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| 2003年05月25日(日) |
許せない。●くさいくさいチーズぼうや&たくさんのおとぼけ話(レイン・スミス) |
●酔ったまま薄着で寝て、起きたら風邪ぎみ。薬を飲んで寝てれば治ると、ベッドに戻り、昨日また仕入れてきた本を開く。読み疲れて眠ってしまい、夕刻目が覚めると、嘘のように風邪のにおいが消えている。SARSで苦しむ人々の悲劇が刻々と増加していく中にあって、わたしはなんて幸せなんだろう。 元気になって。山のようにたまった仕事の資料を整理する。今は資料の半分はコンピュータの中にデータの形で残しているが、かつてはすべて紙、印刷物、手書きのものたちだった。ほぼ15年分。個人的な記憶を開くより、仕事の記憶を開く方が、よほど心が揺れる。 ●この間整理作業の途中で見つけた折り紙の本を手にとる。 保育園、幼稚園と、折り紙の天才とわたしは呼ばれていた。すべては母に教わったものだが、一度覚えると忘れず、手先が器用だったのか、素早くきれいに折りあげる、と、園内で評判だったのだ。 先日、池田小学校事件の被告宅間の公判があったおり、また被害者の子供たちの姿が取り上げられていた。一人の女の子が、小さい頃のわたしのように折り紙の上手な子で、自分と重なり、親の悲しみが自分の親と重なり、気分が悪くなるくらい辛くなった。 ふだん、すべてのニュースに自分をひきつけて見ていたら生きていけなくなるので、ちゃんと「他人事」というフィルターをいくらかかけてみるわけだが、こういうちょっとしたリンクが、フィルターを取り除いてしまう。
時々、思いついたように、折り紙を折る。 病院で怖くてひどく泣いている子に折ってあげて、涙が止まったこともある。わたしのレパートリーの中では、女の子には百合の花が、男の子には蟹が人気。 大人には、親鶴のしっぽをくわえて子ども鶴が飛ぶ変わり鶴や、夫婦鶴が人気。喜ばれると、わたしは嬉々として折り続ける。そういう時って、なんだかとっても人生がこの上なく素敵な時間に思われるんだな。たかだか紙を折っているだけのことなのに。
他人の人生の、あらゆる素敵な時間の可能性を、簡単に奪う人間が許せない。
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