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| 2003年05月19日(月) |
わたしはじゅうぶんに幸せなのに。●トリツカレ男(いしいしんじ) |
●健康のみを自慢にしていた人だったのに、30歳になりたての頃、神経を患い、入院した。顔の左側の神経がまったく通っていない状態で1ヶ月過ごし、もしかしたらこのまま戻らないかもしれないのでそのつもりでと言われつつ静養した。でも、幸いなことに、医者を驚かせるスピードで、わたしの左半分の神経は復活した。退院時には、神経をいじめると再発するよと脅かされた。 朝、起きてすぐに、左目の筋肉が痙攣しているのを感じる。鼻の左半分も、神経が鈍くなっている。危ない兆候。今日は目を使うのをやめなければと思う。……ただ、パリへ発とうとしている恋人と、A氏の求婚の間で揺れる心は、この歳になってみると、三角関係のああだこうだみたいな艶っぽい話でもなんでもなくって、自分の一生を自分がどう考えているか、愛情というものの正体をなんだと思っているのか、どうしたら人を傷つけずにすむのか、どうしたら自分が傷つかずにすむのか、といった、実に現実的なレベルで惑い、不安定きわまりなく、苛烈な振幅の中、つい、何も選びとれない自分を苛んでしまう。 神経は休まらない。でも、休めなければ。……そんな1日だった。
●それでも、またいしいしんじ氏の本を1冊読んだ。何かに取り憑かれて、たとえば、オペラだったり、三段跳びだったり、昆虫採集だったり、探偵ごっこだったり、とにかく、マイブームみたいなものが突然嵐のごとくわき起こって、しばしそれに取り憑かれて暮らす。その繰り返しの中で暮らす、変わった男の物語。いしい氏らしい、寓話だ。 トリツカレ男は、ある日、ある女の子に取り憑かれる。で、奇妙な、かつなんとも切なく美しいラブストーリーが展開する。 読むことで、また少し救われる。(こんなに救われているんだから、元気なときに、「プラネタリウムのふたご」の美しさについてはゆっくり文章にしよう。物語への感謝を込めて。)
●自分が取り込まれている愛情問題だけじゃなくって、書きたいことはたくさんあるのに、平穏な気持ちでなかなか書けない。今も左目は痙攣を続けているので、今夜はきっとコンピュータの電源を早くきった方がよいのだろう。
●昨日、わたしは「幸せになりたい」と書いた。 わたしは実は、今だってじゅうぶんに幸せ。そんなことはよくわかっている。それでも、「幸せになりたい」と願い、どうすればより幸せかと、生きてる限りは当然のように考え続ける。そのことで、こうして憔悴してしまったりする。 いつまでたっても、生きていくのが上手にならない。
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