「早いもので4月も今日で終わりです。 新入社員の皆さんは会社にも慣れたでしょうか?」
アナウンサーがそんな風に言わないかな?っと朝に考えていました。
こんばんは、あまつばめです。 静岡の一部では、もうアジサイが咲いたそうです。・・・まだ4月だったのに。 暖冬とここのところぐずついた天気だったからだそうです。こういう4月の雨を菜種梅雨って言うのですね。はじめて知りました。
手元の手帳を見てみると、今月はたいして本を読んでいないことが判明しました。 正確には新しい本を読んでいません。 パソコンの横で山積みになっている本を尻目に読み返しを繰り返しているからです。
積み重なれば積み重なるほど、浮気してしまうんですよ。 うわぁ、ダメ街道まっしぐら。
現在15冊。本日追加4冊。 今週中に10冊は読めるかな? 後半4連休のとろけるような読書タイムが今の支えです。 さあ、しっかり仕事するか。
追記:ラジオの調子がすこぶる悪い。 なぜかNHKFMのみ。 受信料は払っているのかな?←関係ない
しまった。 曜日感覚が狂っている。
朝方、休みだというのに素早く起きてご飯を食べてしまった。 言われなければ仕事に出かけていたところだ。 そこまで気がつかない方も問題だ。
「そうか、休みだったんだ」
一言つぶやいた。
眠る前に、ラジオをつけた。 聞いていると何かおかしい。 ・・・・・・そうか、今日は月曜だ。『青春アドベンチャー』を聞き逃した。
こんばんは、祝日に戸惑うあまつばめです。 今回の聞き逃した番組は、去年も聞き逃しています。 ・・・再放送を聞くことにしますか。
もう、4月も後2日。 考えてみれば、今の学生は週5日、週休2日制になったはず。 こういう戸惑いってあったのでしょうか? 贅沢な悩みかもしれません。
あれほど討論になっていた学力の低下問題はどうなったのでしょうか。 結果が出るのは15年以上先です。今から討論してもどちらが正しいかわかりっこないのです。で、悪く考えるのはちょっと待ってみることにしました。
極論で言うと、学校の勉強なんて社会に出て何の役にも立たないものです。 まあ、足し算引き算、簡単な文字の読み書きなんてものは別として、中学以上の勉強は97.2%(当社比)は役に立たないものです。専門家になるならともかく、書き込んだノートの1冊分何かに使えばお釣りがきます。
学校の勉強など、しょせんは役立たない知識の固まりなのです。
勉強するなって意味じゃないんですよ。 学ぶのにはそれなりに意味があるものです。 学校での勉強って何を学びたいか知るためのものです。 目標があって、それに向けて勉強するための方法であって、それが正しいかどうかを自分で判田するために勉強しているんでしょ?
子供が 「何のために勉強をするんですか?」 って聞いたら 「何のために勉強するかを知るために勉強するんだよ」 って答えてやりましょう。
答えているようで答えていないですけど、そんなものです。 「大人は勉強しなくていいな」って子供の頃に思ったことがあるけど、宿題とかテストとか、しっかりとした形でないだけで、やっぱりしている人はしているんですよ。勉強を。
やっていることを何かの形にしないと『結果が出ていない』って言われるけど、それはしっかりと『結果』になっていますよ。 良かろうと悪かろうと、結果というのはしっかりと出てきている。これからは知らない。けど、何かしているのは事実で、あがき続けているものなのです。
何かいてるんだろうな、私は。 さて、悪あがきで最初のないラジオを聞いてみますか。
2002年04月28日(日) |
怠惰なものが考えた。 |
一日中、ゴロゴロしています。 本を読みながら寝そべっていると、4畳半くらいに広がりませんかね。身体が。 気持ち的には6畳くらいまで広がっています。
こんばんは、やる気も出さずにぐうたらしています。 明日は出かける予定で場所が未定。 何のための3連休やら。
日本人は休むのがヘタといわれます。 旅行に行って疲れるか、何もせずに寝転がるか。 私は典型的な日本人だな。
テレビを見ていて「嫌だなぁ」とつぶやいてしまいました。 長嶋〇茂と大橋〇泉です。 二人に思うことは
「なに偉そうに語ってんだよ。 言うだけだったら誰だってできるんだよ」
〇茂のほうは、解説になるほどの実力がある選手でもなし。 〇泉のほうは、そこまで政治をけなすならなぜやめた。
世の中というのは誰かが横でがんばっているのを見て、勝手に批判する人ほど偉そうに言っています。 ダメだダメだと反対だけして代案がないくせに、失敗するとふんぞり返る。 そんな人ほど上に行く現実。 結果じゃなくて過程も見て欲しいですよ。
♪〜 戦う君の歌を 戦わないやつらが笑うだろ 〜♪ BY中島みゆき
それでも歌っていなくてはね。 偉そうなことばかり言っているあまつばめでした。 ↑ ダメダメですね。
やっぱり知られてました、新聞投稿。 よりにもよってK先生とは・・・ あんなえらそうなことを書いてしまったのであわす顔がない・・・
こんばんは、1500円では足りないと思うあまつばめです。 まあ、75日もすれば噂など忘れられるので、あと74日ですか。 長いな。
ゴールデンウィーク初日です。 そして、なぜかメーデーです。 休みなのに休んでない。
「メーデーに行ってくる」と親兄弟に言ったら、どうもわからないそうです。 3人ともメーデーというものに関わりがうすい職場のようで、何をやるのか聞かれました。
「デモ行進するんだ」 「警察が出てきて戦うんだ」 「武器は投石?」
何と勘違いしているのでしょう。 暴動ではないですか、それ? しっかり説明してみました。
「みんなで集まって、政治家の話を聞き流しながらビール飲んだり焼きそば食べたりするんだよ」
・・・実際はそのとおりですけど、根本的に違うような気がします。 むしろ、ダメ人間の集会みたいな気もします。 何のためにやっているのでしょうか? まあ、いいか。 大半の人は騒ぎたいだけなようですから。
本当は自分達の生活に関わることですから、今日1日ぐらいは真面目に考えないといけません。でも、ビールが売っている時点で真剣に取り組んでいるとは思えない。 そう思う私でした。
性格傾向で金曜日の日記を金曜に書けない。 加えてお酒を飲むと次の日には頭がうまく回らない。 言い訳と自分に言い聞かしているけど、何か得するというわけもなし。 うだうだと一日が過ぎる。
こんばんは、あまつばめです。
1500円分の図書券ゲットだぜ。
いきなり何を言っているかというと、地元紙への新聞投稿が載りました。 1年位前に投稿したこともあったのですが、それが1500円分の図書券になって帰ってくるのです。 嬉しいです。 これで余分に1〜2冊本が買えます。 連休中にゆっくりと読もうっと。
ほとんどの新聞には投稿欄というものがあります。 地元紙の場合、よく見ていると常連というか、同じ人がやけに多いものです。 その人の文章が上手かというと、そうでもありません。 ただ、色々な視点があるということ、わかりやすくまとめているということ、その2点が重要なのです。
本当に上手な文章が必要だったら私の文章なんぞ載ることはないでしょう。 新聞は情報の集合体。難しい政治経済の話から身近な天気やテレビの話が集まってできたものです。 低い目で見た話も必要でしょう。 『読者の声』ってヤツですか。 簡単に感じたことを文字にすればいいだけです。
まあ、カタチのない気持ちを文字という形に表現しろっていっても、完全にできるわけないのです。自分でできる範囲でカタチにすれば、そこそこのものはできるのじゃないですか?
それにしても、匿名は不可のため、本名で載っています。 近所の人に見られると思うと、1500円じゃあ安いのかな?
ビバ!久米宏 ニュースステーションの開始早々に久米宏は猛毒を吐いた。
そのとおりだ。 何で野球には延長放送なんかがあるんだ。 「みたいと思う人がいるから」って言い訳は効かないですよ。 その後のドラマやニュースを楽しみにしている人もいますし、都合がつかずに録画をしている人だっているんですよ。 肝心の決めぜりふのときにテープが切れた悲しみが何度と繰り返されたことか。 ほとんどの試合が9時に終わることはないのに9時までの通常時間と30分ほどの予備時間なんか取っていないでください。 考えてみてください。10−0の試合を9時過ぎても放送してメリットがあるんですか? 逆転をしたらすごいかもしれませんけど、10年に1回もないようなもののために毎回時間を取らないでよ。 どんなに視聴率の高いドラマでも、 「野球放送の途中ですが、視聴率が8%を切りましたのでドラマに切り替えさせていただきます」 なんて暴挙はなかったでしょ。 見たい人をないがしろにする野球放送。 少しは市民の目になって考えろ。
2002年04月24日(水) |
何のゲームか、わかるかな・ |
虚構と知り楽しむか? 虚構ゆえに楽しむか?
こんばんは、あまつばめです。
ゲーム雑誌のコラム(批判)を読んでふとした疑問が。
「(このゲームは)登場人物が現実離れしている」
? 実際にやったことがあるゲームだったのでかなりの疑問を感じました。 たしかに現実離れしたゲームです。 ヒロインが生霊だったり、主人公が記憶の一部がなかったり、浮世離れの会話が多かったり・・・ でも、ゲームってそのほとんどが現実離れしていて、それを楽しむものではないですか?
例えばサッカーだと、手を使わずにあいての網の中にボールを入れるゲームです。 「使いづらい足を使わなくてはいけないのだ。 手を使って運んだほうが簡単じゃないか。 まったく、現実離れしている」 そう言って手を使ったりはしないでしょう。 ルールがあるから・・・ではなくて、そういうゲームだと割りきって楽しむものです。
自分の趣味に合わないと嫌うのなら自由かもしれませんが、現実離れという単語を使ったらゲーム(遊戯)なんて全部が当てはまってしまいませんか?
魔法使いになれたり、銃で怪物を倒したり、身近で殺人事件がおきたり・・・ できないから楽しめる。起こらないから楽しめる。 そんな虚構の上に現実という言葉を使って欲しくはなかったです。
批評した人の求める 『現実味のあるゲーム』 って、どんな現実ですかね。
2002年04月23日(火) |
半焼けと火曜サスペンス |
BGM代わりにテレビをつけていると聞きなれた音とともに
「火曜サスペンスクイズ」
なんですか?それは そう思いつつも見てしまう自分が悲しいです。
こんばんは、あまつばめです。
今日は1日外回りをしていたのですが、腕が痛いです。 原因は日焼けです。 甘く見ていました。 まだ早い時期ではあったのですが、日差しは十分に強いです。 腕まくりをしていたせいで手の甲から肘にかけて赤くはれ上がってしまいました。 帰ってくるまで気がつかなかったのがなんともマヌケです。
それにしても、半分だけ焼けるのはバランスが悪いので、両方焼くにはどういう格好がいいのでしょうか? 真っ先に考えついたのは、拳を握って脇をしめ、腕の内側を上に向ける姿。 この格好でもう一日ねり歩けば裏表しっかり焼けるはず。 ・・・暇ならやってみてください。アイデアはよいかもしれませんが、不審者として通報されること、請け合いです。 結論。うつ伏せになって日向で昼寝すればちょうど良し。
話は変わりますが、今日の『火サス』をじっくり見ました。 水谷豊さんのあの飄々とした雰囲気が面白いのです。 他に好きな俳優が阿部寛、植木等、(水谷さんと一緒の時の)寺脇康文。 どうも怪しくいいかげんなオーラがお好みです。 世界中が怪しさを含んだ笑いに包まれる姿を想像して、 「それもいいかも」と思う私でした。
2002年04月22日(月) |
のっと ぺえばあれす |
『ブレスケア』を飲むと 歯磨き粉を飲み込んだみたい 口の中からミントの香り
さわやかだけど、ちょっと変な感じ。
こんばんは、あまつばめです。 にんにく臭がこれ(『ブレスケア』)で消えれば幸いです。
仕事の上で、細かい数字をたくさん使います。 そのため、紙上に打ち出し、赤ペンもってチェックをつけて、 「ここが違う」「あそこはこうだ」と何度も書いていきます。 ペーパーレスの時代といわれたことがあるのに、どんどん使う紙が増えています。
・手で書くと、一つ一つの数字にしっかりと確認を入れて流れがよくわかる。 ・パソコンは、機械的に計算するのでちょっとしたミスがわかりにくい。
作るほうとしては、はるかにミスが多くなっているようです。 年配の人が言うには 「楽になった分、いいかげんになった」 そんなことはないのですが、仕事量が(機械で計算を受け持ってくれるので)増えていて、比例してチェックする量も増える。 だから多くなっているだけで、比率としては同じぐらいのはずですが。
とはいえ、目に見える形で紙が積み重なっていくのは、心を殴られるみたいで嫌です。
それにしても、紙で打ち出したほうがミスを見つけやすくなりますが、
画面上でしっかり打った。 ↓ ミスはないつもり ↓ 紙の上で見つける ↓ 修正してもう一度打ち出す ↓ 再チェックで別のミスを見つける
繰り返すときついです。落ち込みますよ。
関係ないけど、 テレビ欄で『トム&ジェリー』を
『トム』
って、これでは何の番組か気づきませんよ。ふつうは。
予定通りにんにくの醤油漬けと味噌漬けを作ってみました。 味がわかるのはまだ先になるけど、美味しくできればもっと作る予定です。 でも、みじん切りやったから匂いが染み付いてしまったようです。 自分でもわかるにんにく臭さはちとまずいです。 どうすれば取れるのやら・・・
こんばんは、あまつばめです ついうっかり寝入ってしまい、夜中の2時に目が覚めました。 お風呂に入ろうと部屋を出るのですが、妙に怖く感じます。 2時という時間は丑三つ刻、それを見てしまったので闇や鏡に何かが蠢いているみたいで・・・ びくびくとしながら風呂のふたを開けてみると
真っ赤な湯
うぎゃ〜 ち、チ、血の風呂〜
腰を抜かしそうになりました。 よくよく匂いを嗅ぐとバラの香り。 入浴剤で赤いだけでした。
びっくりしたよ〜 これで心臓が止まっていたらマヌケの局地だよ。 こういう不意打ちには耐性ないんだよ。
ゆっくり入っていました。 何となく「ブラッディー・マリー」というカクテルを思い浮かべていました。 この入浴剤の名前はなんでしょうか? 「ブラッディー・〜〜」だったら怖さも倍増です。
瓶に入れると 食材がちょっと高級そうな感じに思えませんか?
こんばんは、1日ほとんど寝ていたあまつばめです。 起きたのは3回で、時間にすると4時間ぐらいです。 唯一おきてしたことといえば、料理と食事です。 食道楽な生活していますね、私は。
作ったといっても、たいした料理はなく、パスタとガーリックライス、それにトマトのスープです。 ゆでて刻んで炒めて和える程度の簡単なものしかやりません。味も大雑把です。何せ、食べるのが味音痴な私なので。 それでも、これにした理由はあります。 全部が全部、にんにく入りです。 元気つけようと・・・ではなくて、安いからと買い貯めたにんにくがたくさん残っているからです。
父も妹もあまりにんにくは食べません。嫌いというわけでなく、餃子に入っていれば気にせず食べます。 母も好きなほうでしょう。昔からよく買っていたのを覚えています。 ただ、3人とも、人に会うことが多く、ニオイを気にして進んで調理することは少ないです。 なのに、なぜこんなにも買ってくるのでしょうか? いくら安くても腐らしてしまったら意味がないでしょう。 そう母に言いつつも、「安いから」と引くことはありません。「腐ってもかまわない」といいます。それは忍びないので私が使っているというわけです。 近頃、休日の私はにんにくくさいのです。
毎週使っていますが、この分だと夏までかかっても終わりそうにありません。元の数が多すぎます。1度に使える量など限られているものです。 そこで保存を考えていました。 にんにくで長期保存というと刻んで味噌に入れるか醤油に漬け込むくらいしか知りません。どっちもどっちですが、醤油漬けならニオイも少なくなることでしょう。ためしてみる価値はありそうです。 そこで小さな瓶を探すことにしました。 昔から流しの下にシメジの瓶が置いてあるはずです。ためしに作るにはちょうど良い大きさです。流しを探してみると、キレイになくなっています。 そういえば、この間はビンカンの日でした。捨てられたようです。 代わりのものを探してみるのですが、ぴったりなものがありません。 タッパーもあるのですが、どうもイメージが違ってしまいます。透明の瓶に褐色の液体と白いにんにくがつまっていて、白が徐々に色づくのを外から眺めなくて味を確認したいのです。やっぱり最初に作るときは目で確認できる野も重要です。 そこそこ探しましたが、こういうときは見つからないもので、今日はあきらめることにしました。 明日には作れるかどうか・・・未定です。
追記:考えてみればにんにくの芽にするのも1つの方法でしたね。 それもいいかも。
仕事帰り、バスまで15分ほどあったので歩いて帰ることにした。 まあ、はやく帰ってきたこともありバスに乗りたくなかったのと、昼休みに運動できなかった代わり。 家までの距離は約5キロ。歩いて帰るにはちょっと長いが、ぶらぶら歩けば1時間の距離である。暇つぶしには適当な距離である。
薄闇の幕が下りてきたので見通しは悪い。 旧道を歩いているので店の明かりはまばらで、外灯も頼りない。 ライトをつけた車が走る中、それよりはやく駆け抜ける無灯火の自転車に軽い恐怖を覚える。 「あのスピードで後から追突されれば、少なくとも重症だな」 可能性は高い。今日は黒っぽい服を着ているのだ。 こんな所をこんな時間に歩いている予定ではなかったので、こんな格好をしている。 こんな、こんな、こんな・・・後からとってつけたような言い訳だ。考える必要なく、ここにいるのは事実なのだ。どうあがいても黒っぽい服であることには変わりない。 「表通りに出ますか」 誰に了承を求める必要はないが、意志を言葉にするのが自然な気がした。 次の角を右に曲がろうと決めて歩き出した。
あと50メートルも歩けば右への曲がり道がある所でおもしろいものを見つけた。 向かってくる車のライトに照らされ、シルエットしかわからなかったが、独特の歩き方で見当がついた。 キジだ。 鳥のキジが道路を横切っている。 テケテケテケ〜っと小走りする姿にかわいさを感じる。 近くに山もあるのでいてもおかしくない。 見とれていると鳥は足早に駐車場へ入っていった。
その駐車場は三方を民家に囲まれ入り口のみが開いている更地だった。 道路の反対側のみ庭に面しているので開けた感じはするが、低いなりにも壁があった。 キジはその中にいるようだ。ガサゴソと音がするのが証拠だ。車の陰に隠れている。 不意に思い出す。
「鳥だからといって飛ぶことがうまいとは限らない。 山鳥(キジの一種)とか、コンドルとか、身体の重い鳥は急上昇することができなくて長い時間はばたけない。 追いまわしてやるとしだいに疲れて飛びたてなくなるから素手でも捕まえられる」
三方を囲まれたこの場所は、うまく追い込めば捕まえられるかもしれない。 荷物を置いて追い詰めてみることにする。
近づく。 下地の砂利が音をたてる。 それに呼応して影が走る。 「とって喰う気はないぞ。安心しろ」 話し掛けてみるが、よけいに逃げる。当たり前か。 「こんなとこでウロウロしてたら危ないぞ〜」 反復横とびの様に移動する。ある意味、私自身が危ない。 「捕まえたら山に放してあげるからさ」 遊びでやったバスケのように腰を落として間合いを詰める。 そして、端まで追い詰めた。 道路よりから近づいているので逃げれば角に行く。 必死(将棋で次に詰む状態)だ。 じりじりと詰め寄る。 ものの3分とかかっていない。 もらった。 「・・・キジナベ」 つい、本音・・・もとい、いらぬ一言を発した時、こちらに向かってはばたいてきた。 意外な行動にひるんでしまってしりもちをついた。 その上を飛ぶキジ。 こんな近くで鳥が飛ぶ姿を見られるのは不思議だ。 はばたく風を顔で感じる。 そして、キジは・・・民家にぶつかった。 やはり飛ぶのは下手だった。 すさまじい音が響く。 しかし、根性を見せる。 すぐ近くの窓枠にしがみつく。翼でバランスをとりながら、何とか踏みとどまる。
逃げられた。 さすがに見ず知らずの家の2階にいる鳥と追いかけるほど執着はしていない。 仮に追っても地上と違うそこでは勝てない。 下手であろうと飛べる鳥、間違っても飛べない人間では空中戦などできない。 悔しくて眺めていた。 薄暗いから完全に暗くなるまで。
キジは私をあざ笑うかのようにそこから動かない。 優越感に浸っているのか? 多分違う。 動けないのだ。 人の目でもぼんやりとしか見えない闇。 街頭や家の明かりがあるから影で存在を確認できているが、空を飛んだら何も見えないのではないか? 私はキジに負けたのだが、キジは何に負けたのだろうか? マヌケにしがみついているキジを見つつ、考えてしまった。
それにしても、家人が帰ってきて窓を開ける。しがみついているキジ。 互いにどんな反応を示すのだろうか。 見てみたいような見てみたくないような。
昔、胃袋型の風船を浮かべているCMがありました。 あれには何が詰まっていたのでしょうか?
こんばんは、あまつばめです。 のどがおかしいのに加えて胃まで痛くなってきました。 穴はあいていないでしょうが、血が胃袋に取られて頭まで回って着ていないような感触です。 貧血で脳みそがすかすかになっている。 中途半端にふらふらするので、このまま倒れ込んでやろうかと思っています。 どこにって? ………さあ? 私自身もわかっていません。
まあ、胃の中に何か入れるとしばらくは治まるのでごまかしごまかしやっています。 これも効かなくなったら薬の無か病院に行かなくてはいけないのでしょう。 でも、胃が悪いのに休まずに消化させ続けるってよけいに負担がかかっているのでは… やっている行為自体問題の先送りは否めないです。
胃袋はまだ無事だけど、心の風船からいろんなものが漏れていく〜 HELP!!
誰にいっているのだろう。 やっぱりわからない。
風が強かった。 雨も降っていた。 大振りの傘をひろげると、風邪に負けて裏返ってしまった。 小学生の頃、裏返して傘の上にどのくらい水を溜められるか競い合ったこともあった。 懐かしい思い出だ。 そして、よく怒られたものだ。「傘が壊れる」と。
手に持っている傘は骨が曲がってしまった。 骨ごと変えないかぎり直らない。 今日、おろしたばかりの傘だったが、波乱万丈の寿命をまっとうした。合掌。
「そんなわけあるかっ」と自分でツッコミを入れるあまつばめです。 使用時間は20分ほど。 短命すぎるので、しばらくは壊れたまま使います。
「早起きは3文の得」の言葉どおり、ちょっと嬉しいこともありました。 『トムとジェリー』 再放送やっていたのですね。 久しぶりに見たけど、やっぱりオモシロイです。
未だに気になっているのは、 「ジェリーの弟分の灰色ネズミの名前」と「彼の歌の歌詞」 何度か見ていればわかるかな。
2002年04月16日(火) |
はやくおうちにかえりたいけど・・・ |
何をおいても眠いのは ただ 今が 春なのか それとも 今に 飽いているか
最近、朝方、日記を書くようにしたので、寝坊すると職場で書くことになってしまいます。 こんばんはって入れるのが変な感じです。 それでも飽きずに こんばんは、あまつばめです。
1日の仕事が終わると、 「さっさと帰ってゆっくり休みたい」 とぼやいてもいますが、ほとんどの日は寄り道して帰ります。 ん〜98.7%くらいですね。 理由はあるんですよ、一応。
今日は珍しくまっすぐ家に帰りました。 1.3%弱の帰宅です。 でも、やっぱりということになりました。
住んでいるところは田舎ですが、それなりにバスが通っています。 1時間に2〜3本程度です。 まっすぐ帰ると6時近くのバスに乗れます。 でも、このバスは非常に混むことが多く、特に学生と仕事帰りの人で混み合います。 まあ、座れない程度の混み合いですが、それがつらいです。
座れないことは別にどうでもいいのですが、人混みが苦しくて、過呼吸になってしまうこともしばしば。 落ち着いていれば15分程度なので大丈夫ときもあるのですが、いつなってしまうかと思うと不安で、それがまた引き金になってしまって、延々と繰り返します
今日もまた、これだ。 どうして私は人混みで、そんなに酸素を求めるのでしょう。
息苦しくてしょうがない。 十分に満たされているのに、何で求めてしまうのか?
はぁ、 明日はどこで寄り道して帰ろうかな。
2002年04月15日(月) |
9万×人数 (一年あたり) |
仕事がつらい。
のどが痛いというのに、ヘビースモーカー2人と一緒に1台の車に乗って仕事していました。 なにがつらいかというと、今はこの二人に教わっているので、咳き込むのが失礼でしょうがないということ。
いいのですよ〜 タバコ吸っても ほっといても咳き込みますので。
こんばんは、普段はタバコの煙が気にならないあまつばめです。
タバコを吸う人に聞くと、 「俺、そんなに吸わないよ」 という人で1箱行かない程度でした。 よく吸う人ってどのくらい吸っているのですか? 3箱? ちょっと計算してみました。
毎日1箱で250円 月に30箱で7500円 年に360箱で9万円
・・・高!!
だいたいですけど、私は月あたり1万5千円ほど本を買います。 趣味・読書であり、よく読んでいるといわれます。 そういう意味ではいい勝負なのかもしれませんけど・・・ 1日2箱で1年だとパソコン1台分ですか・・・ 非喫煙者でよかったなぁ。
職場に『実家がタバコ屋』という方がいます。 ほとんど税金で取られてしまうので、大した利益はないと漏らしていました。 日本全部で何人吸っているかは知りませんが、いったいどこがもうけているのやら・・・ ねえ、〇〇、私腹肥やしているだろ。 ↑↑お好きな文字を入れてください。
金土日と3日間、セキが止まりませんでした。 どうやら春風邪をひいたようです。 せっかくの休みが〜。
こんばんは、バカだけどよく風邪ひくあまつばめです。 まあ、のどが痛いだけで風邪ではないのかもしれませんが、遊びにいけないのは痛いです。はい。
しかたないので近所をぶらぶらと散歩ばかりしていました。 おとなしく寝ていろというのは酷なものです。
それにしても、春ですね。 新緑と花の季節は散歩には最適です。 近所でも、意外に多くの発見があるものです。
お茶の葉も、手づみなら取れそうなくらいに生えそろってきています。 ブルーベリーやレンゲの花に小さな蜂が飛び交っています。 野イチゴも最初の数個がもう赤くなっていました。
4月なのに…
小さな発見といえば、
アケビの花 ソテツから生えている宿木らしき木 新しくつくっている近所の家
でしょう。 急にそこにできたわけでなく、今まで気がついていなかっただけです。 それでも、動き出さなければ気づかないことはあるのです。 小さなものほど、見つけにくいのです。
さて、鼻の調子が悪くなっている気がしますが、明日から仕事です。 風邪は……治っているのかな? はっくしゅん(笑)
家に帰り、パソコンの電源をつける。 さっそく、仮説の『さぶれ』=『遊べ』説を打ってみる。 改めてみてみると……こじつけ感がぬぐえない。 だれか、しっかりしている文を書いていないか、ネットで調べることにした。
「サブレとは砂を崩したように壊れるという意味ですが〜(後略)」 「フランス語で「砂」を意味する言葉「サーブル」から名づけられたようにポロポロと口の中でこぼれるような〜(後略)」 簡単に本物が出てくる。
フランス語だったのか。
それにしても、食べ物の表現で「砂を崩したように〜」だの、「ボロボロと口の中でこぼれるような〜」の表現はいかがなものだろうか? 説明だけ見ていると、貝を食べた時に砂が残っていて嫌な気持ちになったのを思い出す。 どんなに美味しい料理だったとしても、一粒の砂だけで台無しになる感触だ。 知らないほうが良かったのかもしれない。
それにしても、『△△さぶれ』というのはたくさんある。 ハトに鹿に虎、はにわやサザエさんさぶれなどというものもあった。 まあ、それをかたどったサブレというお菓子という意味なのだろうが、砂のようにボロボロ崩れていくはにわというのはぴったりの表現だ。考えてつくったのだろうか?
でも、変だ。 フランス語ならやっぱりカタカナのほうが良いではないか。 それなのにひらがなにこだわっている気がしてならない。 ためしに周りのカタカナ文字をひらがなに直してみた。
「ぱそこん」 「ねっと」 「てれび」 「ぷれいすていしょんつう」 「こんびにえんすすとあ」
マヌケである。 何かとてつもなくぬるい気がする。 長い文字ほど、殺気が湧いてくるのは私だけでしょうか?
でも、身近でないものだと頭に来ない。
「ぐろうばるすたんだあど」 「ひがしてぃもーるだいとうりょうせんきょ」 「しあわせにみたされたふじゆうのないじんせい」
結論というか推論。
「身近なものほどひらがなにしてはいけない。 よくわからないものはひらがなにしてもよい」
駅前のさびれたお菓子屋にぽつんと張り紙が張ってある。
『オミヤゲに○○さぶれ』
なぜに『さぶれ』とひらがなで書かれているのだ。 ちなみに○○は地名で、しかも漢字だ。 これを見て、人はどう反応すればいいのだろう。 『サブレ』というお菓子は存在する。それはしっとりとしたクッキーのようであり、動物の形をしているものが多く、食べるとボロボロとこぼれるお菓子だ。 しかし、これはちがう。『さぶれ』だ。カタカナの『サブレ』とは絶対に違うものだ。仮に『サブレ』が難しい当て字を使うもので、『茶舞礼』などと仰々しい字ならひらがなにするのも理解できる。でも、外国産の『サブレ』にそんな当て字はない。 もしかすると、ひらがなで書かれているのには意味があるのでないか?よく見てみる。『さぶれ』だ。『さぶりましょう』とか『さぶるとき』とか『さぶろう』などでなく命令しているのだ。もしかしたら『さぶる』という動詞で命令しているではないか。オミヤゲにここで『さぶ』って行けと強要しているのだ。こうなれば『さぶる』について調べなくては気が済まなくなった。 まずは辞書で調べてみる。
あいにくと『さぶる』という単語はなかった。 それなら、『さぶ』しろという意味かもしれない。『さぶ』で調べてみた。すると以外に多くの『さぶ』がある。カタカナの『サブ』は別。ひらがなで表現しているものでなくなってしまう。以下の『さぶ』があった。
・寒→寒いこと ・左武→武を尊ぶこと。武を重んずること。 ・左舞→さまい(意味が調べきれず) ・荒ぶ、寂ぶ→さびる。生気、活気が衰え、下の姿などが傷つき、いたみ、失われる意。 心に寂しく思う。わびしがる。 (色などが)あせる。みすぼらしくなる。衰える。 古びて趣がある。 ・錆ぶ→金属にさびが生じる。 ・さぶ→名詞について上二段活用の動詞をつくる。そのものらしい態度・状態だ。
あと、近いところで『さぶりこ(遊女・うかれめの意味)』という言葉があった。一応、『さぶる』=『遊ぶ』も候補にあげておくか。
踏まえて考えてみる。 先に書いたように〇〇は地名だ。 『寒』『錆ぶ』『さぶ』では意味が通じない。
『左武』だと、 「オミヤゲに〇〇で武を尊んでいけ」 ここは武術の里ではない。
『荒ぶ、寂ぶ』だと、 「オミヤゲに〇〇をわびしがれ」 わびしがれとは、謙虚なのか傲慢なのかよくわからない。
『遊ぶ』ではどうだ。 「オミヤゲに〇〇で遊んでいけ」 意味としてはキレイだ。 きっとこれに違いない。
間違っているとわかりつつ、こじつけで理解するのであった。
キャッチコピー−に 『〇〇から5年の時を経た感動の一冊』 こんなものがある。そうか、5年か。それだけ時間をかけたのだから『良いもの』だろうと思ってしまうことがある。 でも、時間をかければかけるほど、価値の落ちるものもこの世には存在するのだ。
こんばんは、あまつばめです。 この雑記もジャンル外のことばかり書いているので、移動のことを考えたほうがいいのでしょうか? 最近はいくら読んでも『痛いこと』って感じではないので。 まあ、居心地のよさに、しばらくはいるでしょう。 甘ったれた人間なので、ご勘弁をしてください。
今日の夕飯は、だめになりそうなものをとにかく食べてしまおうというコンセプトらしく、統一感がありませんでした。 まあ、焼き魚とたけのこの煮物は良いとしまして、冷凍食品のシュウマイと枝豆、賞味期限が怪しい納豆でした。あと、名前はありませんが、いろいろ残り物が入ったスープなどなど…
枝豆と納豆を交互に食べながら、 「これも同じ大豆からできているんだよな」 と考えてしまいました。
枝豆は熟していない大豆をゆでたもので、ビールのおつまみに最適なものです。
想像してください。 暑い夏。 首振り扇風機がまわる中、ちゃぶ台前に座ってビール片手に高校野球を見る父親。 瓶ビールを手酌している。そのおつまみは?
少なく見積もっても70%は枝豆です。 これこそ、枝豆の力。 大人が夏を感じる風物詩。3種の仁義といっても過言ではないのです。
納豆はどうでしょう。
枝豆より長く育てた大豆を水に一晩つけてゆで、わらにつめてしっかり発酵させたもの。 時間も手間もたっぷりかかった一品。 世間でこう呼ばれます。
『腐った豆』
腐っているわけではなく発酵しているだけなのに、です。 「発酵=腐る」なら、醤油は「腐った豆汁」お酒は「腐った米汁」チーズは「腐った乳の塊」……上げていったらきりがないでしょう。でも、そんな風には呼ばれません。 においもあり、糸を引くところが印象を悪くしているのでしょう。友人など、 「靴下のにおいがする」 と、食べている横で称えてくれました。 食卓の上に並ぶ靴下。 明らかな非日常です。
栄養学を置いておきますと、大豆の中で一番もてはやされる時期は枝豆です。一番蔑まれるのは納豆です。
『ビールの友』VS『腐った豆』
もしくは、
『夏の風物』VS『靴下のにおい』
悪い意味でしか、納豆は勝てません。 ここは枝豆の傘下に入って出直すべきでしょう。 キャッチフレーズはこうです。
『あの枝豆が1年の時を経た、感動の一品』
以上、納豆保護団体(嘘)からのお知らせでした。
2002年04月10日(水) |
たけのこ見るたび思い出す |
田舎に住んでいると、旬のものを食べる機会が多い。近所の畑でつくっている野菜や、近くの港におろされたばかりの魚貝類たち。1年で一番美味しい時期に食べることができる。それも、知り合いが何かの機会に譲ってくれる事が多く、こういうものは本当に嬉しい。田舎暮らしの良いところだ。 ただ、一つ悲しいのは、近所の知り合いというのは似たようなものが手に入りやすいので、同じ時期に同じものを大量にもらうことだ。 長持ちするようなものなら困らない。栗とかイモとか干物とか、少しおくことができるものならとっておけばいいのだ。 しかし、困るのはそれ程長くおけないものだ。 この時期にもらうもので考えてしまうのは『たけのこ』である。
私が住んでいるところより少し奥の方はたけのこがとれる。もちろん収穫という意味のとれるであり、盗むという意味のとれるではない。そして、父の知人の何人かは竹林を所持している。彼らは口々に言う。 「たけのこはとりたてをすぐに茹でないと美味しくないんだ」 美味しい実物を手に持って。 いただきもののたけのこは、母の手により朝と夕方のおかずに変わる。たけのこ料理のレパートリーなど知れたもので、煮付けるか炒めるか味噌汁に入れるか、あとは刺身にして食べるくらいなものである。それがほぼ毎日、半月ばかりも続けばありがたみというものはなくなる。それでも 「これ、今年最後のたけのこだから」 「いっかい(大きい)のがとれたから、ぜひ親父さんに」 と、笑顔で渡されると断ることはできない。 そして、その日もまた、たけのこ料理が並ぶのである。
半分飽き飽きしていた時のことだ。 私がたけのこを受け取ったときに聞かれた。
「ボウズはたけのこが好きか?」
もらったものを手に「嫌いです」と答えられるほど神経は太くなく、 「はい。とくに先の軟らかいところが好きです」 そう答えた。もしかしたら、大きなたけのこが小さくなるかもしれないと思って。
「そうか。でもな、男だったら竹のように硬いとこが好きにならんとダメだぞ」
どんな理念があってそういうのかは知らないが、食べ物の好き嫌いには男女はない気がする。それほど硬いところが好きなのならと、 「そういえば、竹を食べる方法を知ってます? 強火で1日煮て、虎の脂を入れると美味しく食べられますよ」 そう言ってしまった。
当時、図書館から借りた本に書いてあったとんち話で、いろりの火をもケチる老婆に寒かった主人公が暖をとるために使った話だ。 私は「そんなことあるかよ」とか、「虎の脂なんてどこにあるんだ」とか突っ込まれるのを覚悟で言ったのだ。
「じゃあ、今度ためしてみるよ」
そう言って背を向けた。 ちょっと待て。真に受けないでくれ。
もしかすると漢方薬店に行けば『虎の脂』とやらは売っているのかもしれない。今の世の中なら大きなスーパーに売っているかもしれない。 『虎の脂』を見つけ出し、強火で竹をゆでたあとにたっぷりと入れ、その竹をわが家に持ってくるかもしれない。「息子さんに教わってつくってみたんです」笑顔で差し出す。断りきれずに受け取る。そして夕飯に竹をぼりぼりと食べる我が家。 ダメだ。想像してしまった。 私はすぐに呼び止めて、
「今の冗談だから」
言わずに入られなかった。
このとき実感した。 善意と素でボケる人。 これには勝てないことを。
2002年04月09日(火) |
すべてを台無しに・・・ |
ほんの些細なことで、完璧だと思っていたことが簡単に崩れ去るものだ。
私は字が汚く、出来ることなら書きたくないと思っています。10年前にキーボードで打つことを覚えてからは、残す文字の85%くらいはキーボードを使って打っています。学校の授業ぐらいしか文字を書かなかったもので・・・ キーボードを使っているといっても、話すスピードより遙かに遅く、スローテンポのバラードをやっとこよっとこで下記込められる程度。エセブラインドタッチを使っている程度なのです。 なぜにエセというかといえば、左手の人差し指や右手の薬指はほとんど使わず隣の指に頼ってしまいがち、だからです。
この間、延々と長い文を打っていたときのことです。 『ゆでたまご』という文字がありました。 ちょうど前の文字で変換をして、しばらくひらがなが続く文章でした。ゆっくり見ないのが悪かったのでしょうか。打ち出した文字を見るとそこに、
『うでたまご』
・・・ 白い卵に筋肉隆々の2本の腕が生えているのを想像してしまいました。 その一言ですべてを台無しにした気がしました。 Yを押し忘れていたのです。
ひらがなとかカタカナって書いたり読んだりするときは、こういうものってきめつけて読んでしまいがちです。 だから、1文字違っても読めなくなるものがやけに多いです。 たとえば、次のは口に出しては読みづらいはず。
・ガリソン ・アリメカ ・フンラス ・ウローン茶
2文字目と3文字目を入れ替えたのだけなのに、全く別の未知のもののような発音。こっそりと入れておいたら以外に気づかず、わかった人には今まですべてをぶちこわすような、そんな文字いかがですか?
通勤電車にも、おろしたての制服に身を包んで元気に笑う学生たちが目立ちます。 初々しいですね。 まだ、身体に合わない大きなカバンを背負った小学生には微笑ましいかぎりです。
こんばんは、あまつばめです。こんな気持ちも1月経てば、狭い車内への辟易に変わることでしょう。 ↑スレまくっている人間の発言は気にしないでください。
春の交通安全でもやっているのでしょうか?帰りしなに3回パトカーを見ました。サイレンを鳴らすでもなく、赤色灯を点滅させながら悠々と巡回していました。 思うのですが、あのランプはつけながら走ってもよいのですか?
「警察はどんなところ?」と質問したら、48%くらいは「悪い人を捕まえるところ」と答えてくれます。悪い人といっても顔や頭や性格ではなくって、法に準じて悪い人を決めます。
義務と権利はどちらが先かは論じているときりがないので、この場は『義務→権利→義務→・・・』の順に得るものと仮定して話します。
まず、警察は国民の安全を守るという理念の基に発生しています。そのために捜査をする権利や拳銃・緊急車両の所持・使用が認められています。あくまで認められているだけです。 パトカー1台見ても、緊急車両ではあるのですが、それは緊急時においてのみです。普段は他の車と変わることない法の上にいるのです。緊急時なら信号を無視しても、一時停止を守らなくても咎められませんが、平時に事故を起こせば1台の車として扱われるのです。 そして、緊急車両が緊急だと判断させるのはけたたましいサイレンであり、派手な点滅灯ではないでしょうか?
もし、あのランプを自作して、自分の車につけたとしたら、注意を受けたり捕まりそうな気がします。警備会社も車や制服が警察に類似しすぎてはいけないという規則があります。視覚で印象が強ければ、人は簡単に錯覚を起こします。 ランプをつけていけないと思うのは、そんなモラルがあるからです。
パトカーは赤い回転灯をつけて走っていました。かなり目立って。 サイレンこそ鳴らしていませんが、明らかに威嚇して、 『俺は警察だ!えらいんだぞ』 とオーラを出してました。
現実に、そうしたほうが注意を促すというのでは効果があるでしょう。警察が来ていると知っていれば、無茶なことをするのをためらう人も多いです。でも、これって、最初から「車を乗る人は違反をする」と信用せずに力で無理に押さえ込んでいる気がします。
間違ったことで間違いを起こさないようにしているのは、やっぱり違います。 みんなで銃を向け合って、誰も引き金を引かない状態。それは平和でないように。
まあ、私が言っているのは現実を見ていない理想論でしかないのですけどね・・・
考えてみれば、先週の休みはなかったようなもので、代わりに昨日今日とだらけていたんですよね。ホットミルクを机において、日向ぼっこしているクマのようにだら〜んと脱力して、本を読んですごしていました。
唐突なのは血筋なのでしょうか。午後に入って兄が家に顔を出しました。帰ってくるのに1時間くらいかかるので何か用事でもあるのかと聞いてみたら 「髪切りにきたんだ」 確かに短くそろっています。でも、家は床屋でもないですし、聞いてみると10キロほど離れた床屋で切ったと言います。 「やはり、行きつけの場所じゃないとね」 そう口にしますが、2000円でお釣りのくる床屋にそこまで差があるのでしょうか?私には、そうは思えませんでした。 「おまえにはコダワリってものがないのかよ?」 はい、どうやらないようです。
結局、兄は野球を見て、昼寝して、ご飯を食べて帰りました。 ・・・暇だったのかな?
兄が帰ると、緩んでいた気持ちを引き締めなくてはいけない気がしました。だらだらの反動です。柔軟やったり、腹筋やったり、とにかく動き回って、「騒ぐなら昼間騒げ」とありがたいことばをいただいてしまいました。
どうも休みの日になると、本能のみで動いている気がします。いえ、家族全員ね。平日がなかったら人間として生きて入れないのは気のせいでしょうか? 自問自答したので、これまで。
駅前の洋菓子店軒先でツバメが舞っていました。 「まだ4月もはじめだよ?」 そう口にしつつも、喜びは隠せません。 春なんですよね、ホントに。
こんばんは。季節の足が速いことに驚いているあまつばめです。 今年が異常かどうかはこの際関係ないです。 1年のうち2週間くらい季節が早まっても、パーセンテージにしたら4%程度です。消費税より少ないです。まあ、比べるものではないですけど。
先日母が、 「換気扇、直しておいたから」 と告げました。 ごめんなさい。壊れていること知りませんでした。
古い換気扇は、つけると音がうるさく、家のどこにいても使っていることがわかるくらいでした。ゴンゴンゴンと響く音は、なぜか頭が痛くなり、ものすごく耳障りに思っていたのです。故に換気扇を使うことは私はしませんでした。春夏秋冬、朝昼晩、時間も季節も天候も関係なく窓を開けていました。お風呂使用後5分ほどを換気代わりに使っているのですが、ついうっかり開けっ放しにして、それが冬場だったりして、加えて次に入るのが妹だったりすると、立ち直れないくらいにぼろくそに怒られます。それでも換気扇はつけませんでしたが。
今日、お風呂に入ったとき、何か音が聞こえるのですが原因がわかりませんでした。軽い、静かなモーター音はそれ程遠くないところから聞こえてくるようでした。「なんだろう?」と疑問に思いつつも、のんびりと湯船に使っておりました。
そして1時間後。湯船の中でふるえていました。寒いのです。耐えられないぐらいに。
お湯の温度はいつもと同じくらいでした。だから、ここまで冷えるはずはないのです。が、芯が冷えているのを自覚します。ここのところ忙しかったから疲れが溜まっているとか、知らないうちに風邪をひいていたとか、いろいろ考えました。まあ、答えなぞわかるはずもないのですが、それでも考えていました。冷静な人が見ていたらこういってくれるでしょうな。 「さっさと足し湯するか出ろ」 考えつきませんでした。
結局、寒さにふるえながらもう30分ほど入っていましたが、やっぱり温まりませんでした。ふるえを押さえるために熱いシャワーをしばらく浴び、脱衣所に出て気がつきました。 換気扇のスイッチがONになっていたのです。
新しい換気扇はさぞ、性能がいいようで、音も小さく気になりません。換気量も桁違いに多いようで、湯気も熱気もどんどん排出しているようです。 だからでしょう。必要以上に熱をとられたお湯。濡れた素肌が乾燥することで奪われる反応。身体を冷す要素は換気扇だったのです。
気づかなかった私もマヌケですが、つけっ放しで行った前の人は誰なのか気になります。妹だったら行ってあげましょう、どれくらい寒い思いをしたか。ええ、もう立ち直れないくらいに。ちょっとくしゃみが止まらなくなっているのですから。
2002年04月05日(金) |
あまつばめ、『青空〜」を語る。 |
私事で恐縮だが、昨日の日記は朝方慌しく書いたのでしっかりと時間をかけなかった。肝心のことをかけなかったことを言い訳するのも情けないが、書いておかないと著者に申し訳ない。 昨日の<ピカソ>は『青空の方法』(宮沢章夫著:朝日新聞社)からの抜粋である。 NHKFMのミッドナイトポップライブラリーで放送していたのを録音してあったので聞きながら書いたのです。1度聞きなので読みかしてみるとかなり変えて書いているのに気づく。いかに人間の記憶力はいいかげんかがよくわかった。 気になっていたのだが、『宮沢章夫』という著者名をどこかで見た気がした。朝日新聞をとっていないので見る機会はないはずなのだが・・・どこで見たのだろう。いや、聞いたのでなく文字で見た記憶なんだが・・・不明である。
こんばんは、あまつばめです。 帰りしな、本屋に寄って探してみましたよ、『青空の方法』。在る場所も出版社もわからなかったので店員に確認までしてしまいました。 その価値有り。 一通り読み終わって、おもいきり笑わせられました。帰りの電車でも吹きだすくらいにおもしろい。この本は大当たりですね。
感覚というのは曖昧で、同じ意味でも音で聞いた情報と文字で読んだ情報では明らかに違う。 この本の中でも、<ピカソ>や<絵の法則>は音で聞いたほうがよく笑えた。反対に<ニーザー>、<誰よりも先に気がついた>は文字で読んだほうが納得でき、後から笑いが込みあがってきた。
声という受動的な情報は、自分の呼吸にあってくれれば単純な情報以上に意味を持つ語り手の存在があるからだ。音による感情は爆発するように湧き上がる。 文字という能動的な情報は、自分自身で一定のリズムをとって読みとるのであり、書き手の存在は読んでいる現在には足跡しかない。先に行った書き手を追いかけるように、感情が最初は小さなきっかけから風船のように膨れ上がる。 まったく、同じものでもはっきりと感じ方が違うものだ。人によっても違うだろう。いや、人生いろいろだ。
読み終わり、「何が一番笑えたの?」と聞かれたら<比喩>だろう。 「え?」などと聞き返さないでもらいたい。 やたらに言葉を飾るのが好きな人間は、くどいくらいの文の後、簡単に表現された一言で鱗が落ちるものである。 本当に、不思議なものである。
それにしても、いくつ『青空の方法』から引用したのだろう、この文章は。うまく使えていない私だが、それでも楽しく感じるものだ。
<ピカソの時間> 画家というのは生きているうちに超一流となって稼ぐのは稀だ。 そんな稀な一人、ピカソの話だ。
レストランに入ると店主が紙とペンを持ってきた。 「すみませんが、1枚、絵を描いていただけないでしょうか?」 不躾な話だ。 「簡単な絵でいいですから」 ピカソはさらさらっと描く。 簡単に出来上がった絵をみて、店の主人が 「おいくらですか?」 とたずねると、ピカソは法外な値段を伝えた。 「5分くらいで描いたくせに・・・」 そういう店主にピカソはいた。
「私はこの絵を描くのに40年かかった」
こんばんは、あまつばめです。 通勤中、周りを見回してみると、真新しいものに包まれた人が多々います。 新社会人の皆さんでしょう。 ・・・私も一式新しい服と靴を身に付け、何食わぬ顔で立っていたら、同じように見えるでしょうか? 想像してみるものの、答えは私が出すものじゃない。とはいえ、そんな想像をしている時点で立派に『みえない』でしょうが。
<回り道の時間> 朝方の強い風で、桜は散ってしまい、加えて電車も遅れる始末。 それでも、ほんの3分、周りを見渡す余裕ができてよかったです。 こうやって深く呼吸をする暇さえなかったら・・・どうなのでしょう。 急ごうとも、のんびりしようとも、不意にできた時間はゆっくりと立ち止まってみるためです。 これから走り出すのか、ただゆっくりと休むのか。何をすべきかを考えるために・・・
いつもの道でなく、ちょっと遠回りして路地裏っぽい道から通勤してみると、それも案外おもしろいもの。 風に飛んだバケツや倒れて土撒く植木鉢。伸びするネコは幸せそうだった。 倍の時間を歩いてたどり着いた職場で、「まあ、今週くらいは大丈夫だな」とつぶやいていた。誰へというわけもなく。
忙しい日々が続いているので日記がおざなりになっている。 ウム、まずい。何とかしなくては。
と、やきもきしているうちに一段落してしまった。 お疲れ様どす。
ここ2週間ほど自分でいつ寝たのかがよくわかっていない。 気がつくと机に伏してで朝だったり、畳の上に転がっていたり。 唐突に眠っているようだ。 泥のように眠っていたことだろう。
しょせん私は土くれで、元気がなくなりゃ水と土に戻るのか。 それもまた良し。 戻るまでにいかに知識を溜めるかが、命題なのだろう。 10日も本を読んでないからそう思う。 早く、買っておいた本を読んでおこう。
次の日に生まれていたりする。 つまりは今日が誕生日。
26歳ですか・・・微妙だな。
生まれたのが今の時間ぐらいだ。 バカと天才は紙一重というが、私は色濃くバカだろう。
しかし、年を一つとったからといってそれほど変わることもなし。 周りが何か言ったとて、1日で違う人になれはしない。 嬉しいのか悲しいのか微妙な感じ。 年をとるとはそんなもの。
まあ、記念日は嬉しいですけど。
なぜに4月の最初の日をバカというのかよくわからず。 ちなみ私はバカの・・・(明日に続く)
|