがプレゼントしてあげるよ」と言うものの、店員はどこにもいない。時計を見ると、ビルの閉館時間が近づいている。店員を呼ぼうとすると声が出ない。「奥さんに会いにいく彼に、プレゼントなんてしなくっていいじゃないか」と妙に現実的に自分を引き戻そうとする気持ちと、どうしてもこれを買ってあげようと、出ない声をどうにか出してどうにかこれを買ってあげようという気持ちと。

 白く光るショウウィンドウの前で立ち往生しているわたしの前から、いつの間にか彼の姿は消え、店員を呼ぼうとしても声の出ない、買おうとしても買えない、わたしだけが残った。そこで目が覚めた。

●たまった郵便物を1枚1枚チェックしていると、味気ないはがきが一枚。ずっと懇意にしていた演劇プロデューサーからだった。
 現在の劇場を退き、地方の劇場の立ち上げに行くという報らせ。
 わたしが演出家としてデビューすることを、いちばんに押してくれていた人だった。
 余白に「ごめんね」と一言だけ自筆で書いてある。
 何も聞かされていなかったので、ただ呆然と文面を眺め、また自分の味方が一人消えてしまった寂しさに包まれる。
 小説の話をしても、映画の話をしても、仕事の話をしても、恋人とはまた違う、息の合方を実感できる人だった。

●そういう時期なのだなと思う。こういう時期に、しっかり生きないでどうする、とも思う。本当にしっかり生きられるかどうかは、別として。
 結果ではなく、自分が何を選んで何を遠い先に見据えているかで、人生は変わっていくのだ、きっと。


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