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2003年05月21日(水) 水曜日は映画の日。●シカゴ ●Bowling for Columbine

●東京の多くの映画館が、水曜日は女性に限り千円でロードショーを見せてくれる。休みになったら、水曜日は2本ずつくらい映画を見てやろうと決めていた。そして今日が、休みを迎えてのはじめての水曜日。チョイスしたのは「シカゴ」と「ボウリング・フォー・コロンバイン」

●「シカゴ」は、前もっての評判に加えて、ロブ・マーシャルという監督に興味を持っていた。一昨年だったか、サム・メンデスの「キャバレー」が赤坂で上演され、演出に脱帽したことが記憶に新しいが、その共同演出がロブ・マーシャルだったのだ。わたしは、舞台映画併せて4本の「キャバレー」を見ていたが、洗練され研がれてはいるのに人間味や現実感は増している振り付けといい、大人の練れた歌といい、視覚的で誰にでも分かるのに洒落ている演出といい、最後の最後の「誰がなんと言ったって俺はこう見せるんだ」的な大胆な解釈といい、かつてのものをすべてにおいて凌駕するものだった。
 サム・メンデスの方は、先に映画監督として「アメリカン・ビューティー」で高い評価を得ている。よって、もう一人にも期待は高まる。

 オリジナルである舞台版の「シカゴ」はかつてロンドンで観た。ウテ・レンパーがツアーに出ていたので、2番手が中心だったが、楽しめた。でも、「楽しめた」という感想。……それが。
 舞台ならではの構成である脚本を映画に置き換えるための視点、工夫。映画だからこその諸々の遊び。スピード感。カメラワークにより迫力を増す、振り付けとステージング。現実感と虚構性のバランスの良さ。
 ……いいじゃないか、面白いじゃないか。もう、わたしは存分に楽しんだ。大人っぽく、洒落てて、キュートで、かっこよくて、馬鹿馬鹿しいくらいに人生を謳歌する方向性。さらには、作り手がミュージカルを愛している気持ちが、バンバン伝わってくる。見終わると、爽快この上ない気持ち。
 ミュージカルの喜びを満喫。「これだよなあ、日本でもこういうの作りたいよなあ」とあれこれ未だ見ぬミュージカルを夢想しつつ、新宿から恵比寿へ移動。

●「シカゴ」は、主人公ロキシー・ハートが、自分をだました浮気相手をパンパンパンとあっけなく撃ち殺してしまうところからドラマが始まる。まさに、「パンパンパン」といった擬音を当てたくなるノリで。
「Bowring for Columbine」は、その銃社会を根本から問うドキュメンタリー映画。
 監督のマイケル・ムーア氏は、不屈の探求心と確信犯的な無邪気さで、「なんでアメリカだけ、こんなに銃犯罪が多いんだ?」という問いに、カメラを担いで単身立ち向かっていく。コロンバイン高校の銃乱射事件に端を発したこの疑問は、多くのアメリカ人、多くの他者の思いの代表みたいな単純さを備えているので、その行動のすべてが肯ける。
 銃の保有率の問題か?
 血をもって制覇をなす、アメリカという国の、根源的歴史的資質なのか?
 暴力性を売るサブカルチャーの影響か?
 親が悪いのか?
 貧困が原因か?
 恐怖を国民に植え付けるマスコミの責任か?
 とにかく、「……だからなのかなあ?」と思えるところに、自らが乗り込み、自らで答えを見つけようとする。答えは見つからなくても、病巣の有り様は、次第次第に見えてくる。隠れた痛みが染み出してくる。それらは染みだすたびに、重なり合って、複雑な絵を描き出していく。
 日本に流れてくるCNN報道なんかでは伝わらない現実が、胸をしめつける。
 ただ。
 彼の持つ無邪気さは常に人間に欠くべからざるユーモアを伴い、余りに深刻な問題を扱っているにもかかわらず、折々に笑える。それはやっぱり、彼がしっかりと多くの人の代弁者であり得ているからだ。共感と、邪気のない大胆な行動は、笑いを呼ぶ。この映画は、かくして、辛辣に問題提起するドキュメンタリーでありながら、エンタテイメントであることに成功している。……その危ない綱渡りは、同じ時代を生きる小さな表現者の目からみると、実に実に感動的だ。
 
●2本を見終えると、複雑な気持ち。
 40年、人並みに生きてくると、出来の悪いわたしでも、少なくとも自分が人生を世界をどうとらえているかは、わかってくる。表現を仕事とする我々は、その仕事の中で、自分の在りようだの思いだのを露出していく。
 こういう真逆の作品を並べてみると、その視点のあまりの違いに戸惑うのだ。じゃあわたしは、どういう視点で、どういうやり方で、どういうノリで、どういう方向性で、他者に渡すのか?と。
 観客に差し出す球体みたいな物を持っていて。それをどの方向から光を当てるかは、もう無数の方向性。球体だからどこから見たって結果的には一緒なはずなのに、作り手には、その何処か一点を選ばないとはじまらない。光を当てる方向を選ぶ、責任がある。
 
●そんなこんなを抱えて、家に帰り着く。自分のプライベートな問題は山盛り。仕事で抱える問題も山盛り。で、今夜は、自分にとっての表現とは?なぞと考えだし、埒のあかぬ思索にふけり、働いてもいないくせに、心中は忙しいことこの上ない。まあ、それはそれで、生きている感じが実にするのだけれど。
 自分の時間がまったく持てない仕事を続けてきたものだから、映画もすっかりご無沙汰だった。休みの間くらいは、取りこぼした分を補填していこう。


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