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| 2003年06月10日(火) |
梅雨入り。風邪をひいて過ごす。●抜髪(車谷長吉) |
●朝方の冷たい風を心地よく感じながら書き物などしていたら、風邪をひいてしまった。「仕事もしていないのになんで風邪などひくんだよ」と、自分を叱責して気がついた。仕事している時は風邪をひかなかったっけ。心と体が休んでいるゆえの風邪なのだと思うと、まあ、つきあってやるかと、気分に余裕もできる。
●予定していた映画を諦めて、また1日読書と学習。 書評を書くために車谷長吉を何作か読み直す。風邪をひいて遅く起きた午後などに読み始めると、より車谷ワールドにどぶどろに浸かってしまう。車谷氏の在所である飾磨は、わたしが生まれた町の隣町だ。10分も歩けば、彼の在所にたどり着く。だから車谷氏の母が播州弁で息子にだらだらと語り続けるだけの「抜髪」など読んでいると、いつまでたっても何者でもないわたしが叱られているようで、救われない気持ちになる。また、そんな気分にはまりこむのを楽しんでいる自分もいる。 とは言え。いつまでもどぶどろの気分にはまりこんでいるわけにもいかないので、いつもの英語学習などする。新しい英英辞典を購入したのだが、それを読み始めたら面白く、しばし首っ引きになる。
●先日書いた池内氏の「二列目の人生」を、一人分ずつゆっくり読み進めているが、何人かの人生に触れるうちに、彼らがちっとも「時流」と呼ばれるものにこだわってないという共通点が浮かび上がってきた。 名誉や名声、金銭などに頓着がなかったと言うより、それらを意識的に避けていたというより、「ただ自分が生きているということ」を、そのまま受け止めて生きることが出来る人たちだったのではないかと思うのだ。そして、その自分が楽しめるそれぞれの「道」を彼らは見つけていたということ。その道が歩ければ、別にほかのものは大して必要ではなかったということ。 実際、彼らの人生がライブで展開している時には、そりゃあ某かの欲だの計算だのがなかったはずはない。そんな人間いるわけない。でも、池内氏の手にかかって彼らの人生が紹介されていくと、逆に、「結局は余計なものなど何もいらなかった」だろう、彼らの人生の美しさ、面白さが、浮かび上がってくるのだ。
●東京も梅雨入りした。一年で最も嫌いな季節ではあるが、休暇中という特権をフル活用して、雨の午前、雨の午後、雨の夜を、楽しんで暮らしたい。
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