- 2004年11月25日(木) わから
……ない。
わたしはいったい、どこへ進めばいいのか。
わたしはいったい、なんなのか。
- 2004年11月19日(金) 出勤しますた
里花@ケータイ
今日は、午後からだったけど仕事に行けた。
よかったぁ〜(嬉涙)
- 2004年11月18日(木) ひえぇぇ
今、[5:40 2004/11/19]。
早く寝なくちゃいけなかったのにぃ〜〜〜。
(今日のボジョレー・ヌーボーはおいしかった♪
幸いにも車だったので、1杯飲んでしまうなんてことはせず、本当に舌先でなめて味見するくらいでやめておいたので、「飲んだ後の苦痛」もぜんぜんなかった。)
(昨日から今日にかけて、なんだか自信を取り戻す機会に恵まれた。
わたしって、すっぴんでもけっこうパスしてるんだぁ。嬉しいな♪)
(でも、明日もやっぱり「職場」には行けないかも……
次を探したほうがいいのかもしれない。
(追記:11/20にここにあった1文を削除しました)
それにしても、就職が1年もたなくなってしまった、というのが辛い。
もともと、長いこと定職に就くのができない性質らしいけれど、結婚してた頃には5年とか6年とかもったのに〜〜〜!
こういうことが重なると、結局「実はこいつ(=里花)は性転換には馴染めなかったのではないか」とか思われそう。
本当は、定職に就いて働き暮らす、ということがわたしにとっては心が壊れてしまうほど合ってなかった、ということだと思うんだけど、意地悪な人たちはそういうふうには受け止めてくれないかもしれない)
ええ〜〜い、いいからもう寝なさい!>自分
(で、今[5:51 2004/11/19]。)
- 2004年11月16日(火) ヒッキーの味?
@ケータイ(家の中にいるのに)
いや〜、本当にやばいです。
何がどういけないのかわかりません。
でも、このままだと再び2年くらい前までのヒッキーになってしまいそうなんです。
昨日「つらい〜!」とか書いていたけど、困ったことに、何がつらいのか、いちばん肝心なところが自分でもわからないのです。
職場がある宗教団体の系列だから?
いやそれはできるだけ悪い方に気にはしないようにしているんですが。
このままだと性別変更できない?
してはいけないと思っている?
いや特例法は3年以内に改正されるはず?
いや改正されてもわたしはダメ?
生徒たちからマイナスの反応されるのが嫌?
確かに「ゴリエ」と一緒にされるのは……
でも、それも仕方ないのでは?
でも、すごいショックなのは確か。
服がない?
外に出るのが嫌?
お金使うのが嫌?
送金するお金を稼ぐのが先?
そんな経済力ないのに。
でも、道義的にはそれを最優先するべきでは?
なぜそれができない?
なんだか、頭の構造が前と違ってきてしまったみたいです。
まともに考えられないです。
ああ、もう4時になる。
出かけないと。
出かけられない……?
それはまずいでしょう。
子どもたちが待っている。
わたしのいたらなさで子どもたちに迷惑をかけるわけにはいかない。
うわ、まずい。
まじで体動かなくなってきちゃった。
ていうかなんでそれなのに書き込みだけはできるわけ?
ただの怠け者でしょう。
びくびく。
どうしよう。
- 2004年11月15日(月) 叫ばせておくんなさいまし
つらいよぉ〜〜〜〜〜〜〜!!
いやその、いろいろありまして。
何度か立ち直りそうになったけど、肝心なところがダメで。
本当に、辛いです。
このままだと明日も仕事行けないかもしれない。
困る、そんなことじゃ。
どうしよう。
どうしよう。
- 2004年11月11日(木)
昨日の朝、家の中に土石流が流れ込んで……(以下忘れた)という夢を見た。
その夢には、他にもいろいろ象徴的な意味を含んでいたのだけれど、すっかり忘れてしまった。
風邪をひいていて、寝覚めが悪い。
今日も仕事だよ……
- 2004年11月10日(水) ニュースは1日1度だけ
★1・ニュースにハマらないよう注意
★2・GIDって……
★1・ニュースにハマらないよう注意
なんだか、ちらっとニュースを見たら、いろいろと暗いことが起きている様子。
でも、わたしはチャンネルを変える勇気を出すことができた。
何度ニュースが流れても、おきている事態はただ一つ。
何度も見ることで、わたしのほうが物理的にニュースに取り込まれていくのでは、正常ではいられない。
ニュースは1日1度だけ。
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★2・GIDって……
最近、もうGIDなんてやめようかなあ、という気がしている。
いや、確かに自分にはそういうものがあるのだけれど、
匿名掲示板で「子蟻をつぶせ」みたいなキャンペーンが張られているのを見てると
こんなにたたかれるくらいなら、もうGIDの自助グループとかやるのは
ばかばかしい、と思えてきてしまったのだ。
わたしは人の役には立てないのではないか。
目立ったりしないで地道に真面目に仕事して、
せめて一人で生きていけるように努力するのが先なのではないか。
なんだか、すごく疲れてしまった……
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- 2004年11月08日(月) パス
昨夜のライブは、本当によかった。
今、いただいたチップインを新潟へ送金した。
これから寒くなるので、避難所などで少しでも暖かい生活ができれば、と願いつつ。
その帰り道。
今日はちょっと気分を変えてファミレスでお昼食べよ〜、と思ってデ〇ーズに入った。
食事を注文し、待っていたら、隣のテーブルにいた赤ちゃんがわたしのほうに近寄ってきた。
「すいませ〜ん、おかあさんと間違えちゃったみたいで〜」
と、どうやら「ばあば」らしき初老の女性。
赤ちゃんを抱き上げて。
……って?
わたし、もしかしたら、何の疑いもなくふつうに女性としてパスしてる?
「おいくつですか?」
「8ヶ月です」
「元気な時分ですよね〜」
って言ったら、なんか少しパス度が下がった?
声パスは難しいみたい(うぅ
わたしは、もっと自信持っていいんだよ。
自信失う理由は別のところにあるけれど、それに囚われすぎるのも、どうかしら。
少し、立ち直り。
あとは、いたんだのどを治していくこと。
- 2004年11月05日(金) 過去〜この4年間
2003年10月の原案帳
とか
2002年の原案帳
とか
2001年10月下旬の原案帳
とか、見てる。
2001年は、大変だった。
2000年10月下旬〜11月始め
に書いたことは、けっこう恥ずかしい。
ネットでは、本当に知らないうちに「暴れまわっていた」。
くだらない屁理屈で。
このところのわたしは、なんだか調子が悪くていらいらしている。
あさってはライブだというのに。
それも、本当ならとても大切なはずの。
今のわたしは、「みんなに向かって主張する」ということを見失っている。
――って、ああ、これが書けたから良かった。
これからお仕事(高校生に英語を教える)だけど、その直前にでも重要な言葉を吐き出せたから、良かった。
そう。
わたしは今、見失っている。
自分のするべきことを。
もしかしたら価値観が誤っていて、今はするべきことができているのかもしれない。
でも、わたしは、それじゃ嫌だ。
どうすれば、いいんだろう。
- 2004年11月04日(木) ブッシュ再選に寄せて
どうせそんなことだろうと高をくくっていたら、そのとおりになってしまった。
1ヶ月ほど前に田中宇の国際ニュース解説に不正が横行するアメリカ大統領選挙というのが載っていて、今のアメリカじゃあそんなもんだろうな、と思っていたので、オハイオで何が起きていても、フロリダがどういうことになっていても、もう驚かない。
むしろ、ケリー氏が早々と「敗北宣言」をしてしまったあたり、これはもう裏取引とかあったんじゃないか、と思わされて、アメリカが金科玉条にしている「民主主義」がどれほど腐敗しているかを思い知らされ、そちらのほうに危機感を感じる。
以前は「ブッシュ最低! ケリーのほうがまだマシ!」と勝手に思い込んでいたけれど、よく考えてみれば現状ではたぶん誰が大統領職を引き受けてもたぶん事態はそんなに変わらなかっただろう、という気もする。
共和党=メンシェビキと民主党=ボルシェビキでは、わたしは民主党のほうがまだまし、と感じるけれど、どちらにしてもねえ。
日本は、少しずつでいいから中国とまともに付き合っていくことをしっかり考え、今はだいぶ逸脱しているけれど時間をかけて軌道修正していくことになるんだろうな、と思う。
アメリカの極東での影響力を安全なかたちで排除していくことも忘れてはいけないと思うし、そのためにはアメリカ自身が「ニューフロンティア」以来の拡大主義(世界征服の野望)を手放すことを学ぶことも抜きにはできないだろうとも思う。
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2年前までは「アメリカ中心に世界がまとまる」のもそれはそれでアリかな、と思っていた。
けれど、911に対するアメリカの反応を見てからは、考えが変わった。
振り返ってみると、それまでわたしの心の中で描く「アメリカ人」の像が、人間としてはちょっと考えられないくらい「完璧?」というか「理想化?」というか、そんな姿になってしまっていたので(だってそうじゃなければ「世界を任せる」ことなんてできるわけないから)、逆に911でたとえアメリカ人といえどもちゃんと感情のある人間=世界の他の地域の人たちの上に君臨するべきではない、ということをまざまざと見せられたので、世界を正しく認識しなおすためには911は有意義だったかも、と思う。
(しかしそれと事件の残虐性をはかりにかけることはできないけれど)
今は、何よりもアメリカ合州国の支配者たち自身が、自国による世界支配は無理だと判断しているようだし、これからはちょっとずつでいいから世界の民主主義を目指そうよ。
武力の必要じゃない世界を目指そうよ。
そのためには知恵が必要だ。
武力で相手を黙らせるのはいちばん簡単で、知恵なんか必要じゃないやり方だ。
もっと言えば、愚かなやり方だ。
なんのために首から上のものを持っているの、わたしたちは。
武力を行使しないでテロリストに武器を捨てさせることができる方法を、世界中の叡智を駆使して考え出そうよ。
それができなければ「Small World」なんて、ありえないんだよ。
世界中の国と国、人と人が、今まで考えられなかったほどお互いに緊密な関係を持ち(持たざるをえず)、お互いに強く影響しあって生きていかなければならない時代になっていくんだから。
今まではできなかったかもしれないけれど、これからはそれじゃいけないんだよ。
よく引き合いに出すけど、現代の愛知県警と山梨県警は決して「対立抗争」などしない。
もしもそんなことをおっぱじめたら、それはや○ざのみなさんと同じことになってしまう。
考えられないことだ。
けれど、たかだか500年前には、この二つの地域は異なる「国」として、お互いを「敵」と見做し、戦争をやっていたのだ。
もちろん、今でも都道府県警がお互いの仕事の「勢力争い」みたいなことをする場面は、絶対にないとは言い切れないだろう。
けれど、それにしても、ドンパチやる?
それが必要ないような共通のルールがある。それ以前に共通の「常識(っていう言葉は大嫌いだけど)」もある。
それを、世界のレベルで築き上げていくことこそが、21世紀の世界で最も必要とされていることだと思う。
今は「アメリカの言うこと聞かなければ武力侵攻」などという野蛮なやり方しか行われていないようだけど、そんなちゃちなやり方を許さないような、もっとしっかりしたルールが、世界中で共通認識として認められるようになることを、強く強く願っている。
そのためには、国連を土台にして、もっともっと強くて筋のとおった制度を組み立てていくべきだろう。
まあ、そのためにはまだあと100年くらいかかるかも。
わたしは、たぶん残念ながらそれが達成されるまではとうてい生きてなんかいないだろう。
でも、もしかしたらわたしの子は、それが現実のものとなる希望の光を見るまで生きているかもしれない。
わたしはそれを彼に託す立場にはないけれど、彼が未来に希望をもつことができるよう、心から祈っている。
未来は彼のものなのだ。
この願いを、再選されたブッシュ氏に送る。
再選されてしまった以上、わたしの思いは彼に託すしかないから。
(本当はそれもおかしいんだけどね。
上のほうにも書いたけど、拡大解釈すれば日本がアメリカの領土と言ってしまえるような異常な現状は、できるだけ早く解消されなければならない。
ただ、どうやらそのことと武力を必要としない世界の構築は、重なり合って実現されていくものらしい、という気もするんだけど。
その意味で、日本は平和な未来世界を築き上げていく上で重要なキー・パーソンならぬキー・ネイションになるだろう、とわたしは信じている。
非暴力は日本の誇りだ。決して「現実を知らない甘い認識」などではない。
むしろ、現代ではまだ実現していない、より高度な「常識」を必要とする、崇高な目標だと思う。
ありゃりゃ「日本国憲法」みたいになっちった。
でも、第二次世界大戦終結直後という、とても特殊な時だったからこそ、100年も先取りした内容の法律が降臨したのだと思う。
あと40年は「改正」の必要はないと、わたしは思っている。
たとえねじれた解釈しなくちゃならなくても、それが不正な解釈だということに罪悪感を感じている限り、日本人は正しい道を踏み外しはしないだろうと思う。
罪悪感を「改正」で解消しようとするのは、臆病者の逃げに過ぎない。
世界のほうを先駆的な憲法にあわせられるように改革していくことのほうが、日本はよほど自分が歴史上置かれている立場をまっとうできると思う。
改憲論者は日本人としての誇りを見失っているとしか、わたしには思えない)
- 2004年11月03日(水) 朝の夢
@ケータイ
今、目覚めた。
また、夢を見ていた。
でも、今日は母にまちわる夢だった。
母が死んでいく場面だった。
わたしは、学校の中をあれこれ飛び回っていた。
忙しくて、ついつい母をほうったらかしにしてしまっていた。
でも、母の周りにはいつも必ず誰かがいた。
母は聖書の言葉を示した。
それは、わたしもよく聞かされた言葉だった。
誰かが「おかあさんは一貫した人だったから」と言った。
母はとてもきれいに死んでいった。
(その前にきれいではない死に方を、見てしまっていた)
何も食べられなくなり、排泄することもなく、意識がなくなっていって、静かに死んでいった。
わたしは感動して泣いた。
……そこではっと目が覚めた。
あまりに急激に目覚めたので、夢の中で肝心な部分かいくつも抜け落ちてしまった。
ただ、母の死に方はきれいで、わたしはそれに感動した。
それだけが強く心に残っている。
- 2004年11月01日(月) 戦争における「北風と太陽」
戦争って、それで本当に人が死ぬことなのです。
愛する人が殺されたら、わたしは殺した相手をとことんまで憎まずにはいられないでしょう。
最も残虐な方法で復讐したい。
相手の存在を、徹底的に貶めたい。
わたしはきっと、そんなふうに思ってしまうでしょう。
わたしはそれに抗う自信がありません。
だからこそ、わたしはまず戦争を憎むのです。
罪を憎んで人を憎まず。
具体的な「あいつ」を殺してやりたい、などと思ってしまうのは絶対に嫌です。
わたしの心にそういう醜い憎悪を作り出さずにはいないであろう戦争に、
わたしは決して巻き込まれたくはないです。
日本人がまた犠牲になったことで、
きっとその遺族の方たちはどうしていいかわからないほどの悲しみと、
おそらくは憎しみに包まれているのではないでしょうか。
その感情は当然なのです。
でも、人を憎まなければならない自分と向き合わされることほど辛いことはないのではないでしょうか。
イラクでいつ果てるとも知れないテロ行為が横行しているのは、アメリカによって国土をめちゃくちゃにされ、
愛する人を数多く殺された人々の憎しみの現れではないでしょうか。
テロは決して許すべきことではありません。
でも、現にテロ行為に走らなくてはいられない人々にそれを止めさせるのに、
果たして武力で対抗することが有効なのでしょうか。
わたしには、アメリカの攻撃はむしろテロを煽って、もっとやれと叫んでいるようにしか見えません。
でも、どうすればテロは止むのでしょうか。
わたしは人を信じたいです。
テロリストの人としての心を信じたいのです。
その心が憎しみを解いた時、初めて血で血を洗う暴力の連鎖が食い止められるのではないでしょうか。
でも、そのためにいったい、どうすれば良いのでしょうか。
わたしには、答えがわかりません。
わたしはアメリカを許しません。
しなくても良かった戦争を引き起こし、何万人ものイラク人と何千人ものアメリカ人を
無駄な死に追いやっているのだから。
ブッシュが何度も「われわれはテロに屈しない」と叫ぶけれど、
テロに武力で対抗していることで、既にテロリズムに巻き込まれているのは、
実は「屈している」ことになるのではないか。
殺人に対して「北風と太陽」が通用するのかどうか、わたしにはわかりません。
アメリカが先に武装解除してしまったら、
イラクのテロリストたちはたぶん我が物顔で無法地帯を作っていくでしょう。
世界はそれを黙って見ていることしかできないのでしょうか。
ああ、どうにかできないものでしょうか。
暴力の連鎖を、なんとかして食い止められないものでしょうか……
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↑のように書いたけれど、イラクに実際に行ったことのある人の書いていることを見たら、わたしはあんがい偏見でものを考えてしまっているのかもしれない、と気づかされました。
原案帳#23にも
誤解というタイトルで書きました。