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| 2003年06月23日(月) |
今、ここにある穏やかさ。●フラナリー・オコナー全短編(上) |
●たった22時間のバカンスを終えて、日常へ。また自分の仕事のことを考える。休みがどんどん残り少なくなっていく中、次の仕事の準備も少しずつ。7月になれば少しずつ打ち合わせだの稽古の準備だの。そして8月からは、またまた来年7月までのノンストップ仕事が始まる。
●フラナリー・オコナーの短篇集を読んで衝撃を受ける。かつて、違う編みの短篇集でバラバラに読んだことはあったが、まとめてどーんと接したのは初めて。彼女は若くして亡くなったが、その全作を貫く、余りに明確なビジョン。人生への明かりの当て方、掘り下げ方が、定まっている。自らの作風の中での、定点観察だ。それなのに、作品は偏らない。こんな作家、久しぶりに会った。
●夜は、久しぶりの休日を次の仕事でつぶした恋人の電話を受けて、食事に出る。疲れ切った彼は、食事を終えた時点で、激しい睡魔に襲われる。タクシーに乗り込む彼を見送って、珍しく電車で帰宅。 食事に出かけることは、A氏に報告してあった。A氏は飽くまで、恋人とは会いたいと思う限り、会ってよいと言う。少しずつ、俺に気持ちが寄ってくればいいと言う。実際、だんだん、わたしの心は動いて動いて、ここにいる。 それでもやっぱり気をもんでいたA氏がやってきて、遅い時間まで、お互いの昔話をする。 わたしの若い頃のひどい話を、ひとつひとつ驚きながらA氏は聞いている。 暴力を通じて人間を描くフラナリー・オコナーを読んで、久しぶりに思い出すことがあった。 はじめてつきあった男は、頭が良く、最初こそ大変優しかったが、実はひどいナルシストだった。はじめての時から、歪んだセックスを強要され、また、勝手な理由で、監禁行為や暴力も受けた。殴られて鼓膜が破れた。それでも部屋を出してもらえなかった。蹴られてひどい頭痛を覚え病院に行けば、自分でやったことなのに、泣きながらそれに付きそうという具合だった。……ずいぶん屈折した愛され方をしたものだ。それが18の頃。 そこから始まって、私自身、屈折した恋愛を重ねてきた。トラウマなんてものをわたしはあんまり信じていないのだけれど、今から思えば、重ねていく恋愛体験が、次の失敗を呼び込む悪循環だったと、やはりそう思えてくる。話しながら自分で、よくわたしは歪まず、こんなに前向きにやってきたなあと、改めて感心してしまう。そのひとつひとつを、A氏は目を丸くして聞く。「なんなんだ、君は」と驚きながら。でも、最後にはやっぱり言う。「でも、もう俺がいるから安心だな」と。まったく、期待したとおりの言葉が、返ってくる。
ありきたりな恋愛小説みたいな展開を意識的に辿りながら、わたしは当たり前の幸福を、こうして確認する。その手触りを確かめて、自分の居場所をここにしようという気持ちを固めていく。
●眩しい青空の週末の後は、梅雨らしい天気が続く。
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