2004年01月17日(土) |
ロックをとったらただの乞食 |
1979年、15才の頃、「サイズ」(SYZE)というバンドのライブを観た。そのちょっと前に出たオムニバスLP『東京ニューウェイブ79』にも収録された「SEX」というバンド名を改めサイズであった(後のチャカがいたサイズとは別)。 飾らないストレートな歌詞と曲、真摯な音楽性。なんて書くとまるでブルーハーツみたいなキャッチコピーだが、サイズの場合は存在自体が根源的であり、東京のアンダーグラウンドならではの過激な魅力を持っていた。彼等の前では、パンク〜ニューウェイブ全盛のシーン(いわゆるテクノポップなどが流行)が虚構に見えてしまったものだ。 いつも、オリジナルを5曲+イギーポップのカバーを3曲みたいな構成のステージだった。曲間のブレイクがまた長く、酒呑んだり、鼻かんだり、メンバーの誰かが楽屋に行って戻って来なかったり、でもそーゆーモンだと思っていた。文句をつける客なんかいなかったし、ギターの川田良は喧嘩でも有名だったからね。 当時、トラブル・メーカーのように一部では嫌われていたという噂も耳にしたが、サイズのオリジナル曲は珠玉の名曲ばかりだった。『東京ニューウェイブ79』にも収録の「無力のかけら」という曲で、本当に自分の人生は変わってしまった。自分の生涯でこの一曲を選べ、と言われたら迷わず選ぶことができるだろう。この頃のニューミュージックマガジンで、鈴木慶一がこの曲を絶賛していたことも覚えている。(「無力のかけら」は、フールズ91年のアルバム『NO MORE WAR』でも再演)
サイズは80年初頭に解散し、ボーカルの伊藤耕は「伊藤耕&HEAVEN」というバンドを作るがすぐに解散。でもこの「ヘブン」もカッコ良かった。新宿アシべにて(まだニューアシべの頃でジャズ喫茶の残り香があった)オールナイトでやったとき、客席の女の子がバラの花を投げたのが忘れられない。その時、ギターの良は「午前四時」というバンドを作って文字通り朝の四時に演奏した。これまた伝説のバンドでCDにもなっている。
その後、いろんなことがあって耕と良は「フールズ」で再び合流するんだけど、その後もいろ〜んなことがあって、現在、良はディープ・カウント、耕はブルース・ビンボーズをやっている。 ブルース・ビンボーズの新作CDとDVDが届いた。「俺達はロックをとったらただの乞食だ」という耕が初期フールズ時代(81年頃)に吐いた名言がある。耕はあいもかわらずそれを体現している。
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