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| 2003年06月22日(日) |
当たり前だが感動的な婚前旅行。 |
●土曜日。A氏の稽古が休みになったので、何処かに出かけようかということに。しかし、A氏は休みでも色々こなすべきことがある。学校で地引き網実習(?)に行くという息子に弁当を持たせて見送り、7時30分。夜家を空けるので息子とお父さんの晩ご飯を作り、後かたづけをして10時。翌日の仕事の準備をして11時。ようやく我が家に12時に到着。まあ、なんと働き者であることか。
●わたしにはお気に入りの散歩コースがある。20歳の頃、はじめて辿ってから、何かにつけて(ほとんど一人で気ままに)20回は辿ったかと思う。 品川から京浜急行に乗り、久里浜まで行く。久里浜からバスに乗り、久里浜港へ。そして、久里浜と房総の金谷を結ぶ東京湾フェリーに乗る。乗船すること30分で、あっという間に神奈川から千葉へ。千葉ではそのときそのとき、気ままに歩いたり、電車に乗ってさらに遠出したりする。 このコースをA氏の車に乗っていくことにする。
●道が混んでいても、A氏はイライラしない。退屈したら本でも読んでればなんて、気の大きいことを言っている。年下の男とばかりつきあってきたわたしには、こういう小さなことが実に新鮮だ。 梅雨の晴れ間のお天気の中、車で外出の人が多いものの、2時過ぎには久里浜校へ到着。わたしは初めて車で乗船するのでドキドキ。 真夏の日差しに初夏の風。甲板は最高の気分。たかだか30分しか乗らないってことろが、このフェリーの乙なところ。短い時間で、存分に、五感をくすぐるありとあらゆるものを楽しもうという気分にさせてくれる。 なあんにもない田舎町金谷から、やはり何度か渡った仁右衛門島に行くため、房総半島を横断。東京とうってかわって、道行く車は一台もない。田植えしたばかりの若々しい緑の輝きを堪能しながら、太海という街へ。 仁右衛門島に渡るには、手こぎ船に乗ること5分。これがまたいい。「泳いで渡れちゃう」距離を、おっとりおじさんの手こぎ船で、世間話などしながら。島に渡ると、300度眺望の海、また海。岩場にどんどん出て、突端に腰掛け、しばし海とご対面。岩に砕ける波頭の白さは、いくら見ていても飽きない。
●A氏が「今日は帰らない! どっかに泊まりだ!」と言い出したので、急遽、横須賀の観音崎のリゾートホテルをiModeで調べだし、予約。 金谷に戻るまでの道、奥さんが亡くなったときの話を、A氏はぽつりぽつりとする。カーラジオから流れてきたサザンの曲で、思い出してしまったらしい。そう言えば、わたしだって、往き道で恋人との仕事で印象的に使った曲を聴き、しばし一人で考え込む時間があった。熟年カップル(!)ってやつは、生活のあらゆるものにあらゆる記憶をこびりつけてきているものだから、わたしたちは、そういうものに出くわすたび、いちいち報告しあおうと話す。なんだかんだ言って、まだ出会ったばかりだ。手抜きをしないでちゃんと出会っていかなければ。
●帰りの船は、ちょうど夕陽の頃。なんの計画もないドライブなのに、絶妙なるタイムスケジュールにのっとっているかのようだ。30分という乗船時間で、つるべ落としという言葉を実感。夕陽は、いつだって美しい。 観音崎は、ささやかな観光地。行き当たりばったりに選んだリゾートホテルは、ちょっとお高いけれど、素晴らしい景観。 恋人と休暇を過ごすのに、よく海沿いのホテルを選んだものだけれど、いつも高層階だった。はじめて2階という低層階に泊まってみて驚いたのは、波の音の心地よさ。わたしはおおはしゃぎでベランダにテーブルと椅子を持ち出し、波の音に包まれ、幸せいっぱい。A氏もわたしの子供心にくすぐられるのか、ずっと少年のようにはしゃいでいる。
●朝陽がきれいだよと5時に起こされる。出発の8時まで、岬を散歩。わたしはカメラ狂父親譲りのコンタックスT2で、終始にこにこ顔のA氏を激写。自分は映らない。わたしの記念写真嫌いは、こういう時でも変わらない。その手のことを曲げ始めると長続きしない気がして、あくまで自分らしく過ごす。A氏はその手の細かいことにこだわらないので楽だ。 帰りの車で、わたしは運転手をさしおいて熟睡。気が付いたら家の前で、ドアtoドアのドライブ終了。A氏はそのまま仕事場へ。
●こうして書いてみると、なんて当たり前なんだろうと思う。特別なことは何もありはしない。どこの家庭でも、どこのカップルでも、休日になれば体験しているようなドライブだ。 でも、仕事漬けのわたしや、日々休むことなく仕事と家事と子育てに追われるA氏にとってみると、何もかもが感動的なのだ。
この先いいことばかりではないだろうけれど、こうしてささいなことに一緒に感動できる人がいるというのはいいことだ。悪くない。もうすぐ、ここに小学校2年生の息子が参入する。いいじゃないか。
恋人からは、さっぱり連絡がない。パリに発ってしまうまで仕事を詰め込みすぎている。遠くで体調を心配しながら、わたしはすでに歩く道が少しずつ離れてきていることを思う。
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