原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年10月25日(月) かぜやーね

↑ふ、ふるっ!! たぶんこれのネタ元がわかる人はそうたくさんいないでしょう。

今[19:16 04/10/25]、確か午後3時頃からPCでいろいろ書いたり見たりしていたら、気持ち悪くなってきてしまった。

そういえば、わたし今、風邪引いてるのだった。ゲホゲホッ

プレマリン「1日に0.625mg×2錠」を守らないと、たちまちへばって気分は鬱々、動くのも嫌になってしまったりする。
まあ、それはそういう体だから仕方ないけど。

ただ、問題は、月曜日にへばって鬱々で動けないのが、どうも火曜日にまで響いてしまうことがある、ということ。

もう、なんでもいいの。
元気で生きていられれば。

-----------------------

今[21:29 04/10/25]、あれからNHK『ふしぎ大自然』見ようとしたら地震のニュースでつぶれてて鬱。
ごはん食べて、つい今し方久しぶりにメンタルの薬も飲んだ。
なんだろう、この鬱々とした気分……

自分のやっていることが、全て無駄で意味のないことのように思えてきた。
いっそ社会に出てやっていることは全て止めてしまって、「主婦」になっちゃおうかな。
といっても、弟との暮らしなんだけど。
しかも、わたしは結局ろくすっぽ家事をやらないんだけど。(だめじゃん)

あ、いけない、鬱虫、鬱無視無視。
何言ってるのか自分でもよくわかんない。

2004年10月24日(日) 心の不安定さ

里花@ケータイ

(あんまり不安定さをひけらかすようなことばかり書いていると、羊飼いと狼みたいに本当に大変な時に信じてもらえなくなってしまう?)

『ブラックジャックによろしく』の最新巻を、つい買って、さっと読んでしまった。


「あなたが殺したのよ!」
という言葉がよみがえる。

けれど、そんな言葉を吐き出さなくてはならなかった彼女のほうが、もっと苦しい自責の念に苛まれていたのではないか、と、今ごろになって気がついた。

いや、比べることはできない。
わたしだって深く傷ついた。
「彼女のほうが辛かったんだから、おまえはがまんしろ」
というのは、それは危険なすり替えだ。
そんなことをいくら言っても、わたしの傷が消えてくれるわけではない。

比較とかじゃない。
ただ、彼女がどれほど苦しい思いを抱えていたか、そのことに思い至って、共感することができれば。

2004年10月22日(金) 生きたい

★1 生きたい
★2 Re3:生きたい



★1 生きたい

いったん原案帳#22のほうに投稿したけど、少し長いのでこっちに。
内容的にも、原案帳#23onBlog!のほうに合ってるような気がしないし。

生きたい 投稿者:里花  投稿日:10月22日(金)09時12分48秒

昨夜……というよりも今朝、前の日の些細な失敗が原因で、自分でもそんなふうに考えなくていい、と言い聞かせても「死にたい」という思いが止まらなくなってしまった。

自分がコントロールできず、ほとんど6時頃まで起きていてしまった。

今、目覚めようとしている。
でも、昨夜せっかく思い至ったように、睡眠不足がいけない。
怖い。起きれない……

Re:生きたい 投稿者:里花  投稿日:10月22日(金)09時43分32秒

確か、昨夜「死にたい」と感じた時には、こうも思っていた。

――わたしが死にたいなどと思うのは甘えだ。
だって、そう思うさらと言って、決してそれを実行するわけじゃないから。
その証拠に、今こうして生きている。

はっきり言って本当に些細な失敗で、もちろんそれ相応の補い、償いはしなくてはいけないだろうけれども、自分の人格や存在そのものまで否定する必要などないのに。

でも、「まじで死んでほしい」とネットでは言われたことがある。
わたしは人に対してどんなに腹が立っても嫌な思いをさせられても、決してその相手に対して「死んでほしい」とまで思ったことはない。
いや、きっと昔はそこまで思ったこともあっただろうけれど、それが思い出せないくらい長い間、そう思うことなく生きてきた。
今でも、人に対して反射的に強い怒りを覚えることはよくある。
でも、それが相手の死を願う気持ちにまでは繋がらないのだ。
人の命を断つことについて決めることができるのは、神様だけ。
わたしは、ブッシュにも死んでほしいとは思わない。
(人一人殺したところで、何の問題解決にもならないだろうし。
問題解決しるなら、人類まとめて滅びればいいのに、とは思うことがある。
しかし、それを決めることはもちろん実行することも、神様にしかできないのだ)
(追記:きっとわたし自身が自分の家族をブッシュやその軍隊によって殺されたら、わたしはブッシュを殺してやりたい、と思うようになるだろう。
それは仕方ないと思う――もちろんそれを実行しないで生きていける道を探しながら、苦しみ嘆きつつ生きていくのだろうけど――。
けれど、そんな目に遭ったわけでもないのに人に対して「殺したい」とまで思う強い気持ちは、いったいどこから湧き上がってくるのだろうか?)


でも、わたしが死にたいなどとほざいているのを見て
「本当に死ねばいいのに」
と思う人もいるかもしれない。
悔しい。    

Re2:生きたい 投稿者:里花  投稿日:10月22日(金)09時56分6秒

わたしは、ある人に対して強い嫉妬を感じている。

その人は、負うべき苦しみを負い、道を過たずに努力を続けたから、その人の今がある。
その強さが、妬ましい。

……と、そう思わされる人はとても多くて、そのうちに、それは実はわたしが道を外れて生きるようになってしまったからだ、と気づいたのだった。

そこから、希死念慮が始まったのだった。
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★2 Re3:生きたい

こっち(原案帳#20)に転記した後の追記。

わたしが
「死にたい」だの
「人類が滅べばいいのに」だの言うのは、
実は
目の前にいる あなたに
幸せになってもらいたい と
言えないから。

本当は そう 言いたいのに。

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2004年10月19日(火) #20と#23の併用か否か?

うう〜〜〜ん、どうしよう?
この原案帳#20と新たに開いた原案帳#23onBlog!を現在併用することになっているのだけれど……
それぞれに利点も欠点もあるのだけれど……
両方に同じ記事を書き込むのもねえ。

#20では手動ながら一つ一つの記事をHTMLファイルとしてPCに保存している。
ところが、#23のほうは、一つ一つの記事が一つのHTMLファイルとして形成されていないので、PCに記録を残せないみたい?
(実はできるのにわたしが知らないだけだったりして?)
ううーんううーん。
……

仕方ないので、とりあえず「投稿の編集」画面からソースを拾って、テキストファイルで保存することにしてみた。
けど、すっごい面倒くさいぞ、これ!?

……(それから15分後)
とか言いながら、結局今までに投稿した26件の記事は全部そのやり方で保存した。
確かに「カテゴリ」とか「投稿日」がテキスト本文には載っていないので、表に表示されているのをコピペしなくちゃならないのがすごく面倒くさいけど、慣れればできないわけでもなさそう。
(しっかし、めんどくさ〜い。ぶうぶう)

使い分けるべきか?
それとも、片方(といえば当然Blogの方になってしまうのだろうか)にしぼるべきか?
よくわかんないので、しばらく併用していよう。
それもまた、すごく面倒くさいのだけど……

2004年10月18日(月) ケータイ変えた

@ケータイ

ケータイを変えた。
今まではサンヨーを使っていたんだけど、今度は日立にしてみた。
キーの使い方がサンヨーと違うので、慣れてないと面倒くさいよぉ……
これは入力の練習です。

あ、この機種だと1024文字まで入力できるのか。
それはありがたい。

あうう、面倒くさい。
このくらいにしておこう。

2004年10月13日(水) 最近の音楽活動

会津里花公開スケジュール更新。

GIDしずおかのHPも更新。

あと、ケータイの人のために「原案帳#23onBlog!」のURL:http://happy.ap.teacup.com/jackies/index_i.html



その「原案帳#23」に、↓の記事を書き込んだ。
まあ、いずれそっちがメインになったらこんなことしないんだろうけれど、その記事をこちらにも転載しておきます。

★2004年9月〜11月のライブ 他

会津里花公開スケジュール参照。

2004/09/05(日):いぶき&音協OB会(その後喫茶Cafe Concordeにて1曲弾き語りその時の写真)
2004/09/10(金):丸山研二郎くんのLiveでお手伝い @やまぼうし(with Soprano Sax!)
2004/09/11(土):ジョイントライブwithつぐみの会from東京 @リビングハウスこまつ(in清水銀座) (Thanks to ぬちぐすい)
2004/09/11(土):ホームライブwithつぐみの会from東京
2004/09/22(水):Select Live #9 @EXPERIENCE
2004/09/23(木・祝):Accoustic Night @Sunash

2004/10/15(金):Accoustic Night @Sunash 共演:WATARU、雅流、K子、Chopユウキ
2004/10/23(土):青葉公園にて生活クラブのお祭
2004/10/27(水):Select Live #10 @EXPERIENCE
2004/10/31(日):お友達の結婚報告会で演奏

2004/11/07(日):117(いいな)LIVE @やまぼうし ゲスト:NORTHRN☆STAR
2004/11/24(水):Select Live #11 @EXPERIENCE (※予定)
(もしかしたらまだ増えるかも? 今のところ未定)

凝り性+飽きっぽい、両方あるのでたーいへん。
合唱やりたい気もするし、器楽(ブラス?)に参加したい気もするし。
劇団に戻りたい気もするし。
おいおい。相変わらずの「材木屋」だね。気(木)が多い(笑)

でも。

Eva Cassidyの"Songbird"の曲、まだ全曲制覇してないし。
(さすがに全曲は無理かもしれない。Evaが歌ったから良いけれど、わたしが歌っても……という曲もけっこうありそう)
「一五一会もどき(*)」を使った「民俗音楽系」も「Uskudara」以外にもやりたいし。

オリジナル曲については、今でもまだ葛藤している。
できることなら多くの人に聞いてもらえるような歌を作りたいと思う。
けれど、なかなかかたちにならない。(悔しいよぉ……でも、無理して作るのもねえ)

やりたいことがたくさんあるんだよねー……

あと、やまぼうしでやる「117ライブ」では、独自企画の上PA借りるアテがなくなっちゃった!
なので、まあ前々から考えてはいたことだけど、簡単なPAセットは自分で用意しようと決心した。
・ミキサー:YAMAHA・MG10/2(ふだんは家でステレオの一部&レコーディングに使っている)
・パワーアンプ+スピーカー:neu・PS120 (購入を検討中)
でもさー、持ち運びといい操作といい、面倒が増えてしまったよー(泣)
ゲストのあゆちゃんと打ち合わせしなくちゃ。
(っていうか、それだけの仕事をやりこなすだけの体力気力があるかどうか、それがすごく心配……)

*一五一会もどきBEGINが開発したという「一五一会」がとっても欲しくなってしまったのだけれど、さすがに10万円はない。
その一方、たまたまうちにギターがもう1本あるのだけど、ずうっと使っていないかったのでネックが反ってて普通には使えず、もったいないと思いながらも諦めていた。
けれど、もしかしたら弦の数を4本に減らしてテンション下げて使えば反りは直るのでは?と思い、そのギターを「一五一会チューニング(G-D-G-D)」にして使うことにしたのだった。
きっとギターのオープンチューニングに慣れていればすぐにあれこれ弾けるようになったのだろうけれど、わたしは元々ベーシストだぞー!!
というわけで、とりあえず少しずつ練習しています。

おまけ:さっき検索したBEGINのHPを開いてみたら、ギターの音が響いてきて、そのままその音をかけっぱなしにしてつづきを書いています。
気持ちいい……
わたしはやっぱりギターの音の中にいるのがいちばん安らぐことができるようです。

「あの音の中に還って往きたい」

と、つい思ってしまうのでした。

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おまけのおまけ(しつこい!!):
最近買った「カーブドソプラノ」(ソプラノサックスなんだけどアルトみたいに曲がってるやつ。普通はまっすぐ)
Kaertnerというブランドの↓こういうの。

curved soprano

(写真はカッコイイけど、実物の細かいところはけっこう杜撰なつくり。
まあ仕方ないよね、「5万円じゃおもちゃにしかならない」って楽器屋さんも言ってたし。
それでも、わたしはできるだけ丹精こめて吹きこなそうと思うのでした)



しっかし、今日は調子に乗りすぎた。
疲れてしまった……(+_+)
「復刊ドットコム」もまた(確か2003年頃に一旦外した)リンクに入れました。

このくらいにして、お湯浴びてごはん食べて、寝ようっと。……ってさあ、今[1:46 04/10/14]だよ?

2004年10月12日(火) 「原案帳#23onBlog!」設定

★1 で、そのブログだけど

2000年9月の記事を途中まで編集しますた。

あと、実はこんなのも作って、密かにテストしてます。→原案帳#23onBlog!
まだ見に来ないでください(って言うならリンクなんか張るなよ>自分)




★1 で、そのブログだけど

原案帳#22にも書いたように、
ようやく少し落ち着いてきた。
自分の弱さ・愚かさ→狡賢さ・自分勝手さには心が痛む(っていうか本当はそんなに
気にしないほうがいいのかもしれない;わたしは自分のことを悪く言い過ぎる)けれど、
これ以上「本当は嫌なのに付き合ってあげる」というような
醜い偽善を積み上げるよりもずっと良い。
っていうか、いつまでもごまかし続けたら、後でずっと重たいことになってしまうじゃないか。

お湯も浴びれたし、洗濯も乾燥しはじめたし(でもこれがうまくいかない)、
少しずつできることをやっていこう。

原案帳#23に詳しく書くつもりだけれど、
萩尾望都の「絵本」や「エッセイ集」を買ってしまった。ていうか注文した。

あと…… たぶん、PAのないところでライブやる時のために、自分のPAセットを1組そろえようと思う。
といっても、ごく簡単な安いセットしか、もちろん買うことはできないんだけど。

まだBlogは上手に使いこなせそうにない。
だいたい、投稿欄に直接書き込むのがすごく大変なんだもん。

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2004年10月11日(月) 自動筆記―夢 サルとヒト

★1・自動筆記―夢
★2・「Nちゃん問題」
★3・Re:サルはヒトだ!



★1・自動筆記―夢

目が覚めてすぐ、まだちゃんと覚醒していないくらいの状態で記述した「夢」。

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From: "会津里花"
To: 会津里花
Sent: Monday, October 11, 2004 9:10 AM
Subject: 今見ていた夢


実家は荒れ果てていた。
わたしは東京に出る用事があって焦っていた。
彼女が家に来た。
しばらくわたしの両親と話していたけれど、親たちは二人とも出かけてしまった。
わたしは彼女を家まで送っていかなければならなかった。
でも、よく考えたら家の鍵がない!
彼女のところに置いてきてしまったのだった。
わたしは鍵をかけるふりをした。
家の中は空っぽになってしまうけれど、明かりをつけてあるから大丈夫なはずだ。
彼女は怪訝そうな目でわたしの戸締まり(のふり)を見ていた。
ところが、家を出ようとしたその時、宅配業者がやってきた。
彼らは、うちの正月の食材を届けに来たのだった。
勝手に大量の食材を置いていこうとする彼らにいらいらしながらも、わたしは手伝った。
ところが、彼らはなんと勝手に家の中に入っていくではないか!
「何してるんですか!」
わたしは怒った。
「調べる権利がありますから」
「いいから出て行ってください!」
わたしは彼らを追い出してしまった。
「なんであんなに怒るの?」
彼女は少しおびえているようだった。
「父が亡くなってからまだ日が浅いのに、書斎や仏壇を漁っていくのが許せなかったんだ」


-----------------------

From: "会津里花"
To: rika@jackies.jp
Sent: Monday, October 11, 2004 9:27 AM
Subject: 今見ていた夢2


(順序は逆。
こっちが先。よく覚えてない)



わたしはお店で

(お店は細いビルの上の階にあった)

女装した青年が

彼がわたしを抱いて

「あれ?」
「綺麗な鎖骨でしょ?」
「いや、その鎖骨見て思うんだが…… おまえ男だろう?」
がーん。
東京に行こう、と思った。



(悔しい。
夢は目覚めるとすぐに、融けていってしまう。
この夢も、実は時間がテーマだったはずだ。
なぜならば、一度半覚醒した時、アラームが鳴っていたから。

この夢の中では、わたしは女だったのに、後から彼女と「男として」出会っている。

今はわからないけれど、わたしの鎖骨は確かに綺麗だった。
女装した青年(そこそこ見れる外見だけれど、いかにも男というのがわかってしまう)の登場によってわたしも「女装した男」と見なされるようになってしまったのだった。

この夢は何を言いたかったのだろう?
まあ、夢に過剰に「意味」を求めるのは危険かもしれないけど)


-----------------------


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★2・「Nちゃん問題」

正直なところ、とても向き合えない。
わたしは、ああいうボーダー的な人は、だめなのだ。
(自分だってそういうところはあるんだけど、だからこそ自分だけで精一杯)
でも、はっきりと拒絶してしまう気にもなれない。
相手にそこまで問題があるというわけではないのだから……
かといって、わたしのほうに問題がある、と言い切る気にもなれない。
だって、相手にも問題はあるのだから。

実は、前にとっても怖い反応をされたことがあって、
それで何かを言うのが怖くてできない、ということもある。

「人を批判する人ってキライ」と言いながら
「きっと本気で言ったわけじゃないと思うけど、
言っていいことと悪いことがあるでしょう」
と、自分は他人を批判して平気な顔してる。
わたしは、そういうのが怖くてダメなのだ。

何を言っても、自分を正当化するばかりで
人の言葉や気持ちに思いを馳せる気になどなりはしないだろう。
わたしは、こうやってやたらなことを一人で呟くのは得意なのだけれど、
自分の気持ちや考えを人に伝えるのはとても苦手だ。
そういうことをある程度踏まえることのできる人でないと、
わたしは話す気になれない。
傷つけられるのがイヤなのだ。

今日も電話がかかってきたけど、出なかった。
出なければ出ないほど、相手の心象も悪くなって、
事態を悪くしていく一方なのもわかっているけれど、
でも、いやだ。
子どもっぽいと、笑えばいい。

胃が痛くなりそう。

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★3・Re:サルはヒトだ!

原案帳#22の記事で、ケータイだったのでうまくまとめられなかったらしいけど。

わたしが言いたかったのは、「人としての生き方」も確かにそうなんだけど、
もう一歩踏み込んで
「人類を他の霊長類と区別して、人類だけが特別だとする思想」
そのものが問題だ、ということだ。
ずばり言えば、「ヒトと他のサルは同類だ」と言い切って、区別するのを止めてしまえ、ということだ。

中沢新一の影響があると思う。
(『カイエ・ソバージュ�后戮蓮嵒疂弖从儚悄廚力辰砲覆辰討�らぜんぜん進まない。
わたしにとっていちばん興味の持てない話題だから。
強いて言うなら「生産」とは肯定的な意味づけでごまかした「破壊」のことだ、と読んでいてそんな気がする、というくらいの理解しかできない)

ヒトがもう少しサルのような生き方をできれば。
自然に対して無防備に生きることができるようになれば。
「そんなことをしたら人類は滅んでしまう」
――というのなら、滅んでしまえば良い。
そのほうが、地球にかける迷惑は少なくて済むだろう。
もしも滅びないで細々と生きることができれば、それこそがいちばん誠実な、謙虚な生き方だと思う。

生まれても弱い子は死ぬ。
親に見放された子は死ぬ。
群れの掟が身に付けられない若者は死ぬ。
病気になれば死ぬ。
暑さ寒さに負けて死ぬ。
寿命は短い。
(寿命が長いことを暢気に喜んでいられる時代はもう終わってしまった)
そのくらいの条件をつけて人口爆発を防いでいかないと、
ヒトが地球上の他の生命に対してかける迷惑は取り返しのつかないものになってしまう。

……もちろん、ヒトが今ある地球環境を激変させて、
今ある生態系を破壊して多くの生き物を死滅させ、
次の状況へと「引導を渡す」役割を積極的に引き受けるべきだ、
と確信犯的に振舞うことを善しとするのなら、それはそれでいい。
今の人類はそれができる。
簡単なこと。
アメリカの持つ核兵器をいっぺんに全部爆発させればいい。
わたしはそれに積極的に関わりたいとは思わないけど。

ヒトは死にたくない、でも地球環境も守れ、なんて虫が良すぎるんだよ。
環境守りたかったら、まず殖えすぎた人口を減らせ。
いつまでもそのことに対して無策のままヒトが生きていこうとするのなら、
わたしはテロリストたちの仲間入りをしてしまう気になっちゃうかも。
でも、そんなことだけはしたくない――わたしだって虫が良いのさ――ので、
利口に上手にヒトが減っていくことを考えたいのだ。

……

……

とか書いてるけど、書いてるうちに、もうどっちがいいのかわからなくなってきた。
究極の選択のような気もするし。

っていうか、もっと言うと、人類が他の多くの生き物を道連れにして滅んでしまっても、
それが地球にとって「迷惑」かといったら別にそんなことはないのかな、
という気もしてきたのだ。

NHK『地球大進化』を見ていたら、過去に地球上で
まるで「生命はいったんぜんぶクリアー♪」といわんばかりの
環境の激変が何度も起きている。
次はたまたまヒトという生き物がそれを引き起こしたとしても、
別にそれで地球そのものがなくなってしまうわけではないし、
たとえ地球がなくなっても宇宙が……あれ? これ全く同じことを前に書いたっけ。
とにかく、今わたしたちヒトが行っている自滅的な行為は、
実は別にどうってことはないことなのだ、きっと。

中途半端に反省しかかって、でも止められずにどんどん破壊的な生き方をしていって、
(環境破壊も止められず人口爆発も止められず自然との共生もできず)
自らの中途半端さに絶望しながら滅んでいく。
まあ、それでもいいじゃん。
そんなもんなんだよ、きっと。ヒト、なんて。
ヒトって、もちろんわたしやあなたのことだよ。

本当は、わたしはもっと牧歌的に
ヒトがサルと同じように自然と共生して生きていけるようになったらいいのに、
と言いたかった。
けれど、無理だよねえ、
たとえば今のわたしみたいな生活は一切できなくなる、っていうことなんだから。

モノにまみれて、わたしたちは「生産」だの「経済」だの聞こえのいいごまかしをしながら
破壊の限りを尽くして生きている。
それでもいい、と思えるように生きていきたいものだ。
(いやこれが事実だとしても、それを肯定して生きる生き方もあるって
わたしにはわかっているんだよ、本当は)

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2004年10月10日(日) わたしが共依存

@ケータイ

『ローマの松』(NHK教育)


最近気がついたこと。

わたしは自分のこと、単に依存的なだけだと思っていた。
それで、周りの誰彼を巻き込んで共依存させるのだ、と。
他人の世話など焼く余裕はない、と。

けれど、実はわたしのほうが共依存になっていることも、本当は多いのではないか。
もちろん、「共依存」は「依存」の裏返しなだけで、決して「共依存=しっかり者」というわけではない。
何かにしがみついていないとやっていけない、という点ではどっちにしても「自分がない」のだけれど。

「人のためになりたい」などと思うのは、ほとんどの場合そうすることでしか自分の存在が確認できない、哀れな行為であることが多いと思う。
「自分のためにやっている」という自覚があるほうがまだいい。

よく考えてみれば、わたしが「自分は違う」と思うのも、うかつだったのかもしれない。

2004年10月09日(土) ML

有料のMLを構築した。
無料のものよりも使うのが難しい。
「Majordomo」というプログラムで作動しているMLは、メールにコマンドを書き込んで送り込むことによってコントロールできるのだけれど、そのコマンドが呪文みたいなものばっかりなのだ。
(といっても簡単な英単語の羅列にすぎないんだけど、慣れないと本当に「呪文」みたいにしか見えないんだもん!)
無料のものは、たぶんこのMajordomoをCGIと組み合わせてあって、ブラウザ上でネットに書き込む要領で必要事項を書き込んで「送信」を押すだけで操作が完了してしまうので、楽。
でも、広告だらけになってしまうのがもう耐えられなかった。
ケータイで受信する人もいるのだけれど、理由はわからないけれど「受信できなかった」などということもあって、もうガマンできなくなってしまった。
それまで使っていた無料のMLは先に削除してしまった。
作業の手順は滅茶苦茶。
でも、なんとかできた…… って言ってるうちに、もうこんな時間>[2:40 04/10/10]。

2004年10月07日(木)

いや、なんでもいいんだけどさ。

Nさんと同じ名前のNちゃんに、
これ以上わたしにつきまとわないでほしい、と言わなくちゃ。

わたしを拒絶しているはずのあなたが、なぜわたしにつきまとうの?
って感じ。
うざいよ、正直。
そんなふうに思いたくなんかないのに
そう思わされるの、ひどいよ。

わたしが迷惑そうにしているの、
なんで気がつかないの。

2004年10月03日(日) Re:事実と信仰 夜明け前

この写真気に入ってます♪

昨日の記事の終わりのほうで、わたしは頻りに「事実」と「信仰」について述べ立てている。

後から読み返してみて、ふと気付いた。
ああ、わたしには、認めたくない「事実」があるんだな、と。

『対称性人類学』は、なかなか読み進まない。

こんな時間[4:58 04/10/04]に起きだしてきて、思いつくままに書いているのは、
ちょっと気がかりがあってネットに入ったので、ついでに。

目覚める直前に、夢を見ていた。
合宿に出かける夢。
しかも、海外で合宿!?
ん? お芝居の夢も見た?
違う。知り合いがお芝居するというので、ちょっとだけ協力する、という夢。
宅配便の業者(軽バンだった)の運転手(なぜか女性)が
わたしのうちのそばから「イトーヨーカ堂」に行くには、と聞くので、
わたしは北寄りのコースをとると山にぶつかって東へ行けなくなってしまうから
南西寄りのコースをとればいい、と説明していた。
でも、そのコースを正確に思い浮かべようとしてよくわからず、
わたしはなんだか困っていた。
合宿に行く直前に、わたしは友だちの譜面と何かのコピー(地図?)を
コピーさせてもらってから「合宿」に行くことにしていた。
わたしもその譜面で演奏するのだ。
あと、ある記事を削除しないと、わたしのPCに妖魔がやってきてPCに穴があいてしまう、
という夢も……?

いろんな記憶の境界線が曖昧になり、無作為に組み合わさって不思議なストーリーを作る。
それが、夢。

わたしは「夢の住人」になってしまいたい。

「認めたくない事実」は、わたしにとって既に「事実」だ。
わたしはそれが「事実」であることを「信じている」。

でも、中にはそれが事実かどうか、信じていない過去の記憶も、ある。
それは、わたしにとって「事実」ではない。

「過去の記憶」は、それが「事実」であるかどうか確かめるのも困難だし、
「事実」であると信じることも、実は思ったほど簡単ではない。



でも、それが「事実」かどうかなんていちいち詮索する気も起きないほど
楽しい記憶、というのもある。

こんな写真をupしてみた。
(Very thanks! to Penta@Ibuki79)

2004年9月5日 浜松市「カフェ・コンコルド」にて
9月5日カフェ・コンコルドにて

わざとか偶然かわからないけれど、少しにじんだ感じがとても良い。
この思い出は、とても大切なものになった。

友だちって、いいものだ。

2004年10月02日(土) Re:聖書と進化論

原案帳#22のほうに「聖書と進化論」というタイトルで、なんか結果的には仰々しい感じのことを書き付けてしまった。

なんか、季節のせいかしら?毎年1度くらい、この問題についてああだこうだと考えずにいられないみたい。

確か昨年までは「聖書(信仰)vs進化論」みたいな捉え方をしていたけれど、今ではわたしは「信仰と進化論は両立している」と思っている。
でも、これは理神論ともちょっと違う。

とか思いつつ、Googleで「理神論」を検索したら、
無神論と有神論
というのを発見した。

……唖然。
何、これ。
やだ、恥ずかしい。
わたしもこれとおんなじようなことをやろうとしてたのね。
(っていうかしょっちゅうやってる)
……うわぁ…… イタい…… イタすぎる……

ということで、結論!
わたしは(よくわかんないけど)「神さまがいるのを知っている」(ような気がする)。
なので、いちおう神さまを信じてる(つもり)。

でも、だからといって「聖書に書いていない」「進化論」を否定するつもりもない。
客観的整合性がなければならない、とも思わない。
だって、今あるわたしたちのことをより適切に理解しようとする努力の手助けにはなるし、何よりも面白いもん。

神さまがわたしたちを「進化」させてるのよ。
それが一見して神さまの意思とはとても思えないような内容であったとしても(例:人口60億、というのが既に異常繁殖でしかない、とか)、実はそれも神さまの意思のうちなのよ。
理解できないからといって、根こそぎ拒絶してしまう必要もない。
こっちが理解できるかどうかが相手が正しいかどうかの根拠になるなんて、傲慢すぎるじゃん。
せいぜい、わたしたちのすぐ目の前が利益になるかどうかの違いくらいしか、わたしたちに判断基準はないんだから。

なるようになるわよ。
人類が滅びたからといって、地球まで一緒になってなくなってしまうわけでもないだろうし、万が一地球が消滅してしまったとしても宇宙までなくなってしまうわけでもないだろうし、万が一……、すみませんやめます。

今年の収穫が一つだけある。
それは「事実は事実」という考え方に縛られるのを止めよう、と思えたこと。
もちろん、そういう考え方をすることで、ものごとに対して適切に反応できるようになることは増えるだろう。
でも、それに縛られて生きづらくなるくらいだったら、拘るのを止めたほうがまだまし。

わたしは神さまじゃないので、絶対的に事実かどうか、なんていうことを厳密に判断する力はない。
今日「事実だ」と思っていることが、明日になったら「事実じゃない」ということになってしまう。
それを「事実だ」と信じることが、わたしがより良く生きることに役立つ限り、わたしは「事実」を「信じる」ことにする。
「より良く」ということにしたって、客観的な尺度はない。
わたしが主観的にそう思うだけ。それで充分。
ただし、それがわたしに理解できる範囲で「より本当らしく」あることも求められる。
だって、本当に「より良く」生きたいんだもん。

そうして、神さまはわたしがそのように祈れば、それが真摯な祈りであれば必ず聞き届けてくれて、それに見合った報いをくださるはずだ、とわたしは「信じている」。
事実でなくてもいい。信じるから。

……とは言うものの、実はここ1年ほどちゃんとお祈りしていない。
あ、いや、違う。『セレニティ・プレア(平安の祈り)』は、メロディまでつけて口ずさんでいる。
ええと、でも、あんまり意味まで考えないで歌ってるなあ……
一度、よく考えながらお祈りしてみようっと。

(今日のこの記事の背景には中沢新一『カイエソバージュ�� 対称性人類学』がBGMのように流れています)


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