Journal
INDEXbacknext


2003年06月12日(木) ダメなわたし。●日本が見えない(竹内浩三全作品集)

●このところ、ちっとも自分の仕事が進んでいないので反省し、映画も自粛し、楽しいプールも自粛し、午前中からあれこれと、自らの仕事を考えて暮らす。いろいろと断片を書き付けてみるのだが、何も発展しない。
 先日ここに書いた、秋元先生のことばを思い出す。
 「あなたがこれだけはいいたい、ぜひいいたい、それをいわねば、あなたの精神の大切な部分が亡びてしまうと思うことが、一つはあるでしょう。それを分かりやすく、誰か一人の人に話しかける気持ちで書けばいいのです」
 わたしの大切な部分は、何処へ行っちゃったんだろう?
 仕事に追われている時は、大切なことがいくつもいくつも溢れてきて、時間ができたらこれを形に……と思って過ごすのだが、いざ時間が与えられると、さっぱり形になろうとしてくれない。
 技術の問題? 集中力の欠如? それともわたしにとって、そんなに大切なことじゃなかったの?

●悶々とするうち、竹内浩三のことを思い出して、再読する。夢中になって読み直し、今日は自分の仕事を続けることを諦めた。
 彼の溢れることばは、ダメなわたしを黙らせてしまった。それに励まされたっていいはずなのに、今日のダメなわたしは、その輝かしいことばたちを享受するだけで、満足してしまった。
 これだけの才能が奪われてしまったのに、このわたしが安穏と生きながらえる不公平に、打ちのめされ、ちょっとした無力感を味わった。一晩眠れば、ダメなわたしにも、彼のことばが力となり弾みとなるのかもしれない。いや、そうしなきゃ、「言霊」に失礼というもの。
 彼のことは、今日のBook Reviewに書いた。ずいぶん書くのに時間がかかった。

●おかしなもので、ダメな時ほど、生きてる暮らしてるって感じることがある。これも自分の一部なのだと、諦念というのではなく、そういう繰り返しなのだと妙に合点がいったりする。A氏からは「会いたい!」ということばが羅列するだけのメールが届いた。電話こそかかってこないが、父と母は、娘はどうしているかと、今日も必ず案じている。恋人は、とんでもなく大変な仕事の渦中でわたしのことなんか忘れ、あと一週間ほどもすれば、きっとやおら思い出す。このWeb上の文章だって、知らない誰かが、何か少しは感じて読んでくれているのかもしれない。
 やっぱり、ダメなわたしもイケテルわたしも、わたしの一部で、今日というダメな1日もわたしの一部だ。
 若いときはこういう時、もんどり打って苦しんで、ダメな自分を呪ったものだけれど、こんな風におおらかに考えられてしまうところがダメなのか? と、逆に思ったりもする。でも、まあ、そういう意味では、歳を取ることに逆らえない。毎日とりあえず一生懸命やってれば、そんな間違った方向には老いないだろう、そんな風に思っている。


MailHomePageBook ReviewEtceteraAnother Ultramarine